食事が終わり、各自の部屋へ移動した。
「うわー、さすが五つ星! お、バルコニーとかあるぞ」
俺達の部屋は中庭に面したデラックスツインとのことで、通常のツインルームと正確にどう違うのかは、比べてみないとわからないが、恐らく間取りが少しゆったりとしている。
「荷物ぐらい片付けろ。……お前窓側のベッドでいいか?」
クローゼットだのバスルームだのを、バタンバタンと開けながら聞かれたので、こちらも適当に返事をする。峰はおそらく部屋に問題がないかチェックしているのだろう。そういえば、修学旅行で一緒になったときも、彼はシャワーからちゃんと湯が出るかとか、トイレは問題なく流れるかとか、あれこれひとりで点検していた。つくづく几帳面というか細かい男だ。ちなみにそのとき俺は、眼下に広がる異国情緒に溢れた景色を前にして、ひたすらはしゃいでいた気がする。
インターフォンの音が聞こえた。
「ああ、俺出るわ。……はーい」
バスルームに籠っている峰の代わりに、ドアを開けて来訪者の応対をする。
「いきなりごめんね。お邪魔じゃなかった?」
「風雅さん……でしたっけ。ええと、どうかされました?」
部屋の前に立っているのは、ラセールで俺達のテーブルに付いていたウェイター、狩尾風雅だった。
「これ、よかったらどうかなと思って」
そう言って風雅さんは、手に持っている小ぶりなトレーを差し出してくれた。そこには白いティーポットとソーサーに載ったティーカップが二客。さらに美しいパッケージのクッキーが二枚添えてあった。
とたんに、レストランでの会話を俺は思い出す。確か、個室をもう一部屋準備できなかったことを気にした黒木氏が、あとでルームサービスを持って行かせると言っていた。
「うわ、どうも……ええと、こんなことして頂かなくてもよかったのに」
「いやいや。ところで、彼は中?」
部屋の奥へ軽く視線を走らせながら風雅さんが訊いてくる。
「峰ですか? 風呂ですけど」
トレーを受け取りながら俺は応えた。すると風雅さんは、一瞬だけ軽く目を見開いて、すぐに納得したような顔になり。
「そっか、間に合ってよかったよ」
綺麗な顔でニコニコと笑った。
「へ?」
会話の流れがわからない。俺と話している筈なのに。
「じゃあ、楽しんでいってね」
「はい、ありがとうございます。ええと、あの……」
お茶が何に間に合ったのか訊こうとしたが。
「僕はもうあがるけど、何かあったら遠慮なくフロントに連絡してくれる? 君達は黒木の大事なお客様だって言ってあるから、大概のリクエストなら応えてくれると思うよ」
話の矛先が既に変わっていて、諦めた。
「大概ってたとえば?」
頼んだらビクトリーイレブンのPSPを持ってきてくれたり、宿題やってくれたりするのだろうか。
「ローションやゴムはもちろん、ローター、ディルド、リングに指サック、手錠やアイマスク、拘束具、電動アナルビーズなんていうのもあるよ」
「いつからグランドイースタンはラブホになったんですか」
普通のラブホに手錠や拘束具の用意があるかは、行ったことないから知らんが。
「たしかに最近は少なくなったけど、臨海公園駅前あたりなら、今でもSMルームがあるラブホも、探せばあるかもね。電動アナルビーズまで用意してるところが、どれだけあるかはわからないけど……まあ、それは冗談として、冷めないうちにどうぞって、彼氏にも言っておいて」
そう言って風雅さんはヒラヒラと手を振ると、エレベーターホールへ戻っていった。
「SMルームなんてあるのか、っていうか風雅さんは電動アナルビーズを使ったことがあるのだろうか……」
今度それとなく聞いてみようと思いながらドアを閉める。それにしても、これは予想を裏切る展開だ。さりげなくルームサービスを持って来てくれる繊細さの恩恵に与った直後で、同じ口からセックスアイテム名称の羅列を聞かされるとは。人は外見や余所行きの顔で判断してはいけない証左である。
「電動アナルビーズがどうかしたのか? ん、紅茶とクッキーか、これ」
漸く風呂場から峰が出てきた。
「よう、ご苦労さん。風雅さんが持って来てくれたんだ。匂いからすると、紅茶じゃなくて、カモミールか何かっぽいな。今飲むか?」
「そうだな。まだ荷物の片付けがあるが、入れておいてくれたら、適当に飲む。ところで、秋彦は電動アナルビーズに興味があるのか?」
「その会話はすぐに忘れてくれ、気を回しすぎる風雅さんのトークについていけず、暴走させてしまった俺がいけなかったんだ」
ついでに、これは黒木氏に対してもそうなのだが、どうもこの男との関係を、すっかり誤解させているらしいと今更気付いた。
会話が常識の範囲内で済む黒木氏は、大したリスクにも繋らないのだが、風雅さんに関しては、明日朝一にでも誤解を解いておいたほうが今後の為だろう。学校帰りにうっかり道端で会ってしまった風雅さんから、友達の前でいきなり峰を彼氏扱いされたらたまらない。さらにアナルビーズなどと口走られようもんなら、巡り巡って耳にしたまりあちゃんが、俺の家を爆破しても文句は言えないだろう。いや、その場合、そもそもまりあちゃんがアナルビーズを知っていること自体に大きな問題があるのだが……それはそれで考察を要する深いテーマだ。
「なるほど、気を回し過ぎた結果か。で、俺はフロントから電動アナルビーズを借りてきたほうがいいのか」
何を納得したものか、峰が真面目な顔で純情な妹がマジ泣きそうなことをのたまった。
「止めはしないが、おそらく借りられないと思うし、そんなものを貸してほしいと、どのツラをさげてお前がロビーで言うつもりなのか気が知れない。ちなみに本当に借りてきたら、二度とこの部屋へ入れないぞ」
「年の瀬に野宿は勘弁したいな……じゃあ電動アナルビーズはまたの機会にしよう」
「寒さの問題だったのか……」
もちろん、またの機会などありはしない。あってたまるかっつーの。
気を取り直す。