「なんかここ、すげえ緊張すんのな……おい、秋彦、料理来たらコレの使い方教えろよ」
 珍しくシックな紺色のシングルジャケットを着た慧生が、ナイフやフォークを指して、俺に訴えてくる。頬がピンク色に染まっていて、いつも以上に可愛らしい。
「慧生、わからないことがあったら、俺に聞け。それよりも、なぜここに彼らが? 俺は慧生と二人で食事をするつもりで来たのだが」
 ダークグレーのスーツに立ち襟シャツ、中には青地に白ストライプのアスコットタイを締めて同じ柄のポケットチーフを胸元に挿しているという、気合い入りまくりな装いの男が、冷ややかに言った。
「悪うござんしたね、お邪魔して。っていうか、元々俺が当てたクーポンだっつうの。慧生、個室なんだから別にマナーなんて気にすんなよ。俺だって、そんな詳しくないし、誰も気にしないって。な、峰?」
「いや、いい機会だから覚えておくのも悪くはないとは思うが。まあ並んでいる順に外から使っていけ。あとは音を鳴らさないように気を付けておけばいいんじゃないか」
 そこへ、「おまたせいたしました」という静かな声とともに、凛としたたたずまいのウエイターが部屋へ入って来た。
「海老とスモークサーモンのカルパッチョです」
 キラキラと輝く銀のトレーを片手に、流れるような動きで楕円のプレートに盛りつけられている、目にも鮮やかな前菜が、白いテーブルクロスの上へスマートに並べられていく。
「へぇ、綺麗だな。デザートか?」
 頬を上気させた慧生が少々上ずった声で言った。俺と峰は、ナプキンを広げたり、フォークを取ったりする手を止めて、暫し向かいの美少年を凝視する。
「オードブルだ。初っ端からデザートを出してどうする」
 落ち着いた動作で、食前酒に口を湿らせていた進藤先生だけが、慣れた口調で恋人に静かなツッコミを入れた。
「おおっ、そうなのか。あんまり盛り付けが可愛らしいから、てっきりスイーツかと思ったぜ。そういや、海老のスイーツってなんかヤだもんな。しかしすげえセンスいいなあ、ウチのオーナーといい勝負だ。いただきます」
 テンション高めの声でひとしきり思いの丈を捲し立てると、慧生は両手を合わせ、フォークを手にとって、プリプリの海老に突き刺した。
「そういえば、お前、いちおう作る側の人間だったな」
 今年の三月で城西(じょうさい)高校を中退していた慧生は、現在西峰寺(さいほうじ)の門前で営業している、イタリアンカフェでウェイターをやっている。ホールでお運びを務める傍ら、ときおり店に出すケーキを作ったりしているのだ。
 彼が畏れ多くもラセールの盛り付けが『良い勝負だ』と誉めた際、引きあいに出したオーナーとは、彼の雇用主であり師匠でもある、南方譲(みなみかた ゆずる)という男のことである。さらに、そのオーナーを慧生に紹介したのが、同じく目の前にいる進藤先生であり、我が城陽(じょうよう)学院高校の体育祭、『蒼天祭(そうてんさい)』の少し後ぐらいに、慧生が進路と家庭問題について悩んだ挙句、家出をしたとき、オーナーの自宅へ転がり込んで、進藤先生と一波乱などという、ドラマティックな騒ぎもあった間柄である。
「譲が腕の良いパティシエというのは認めるが、ミシュランガイドで三ツ星を獲得したラセールと街角の喫茶店を同列に語るのは失礼だぞ」
 なぜか不機嫌全開で進藤先生が苦言を呈する。
 慧生の恋人は疑いの余地もなく進藤先生で間違いないのだが、あのときのオーナー氏を見る限り、彼が慧生を一体どう捉えているのかは、未だに謎であり、下手に突くのが躊躇われた。
「喫茶店じゃなくて、パスティチェリア・バールだっての」
「同じようなもんだろ」
 ちなみに慧生は自分の職場を喫茶店と言われるのを嫌がり、進藤先生はなぜか敢えて『喫茶店』と呼びたがる。
「へえ、こちらのお客様はひょっとしてパティシエなんですか?」
 まだテーブルの傍で待機をしていたウェイターが、会話に加わってくる。
 白いシャツに黒い蝶ネクタイ、黒いベストとスラックスを着用し、ピンと伸びた背筋で立つ姿は、隙のない美形という印象だったが、話に加わると一気に人懐こい笑顔に変わる。一見したところは三十歳前後だろうと思っていたが、いきなり幼い印象に変化したことへ驚いた。それがまたなんとも可愛らしく、目を奪われたのは、どうやら俺一人ではなかったらしい。
「伊織、食器の使い方教えてくれるんだろ!? 何ボーっとしてるんだよっ!」
「あ……ああ、悪い。ええと……」
 フォークを握りしめたままウェイター氏に見惚れていた進藤先生が、慌てて慧生にナイフとフォークの持ち方を指導した。
「こいつ、こう見えてイタリアンカフェでウェイターやってるんですよ。ときどきケーキ作ったりもしてるみたいで。ええと、西峰寺門前の『Cappuccino』って店なんですけど、知ってます?」
「ああ、あの煉瓦塀の素敵なお店ですか? 存じてます。興味はあるんだけど、なんだかいつも女子高生でいっぱいで、一人では入り辛いんですよね」
「ああ、わかる。俺もコイツがいなきゃ、ちょっと辛いかもなあ。でもウェイターさんなら、彼女とか連れていけばいいじゃないですか。いるでしょ?」
「いいえ、いませんよ」
「うっそだぁ〜、カッコイイのに」
「お客様こそ」
「何勝手に人の店バラしてんだよ、秋彦もとっとと食え!」
「慧生、会話もマナーのうちだぞ。乱暴な言葉遣いは……」
「ふん、どうせ僕はマナーも知らない無教養な貧乏人だよ。こんな高い店は元々縁がないんだから、仕方ないだろ」
「だから俺が教えてやると」
「綺麗なウェイターに見惚れて鼻毛を伸ばしてることは、マナーのうちなのかよ!」
「なっ……ちょっと、考え事をしていただけだろ。そりゃ、たまにはうっかり鼻毛が伸びていることもあるだろう。俺は当直だ、山林警備だで、プライベートなどないに等しいのだから、そのぐらいは許してくれ。だが、今は伸びていない筈だぞ。大事なデートを控えて、出てくる前にちゃんとチェックをしてきたから、それは間違いない……」
「香坂は恐らく鼻の下が伸びていると、言いたかったのじゃないかと俺は思う」
 どこかピントのずれている痴話喧嘩を始めた目の前のカップルについて、隣の峰がボソボソとした声でツッコミを入れていた。なぜか俺に向かって。
「そう思ったのなら、当人に言ってやれよ」
「俺はこの先生をよく知らない」
 峰は超イケメンのくせに、どうしようもないコミュ障野郎だった。
 そのとき。



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