玄関ポーチに立っていた一条の表情は、夕方会ったときに比べて若干和らいでいたが、まだいつもよりずっと固かった。
「お前、何持ってるんだ?」
二人で部屋へ戻りつつ、一条が手に提げていた紙袋に気が付く。
「えと・・・誕生日プレゼント」
「は・・・?」
お見舞いじゃなくて、誕生日プレゼント?
「ああ・・・それはサンキューな」
パジャマ姿の俺を日に2度も目にしながら、誕生日プレゼントをわざわざ夜遅く、人の家へ持って来る一条の間抜けぶりが可笑しくて、思わず笑う。
すると一条も、釣られて少し笑ってくれた。
はにかんだ笑顔が、妙に懐かしく感じる。
一条に促され、ベッドへ戻ると、彼も机の前から椅子を引き、夕方と同じようにそこへ座った。
だが、空気は全然違った。
距離もだいぶ近い。
「開けていいか?」
「うん」
紙袋から包みを取り出すと、“F.C.”とプリントされた青いラッピングに水色のリボンが掛っており、そのリボンにも“Fernando Cielo”と人の名前らしき刺繍が入っていて、何かのブランドだとわかった。
リボンを解き、包装紙を剥がすと、微かに漂ってくる優しい香り。
箱の上に載っていた二つ折りに畳まれている名刺サイズの白いカードが先ず目に入る。
どうやらカードに、少し香りが染み込ませてあるようだった。
開けて見ると、中に書かれたメッセージは一条の直筆。
Thanks for your birth.
サンクス・・・ありがとう?
「俺がモノ貰ってんのに、なんでお前がありがとうなんだよ・・・」
まだ頭がぼんやりしている上に英語は元々苦手なので、あまり考えずにそう言うと。
「君の誕生日だから」
苦笑しながら一条がそう言った。
全然判らない。
「誕生日メッセージなら普通ハッピーバースデーとかだろ?」
「そうだね。・・・じゃ、ハッピーバースデー、原田」
なんじゃそりゃ。
プレゼント本体であるらしき紙箱にもブランド名が入っており、中から取り出したシンプルなボトルに、リボンと同じアルファベットの名前が入っている。
「香水・・・?」
「そう。・・・気に入るといいんだけど」
オードトワレのようだった。
金色のキャップを開けて少しだけ手首にプッシュしてみる。
ライトグリーンの液体が醸し出す爽やかな甘い香りは、花のような果実のような・・・マスカットが一番近いだろうか。
カードの香りと同じだと気づいたが、もっとはっきりとした瑞々しい匂いが辺りに広がっていた。
ボトルには”Te amo”と小さく下に書いてある。
香水の名前だろうか。
「テ・アモ・・・」
低い声で一条がその名前を口にした・・・それがなぜか切なく感じる。
「いい香りだな。鼻が詰まってなくてよかったよ」
俺がそう言うと、一条がまた苦笑した。
「昨日・・・本当はそれを渡そうと思って来たんだ。なんか、間が悪くて・・・持って帰っちゃったんだけど」
そう口にする一条は、もう怒ってこそいなかったが、まだ納得はしていない顔だった。
「あのさ・・・あれは誤解なんだ。実は昨日の夕方にさ・・・」
俺は仕方なく一部始終を彼に話すことにした。
慧生は良かれと思って俺を誘いだしてくれたこと。
ところが体調が悪く、急きょうちへ連れて帰ったこと。
途中で進藤先生から電話があって、待っている間、俺を先生と勘違いしたのか、悪ふざけだったのかは判らないが、慧生が俺にあんな痕をつけてしまったこと。
事情を知った一条は、一応了解したようだった。
だが、まだいつもの笑顔は戻らない。
「誤解してごめんね・・・けど、やっぱり気分がいいもんじゃないよ。正直に言うね。もうあの子とは二人きりで会わないでほしい・・・あの子は原田に多分、興味を持ってるから。わかるんだ僕には。・・・僕がこんなことを言う立場じゃないのは承知してるけど、でも、原田にその気がないなら、あの子とはもう・・・」
「だったらお前はどうなんだよ」
思わず口走っていた。
「原田・・・?」
「あ・・・いや、何でも」
起きているうちにまた熱が上がって来たのだろうか、頭がはっきりしなかった。
それでも自分が馬鹿なことを言ったとわかり、己の失言に俺は狼狽えていた。
一条の苦言は正論だ。
慧生は確かに俺を口説こうとしていたし、冗談だとしてもあんな真似をしたのだから、俺が一線を引かないと、相手に期待を持たせることになりかねない。
だったら一条が言うように、俺が彼を恋愛対象として見られない以上、深入りさせるべきではない。
まして慧生には恋人がちゃんといるのだから、倫理にも反する
そう言っているだけだ。
一方、一条は曲がりなりにも仕事でリタをエスコートしている。
本人もそうはっきり言っていた。
だから俺が口を出すような話ではないし、そもそも俺に一条の付き合いをどうこう言う資格はない。
わかっているのに・・・よりにもよって、本人に同じことで2度も八つ当たりするなんて、馬鹿もいいところだ。
一条はこうして誕生日プレゼントまでわざわざ持って来てくれたばかりなのに、これじゃあ・・・恋愛どころか友達としても見限られてしまう。
わかっている。
これはただの・・・嫉妬だ。
ボトルを握りしめていた手の上から大きな掌が重なり、強く握られる。
「原田、誤魔化さないでちゃんと言ってほしい」
逃げられない。
「だからさ・・・お前、こないだ俺を悲しませるようなことしないって約束したよな? それは結局口先だけか? 何なんだよ、あのリタって女は・・・お前を連れまわして、テレビカメラの前でお前に抱きついて・・・知ってるか? 世間じゃお前ら付き合ってるってもっぱらの噂だぞ」
感情の赴くまま、俺は一気に話した。
最悪だ。
男の嫉妬なんてどれだけ無様に見えるものなんだろうか。
碌な恋愛もしないうちに、そんなものを自分が晒してしまうなんて、思いもしなかった。
ましてや一条相手に・・・彼にだけは、こんな自分を見せたくなかった。
握りしめていた指の関節が、上から圧迫されて一条の掌の中で軋んだ・・・痛い。
「だから、原田それは違う・・・この間も言ったけど、リタはチューファ市長の娘さんだから、父の仕事で会ってるだけで・・・」
一条が強く反論する。
こんなにはっきり意志を伝えてくる声を聞くのは初めてだった。
俺のウザさに、さすがの一条も苛立っているのかも知れない。
だが、ここまで来ると俺ももう止まらなかった。
「んなこたぁわかってんだよっ! けどさ・・・ああいうの見ると、たまんねえんだよ・・・リタなんて、滅茶苦茶可愛いし、スタイルいいし、売れっ子だし・・・そんな彼女とさ、お前・・・すげぇお似合いで・・・俺なんか、ただの高校生だし、バカだし、男だし・・・」
醜いな、俺・・・。
突然抱きしめられた。
一条?
昨日から胸の内に居座ったままだった苦しい感情の塊が、一条の抱擁ひとつですっと消えていくのを感じた。
ああ・・・こんなことで俺は安心できるんだ。
ゆっくりと手をあげて、一条のセーターの脇腹辺りを握りしめる。
「一条・・・」
俺はコイツが・・・・好きだ。
こうして抱き締められて、一条がいつものように無邪気な笑顔でアホみたいな口説き文句を垂れ流してきたら、俺は彼を罵倒しながら蹴飛ばして・・・それでいつもの通り。
そんな日常が、俺は好きなんだ。
原田・・・。
一条が嬉しそうに俺を呼ぶ声、はにかんだような笑顔、こうして抱きしめてくる長い腕、そして・・・・柔らかい口付け。
そんなものを、ひとつひとつ思い返し、俺は心が温かくなって、せつなくなる。
原田・・・。
俺を呼ぶ声が心でもう一度繰り返される。
だが、現実の一条は何も言わない。
「なあ・・・なんか、言えよ」
「何を言ったらいいんだい?」
声は固い。
一条・・・・。
俺は喉に声が張り付いて、何も言い返せなった。
そのまま身体が離れてしまう。
温もりの消えた場所がひどく寒かった。
「僕が何を言っても、原田が信用できないんじゃ、言っても意味がないよ」
「それ・・・は・・・」
突き放された・・・?
手足が急激に冷えてゆく。
一条は一旦立ち上がるとベッドに片手を突いて、俺の顔を覗きこんで来た。
「原田・・・もう少し、君に近づけてからと思ってたけど、どうもそんなことを言っている場合じゃないみたいだね・・・」
そう言って一条が口づけてくる。
乾いたキスだった。
「一・・・条・・」
「口で言っても信じられないなら、行動で示すしかない・・・原田、今から君を貰うよ」
そう言って後ろへ身体を倒される。
09
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