せっかくなので、風雅さんが持って来てくれたお茶を貰う事にした。白い陶器の蓋を開けてみると、ティーポットの中にテトラポット型をしたバッグが二つ入っている。ふんわりと甘い香りが立ち上り、ギザギザと苛立った神経がゆるやかに解れてゆく気がした。細い注ぎ口をカップへ傾けると、穏やかな湯気を立てながら、艶やかな陶器が薄黄色の液体で満たされていく。予想通り、中身はカモミールティーのようだが、僅かに柑橘っぽい爽やかな匂いが混じっている。オレンジピールあたりが、ブレンドされているのかもしれない。
「峰、お茶置いとくぞ」
 声だけかけると、俺はカップを持って窓際へ移動した。
「おう、サンキュ」
 鞄をクローゼットへ仕舞った峰がテーブルへ近づき、残されたカップを手に持つ。
「なあ峰、あそこなんかあるぞ」
 時刻は午後八時を回っていた。
 グランドイースタンホテルは、クリスマスこそ過ぎたものの、年末年始にかけて色々とイベントや企画を用意しているらしかった。その一環ということなのだろうか。工夫を凝らした照明で煌々と明るく、広い中庭の真中あたりが、一際眩しく輝いているのを、俺は発見していた。おそらくイベントスペースなのだろうと察しながら、バルコニーへ近づいてみると、ガラス窓を開けた途端、冷たい冬の空気と共に、楽しげな音楽と、ときおり沸き上がる賑やかな歓声が風に乗って伝わってきた。
「何かって何だ」
 物事に動じない峰が、興味なさげに返してくる。その声が少し籠っていて、またバスルームで何かしているのだろうとわかった。
「ショーかな……沢山人が集まってるぞ」
「ふうん」
 どうやら峰は関心がなさそうだった。
 俺はバルコニーの手摺りに体重をかけ、右側の部屋の様子を窺ってみる。
 締めきられたカーテンの隙間から、薄く漏れている仄明るいライト。あちらも淡々と一晩の快適空間を整えているのか、それとも既に甘い雰囲気に浸っているのか。
「いくらなんでも寝るには早い時間だよなあ……っと、峰!?」
「噴水が上がっているな」
 突然耳元で喋られて、俺は首を竦める。
「やめろって……ちょっとっ……零れる」
 さらに後ろから回された腕が胸と腹を這いまわり、怪しげな動きを始めていた。完全に油断していた俺は、大いに慌てる。右手に持ったままのカップから、パシャパシャとお茶が零れて俺や峰の手を濡らした。何の前触れもなく、この展開は反則である。付いていけない。
「電動アナルビーズを買いに行くか?」
 おまけに何を言い出すかと思えば。
「冗談に決まってるだろ、あんなの……っていうか、峰っ!?」
 腹を探っていた手がスルリと後ろへ周り、尻を撫でられて焦った。ゾクリと身体で何かが蠢く。やばいと感じた。
「なあ、秋彦……」
 低い声で名前を呼ばれる。口唇が耳に押し付けられ、湿っぽい吐息が敏感な皮膚を刺激する。
「やめろ、馬鹿っ……」
 フリーになっている肘を後ろへ突き出し、峰の身体を押し返すと、すぐに彼から距離を取った。
「ダメか……」
 そう言って、峰が軽く息を吐く音を聞かせる。
「あたりまえだろこんなの。だいたい……あいつらだっているし……」
 心臓がドキドキと鳴り続けている。峰に触られて、これほどまでに感じたのは初めてだ。風雅さんと、ああいう会話をしたあとだから、エッチなことへ敏感になっていたのかもしれないが、もう少し強引に押し切られていたら、あるいは応じたかもしれない……それは絶対にあってはならない。
 それにしても、峰があからさまに仕掛けてくるとは、予想もしていなかった。おそらく峰も、俺と風雅さんの会話に触発されただけか、あるいは冗談半分だったのだろうとは思うが……いや、果たしてそうなのだろうか。
「隣の部屋にな。お前それって、拒絶理由になってないだろ。まあいいや、……なんか、歓声が凄いな。行ってみるか?」
 そう言うと峰は、先ほどまで俺が乗りだしていたあたりの手摺りへ肘を突き、彼の方からさっさと話を変える。
 淡々とした口調。あっさりとしたものだ。これではまるで、意識していたのは俺一人のようで、釈然としない。
 とにかく峰の提案により、俺達は中庭へ下りることになった。
 先に部屋へ入った峰は、まだベッドへ置きっぱなしになっていたジャケットを拾い、腕を通している。肌には峰が残して言った感触が、まだ生々しく残っており、俺の動揺は暫く収まらなかった。



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