「ああ、いたいた。いらっしゃい秋彦君」
聞き覚えのある明るい声が聞こえて、入り口から黒いスーツを着た男が入ってきた。
「こんばんは、黒木さん」
男はここ、グランドイースタンホテルの営業本部長をしている、黒木和彦(くろき かずひこ)氏である。
「あれ……個室って聞いたけど、彼と二人じゃなかったのかい? そちらは?」
黒木氏が意外そうな顔をして、テーブルの顔ぶれを見る。最初の彼は、間違いなく俺の隣に座している峰のことだろう。そして、あとの二人が目の前で鼻毛について痴話喧嘩中の慧生と進藤先生だ。
「ひょっとして……そうか、なるほど」
黒木氏の言葉をきいて、何かを納得……というか、半分は勘違いしたらしいウェイター氏が、人差し指で最初に慧生と進藤先生を結び、次に俺と峰を結んでひとつ頷いた。
「ええと、こっちは友達の香坂慧生で、お隣が女子大病院の進藤伊織先生です」
勝手にどこまで言ってよいものかわからなかったため、とりあえず一般的な肩書だけ紹介すると。
「伊織は僕の恋人です」
そう言って慧生が進藤先生の腕を引き寄せて、ウェイター氏を睨みつける。銀トレーを小脇に挟んだウェイター氏が、やっぱりと言いたげに掌を拳でポンと叩くと。
「なるほど。……ごめんなさい、和彦さんのお知り合いだって聞いていたから、特別室にお通ししたけど、お部屋分けたほうがよかったですね」
ウェイター氏がすまなそうに苦笑した。
「そうみたいだね、風雅、小さくてもいいから個室開けられる? 二人きりの方がいいよね」
その後すぐにウェイター氏……あとで黒木氏から聞いたところのよると、名前を狩尾風雅(かりお ふうが)と言うらしいのだが、風雅さんが厨房に戻って部屋を調整しようとしてくれたらしいのだが。
「悪かったね、せっかくのデートだっていうのに」
生憎個室はどこも埋まっており、なぜか俺を見て黒木氏が謝ってくれた。
「いや、まあ……どうせこのあとは、別々の部屋に泊まりますし、きっとあいつらも納得してくれるでしょう」
そう言いつつ峰の様子を窺うが、とくにこちらの会話を気にしている様子はない。目の前で慧生達は、相変わらずギャアギャアと喧嘩中である。慧生達が五月蝿いせいで、ひょっとしたら俺と黒木氏の会話が聞こえていないのか、聞こえていても気にしていないのか。どうでもいいような、どちらでも気になるような……自分で自分の気持ちがよくわからない俺だった。
「あとで風雅から、何かルームサービスでも持って行かせるよ」
「そんなお構いなく……俺達クジのタダ券でお邪魔してるだけですから」
そして俺達四人は、そのまま特別室で食事を済ませることになった。