受話器を置いた私は風雅を立たせ、リビングへ移動してソファへ座らせた。
フロントから連絡を受けたN県警が、ほどなく到着するだろうし、検証のために現場を保全したい理由もあったが、それ以上に風雅がコウという青年の遺体を、あれ以上眺めている姿を見たくはなかった。
十分ほどが経過して、部屋の入り口が騒がしくなる。
「警察の人たち?」
「たぶんな」
いくらか落ち着いた風雅の声を聞いて、私は安心したが、当人は不安をいっぱいにした顔で、玄関に続く廊下を眺めていた。
当然だろう。
情状酌量の余地があるとはいえ、殺人で無罪放免はありえない。初犯だろうが、代議士の息子だろうが、実刑は免れまい。怖い筈だ。
「なんだこりゃ……部屋だらけっすねー。……ああ、どうも」
背の高い、二十代半ばぐらいの若い刑事に挨拶されて、こちらも軽く会釈を返す。
「現場はこちらでよろしいですか」
「お疲れ様です。ドアが半開きになっている、奥の寝室ですよ」
続いて、三十代前半ぐらいの眉が太い、がっしりとした体型の刑事に場所を確認されて、目線で促した。その後ろから、彼らを案内してくれたらしい板垣が顔を覗かせ、マスターキーを手にしたままリビングへ入ってくる。
「N県警の江藤潔(えとう きよし)刑事と丸山吾郎(まるやま ごろう)刑事です。……ええと、こちらが狩尾様ですよね? その、たぶんですね……これから……」
「わかってる。……なんか、また呼んでるみたいだぞ」
言いにくそうに風雅へ、これから彼を待ち受けているであろう処遇について説明しようとしていた板垣を促し、刑事達の元へ追いやった。
いつのまにか入り口は騒がしくなっており、警官や他のホテル従業員達が忙しく出たり入ったりを繰り返している。白衣の姿もあった。それがグランドイースタン内で営業しているクリニックのドクター、三重野春雄(みえの はるお)だということに、私が気付いたのはもう少しあとの事だ。
廊下を見たまま、ぼんやりとしている風雅。抜け殻のような頼りない姿を見て、無意識に私は彼の手を握りしめていた。
「黒木……さん。……あの……えっ?」
「大丈夫だから」
「黒木さん……」
引き寄せた身体は想像以上に細く、それが体質のためなのか、あるいは悪い恋人に強要された麻薬や手酷い扱いで、食事を受け付けなくなったせいなのかはわからない。だが、おそるおそると言った感じに自分の背中へ回された腕や、胸に押し付けられた細い肩が小刻みに震え、その様子が痛々しく、守ってやりたいと思わせられた。
「何もかも、正直に話せばいい。そしてちゃんと罪を償うんだ」
「うん……ちゃんと償う……それしかできないよね……」
「待っててやるから」
そして私は、気が付いたらそんなことを彼に言っていた。
「黒木さん……?」
風雅の肩がピクリと跳ねたのがわかる。
「ここで俺が、お前のこと待っててやる。だから、必ず会いに来いよ」
「……はい」
いつのまにか肩の震えが止まり、そのまままるで安心したように風雅は落ち着いた。そう見えたのは、気のせいではない筈だった。
しかし。
「ええと、あの……お取り込み中ですかね……」
いつのまにか、板垣がふたたびリビングへ戻っており、気不味そうに声をかけてくる。次の瞬間、慌てたように風雅が姿勢を戻した。
「なんだ、ひょっとして刑事さんが呼んでるのか?」
いよいよ風雅の事情聴取が始まるのだろうか。だとすれば、さぞかし不安に違いあるまいと思い、もう一度風雅の手を握ってやると。
「いえ、あの……マネージャー、さっきから一体何やって……まあ、いいや。とりあえずっすね……仙崎様が怪我をされているので、三重野先生に来て頂いて処置をお願い致しました。出血のわりに傷口はそれほど大きくないみたいっすが、頭の怪我っすし、いちおう救急車を呼んであるっす。今は意識が戻られて、刑事さん達とお話をされてますが、なんだかぼんやりしていらっしゃるので、さきに狩尾様とお話をされたいみたいっすよ。……それからっすね、江藤刑事がマネージャーからも話が聞きたいそうっす」
「俺と?」
江藤刑事というと、あの眉の太いがっしりとした男の方だろうか。彼の顔は先日、泰陽文化大の学生が薬物売買で逮捕されたときに、何度かテレビで見かけた覚えがあったが、この時の私は、たった今、板垣から聞かされた話を頭で整理することで精一杯だった。とりあえず短く返事だけする。
「はい。あの……あまりに通報内容と違うんで、発見当時の状況を聞きたいそうっす。……それと俺からひとつアドバイスっすが、一体どんなドラマティックな状況で、何の誤解があったのかは知らないっすけど、目の前でゲストが倒れているんすから、まずはドクターを呼びましょうよ」
「すまん……」