「おーい慧生ー、出て来いよー。遊びに行こうぜー」
 ドアをトントンすること約一分間。
「その辺にしておかないか……」
 早くも待ちくたびれたらしい峰が、隣で退屈そうに腕を組みながらその様子を見ている。日頃は俺よりもよほど気が長い奴だというのに、珍しい。
「えーいせーいっくう〜ん、あっそびぃましょぉ〜♪」
 俺は童心に帰って可愛く誘ってみた。
「アホだな……」
 だが、無慈悲なクラス委員長に一言で貶められ、しかも口の動きで「わかってはいたが」などと、すぐ隣で続ける傍若無人ぶりに気付いてしまう。コミュ障で鈍感なこの男の、人を舐めきった態度が気にならないわけではないのだが、それをいちいち相手にしてつっかかるほど子供ではない。俺もこの春には高校を卒業し、成人期を見据える世代に入るのである。
 そして不屈の精神と無限に沸き出ずる豊富な俺の発想力が、今こそ、電光石火のごとく天才的閃きを見せた。
 古来瑞穂の国には、押してダメなら引いてみよという格言がある。つまるところそれは、キューティーに迫って目の前の扉が開かないなら、脅し凄んでみろという隠喩に他ならないわけである。
「おるのはわかっとるんや〜、電気メーターくるっくる、くるっくる回っとるがなー、大人しゅう観念して出てこんかぁ〜い」
 声にドスを利かせなぜか関西弁になりつつ、ジーンズのポケットに両手を突っ込み腰を落としたガニ股で、ヤクザちっくにドアなんかを蹴ってみる。
 すると。
「ホテルなんだから、電気メーターは二十四時間回っていて当然だろ。というより、一般家庭でも普通は冷蔵庫があるんだから、留守でも電気メーターは回っているものだ」
 ノリの悪い峰が、Vシネファンが興ざめするようなツッコミを入れてきた。無視されるか、鼻で笑われると思っていたから、ちゃんとしたリアクションを返してきたことに驚いたが、いつ電気メーターを確認したのかというわかりやすい突っ込みどころが、全力でスルーされている点だけ残念でならない。それとも、敢えて触れずに、こちらからツッコませる算段だろうか。
 いずれにしろ、肝心の相手からウンともスンとも返事がないのでは、意味がない。
「畜生、無視しやがって……」
「お……、おいお前……」
 珍しく、峰がうろたえた声を出す。そして。
「あ、もしもしえいせ……って、切りやがったっ…………!」
 突然手首を掴まれる俺。
「秋彦、行くぞ」
「ん……?」
 峰に手を引かれ、部屋の前から足を踏み出しかけた途端、カシャリという解錠音が聞こえ、スピーディーに扉が開かれた。出てくる人間とぶつかりそうだと思い、咄嗟に俺は大きく一歩退く。
「一体……どこの取り立て屋だ……!」
 解放された扉の向こうには、腰にバスタオルを巻きつけた進藤先生が、不機嫌全開の顔で立ちながら、まっすぐに俺を睨みつけていた。いつもは整髪料で撫でつけられている短めの黒髪が、少し乱れており、なぜだかそれが妙に色っぽい。
 そして手に持っているのは、恐らく慧生の携帯電話。
「ねえ、伊織……どうかしたの……?」
「馬鹿野郎、出てくる奴があるか!」
 向こう側から顔を覗かせようとしたのは、言うまでもなく慧生である。その甘く可愛らしい声が聞こえるなり、血相を変えた進藤先生が慌てて慧生をどこかへ押し込んだ。
 位置的にみて、それは間違いなくバスルームであり、一瞬だけ見えた慧生は、どう見ても全裸で、髪もくったりと濡れていた。
 つまり、二人は、たった今まで仲睦まじく共にバスタイムを楽しんでいたわけで、そこへ五月蝿く廊下で騒がれ、何事だと先に出てきた進藤先生が、今度は鳴りだした慧生の携帯を見付け……。
 進藤先生が再び俺達を振り返る……違う、俺を見つめている。矢の如く鋭くまっすぐに。その双眸に、紛れもない殺意を見付ける俺。
「お……お邪魔、しました……」
 頭を下げながら恐る恐る退くと、くるりと右向け右をして、一目散でエレベーターホールへ全力疾走した。
「だから、言ったんだ……」
 付いてきた峰が、呆れたような声でそういうと、静かに後ろで溜息を吐くのが聞こえた。

 

 中庭に出てみると、飾りつけられた照明がいっそう目にキラキラと華やかで、美しく輝いて見えた。
「結構寒いな」
 昼間は天気がよかったせいか、それほど気にならなかった風が、日が落ちてぐんと気温が下がったこともあり、今は肌を突きさすように冷たく感じられる。吐く息もかなり白い。俺は思わず背を丸め腕を両手で擦る。
「セーター一枚で出てくるからだ。これを着ていろ」
 ふわりと背中が温かくなる。
 峰の体温で温もったジャケットを、肩からかけられていた。慌ててそれを脱ぎ、峰に返す。
「いや、それじゃあお前が寒いだろうが。いいよ、べつにただの散歩なんだし、歩いてりゃじきに温もる」
「それなら俺も同じことだろ、俺はべつにこのままでも、大して寒くはないからお前が着ておけ。あそこがイベントスペースみたいだな」
 そう言うと、TシャツにVネックセーターという軽装の峰が、俺を追い越して先に行ってしまった。どうしたものかと手にしたジャケットを暫し眺めるが、いらないと言われてしまうと手に持っているのも妙に感じられ、複雑な心境のまま、俺には少し大きいジャケットを有難く羽織ることにした。
 中庭を歩くこと数十メートルほどで、明るいイベントスペースに到着する。
 眩しい照明に続いて目に入ったのは、バルコニーからでも気が付いた噴水だ。予めプログラミングされたカクテルライトが、音楽に合わせて噴き上がる水の動きを彩っている。
 軽快なジャズは、傍らのステージのバンドによるライブ演奏で、ときおり聞こえていた歓声は、テクニカルなプレイを見せてくれる奏者へ、集まった観衆が送っていたものだったのだ。
 曲のつなぎ目がやってきて、ふたたび聴衆から拍手と歓声がバンドへ送られる。間に1メートルほどの通路を挟んで、二つのブロックに分けられた客席には、半分ほどの観客が集まっていた。
「この辺なら、バンド演奏も噴水ショーもよく見えそうだけど……もう少し前の方がいいかな?」
 峰に声をかけながら、辺りを見回していると。
「おや、秋彦君じゃないか」
 すぐ近くから知った声に名前を呼ばれて、俺は足を止めた。



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