この日は峰の両親とも外出しており、帰ってくるのは明日か明後日か分からないと峰は言った。
広い食卓に峰とまりあちゃん、そして俺の三人。
いつもなら二人きりなのだろう。
それが峰家の日常。
俺は早くに両親を亡くし、引きとってくれた冴子さんと英一さんに育てられているが、淋しいと感じたことはない。
そりゃ両親に会えない淋しさはあるし、亡くしたときのことを思い出すと今でも辛くてたまらない。
英一さんはしょっちゅう海外を飛び回っているし、冴子さんも忙しい。
だが、どこかで繋がっているという連帯感がある。
一方峰家はどうだろう。
両親が揃い、兄妹がいるが、どこかこの家は淋しいのだ。
峰はまりあちゃんを可愛がっているが、ちゃんと向き合っているだろうか。
まりあちゃんは峰に懐いているが、なぜ心が壊れてしまっているのだろうか。
その夜は峰から毛布を借り、応接間のソファベッドで寝ることにした。
夜中に、喉の渇きを覚えて台所で水を貰う。
廊下へ出ると少女の人影。
まりあちゃんだった。
パジャマの胸に何かを抱え込んでいる。
妙な胸騒ぎを覚えて後を付けると彼女はバスルームへ入っていった。
躊躇したが、そのまま続いて入る。
彼女は脱衣籠の前へ蹲り、城陽の刺繍が入ったカッターシャツを泣きながら裁断鋏で切り裂きはじめた。
「まりあちゃん・・・?」
まりあちゃんはハッとした顔で声をかけた俺を振り返る。
「どうして・・・」
俺が近付くと、まりあちゃんは立ち上がって一歩後ろへ下がった。
「それをよこすんだ」
「近付かないで・・・近付くと、あなたも切るわよ」
「どうしてそんな真似をしてるのか判らないけど、君は峰が好きなんだろう? だったら、もうやめようこんな真似は・・・」
「あなたに何が判るの? ・・・淋しかった、・・・ずっと、みんなあたしから離れて・・・」
こずえちゃん・・・?
「君は・・・苛められていたのか?」
まりあちゃんは何も言わない。
「どうしてまりあちゃんに付いてるんだ? 友達なのかい? それともまりあちゃんも君を・・・」
動揺し始めたまりあちゃんに俺はゆっくりと近付いていった。
まりあちゃんは脱衣籠と壁に阻まれて逃げ場がなくなっている。
裁断鋏を持つ手が震えていた。
「来ないでって言ってるでしょ・・・」
「俺には君の苦しみが理解できない。たぶん、君が生きていて俺のクラスメートだったとしても、君の辛さに気が付けない部類の人間だ。でも君がまりあちゃんにこんなことをさせているのは、なぜだか見過ごすことができないんだよ。変だよな・・・峰は友達ってほどでもないし、まりあちゃんがいくら可愛いと言ったって、クラスメートの妹でしかないっていうのに。ただ、誰かが苦しんでいるのを知っていて、黙ってそれを見ていられるほど無神経になれないんだよ」
まりあちゃんが震える両手で、鋏をぎゅっと胸に握り締める。
それは、まるで鋏が彼女の身を守ってくれるお守りのような、あるいは共存しているのであろうこずえちゃんの魂に流されないようにと、必死で戦っているようにも見える。
まりあちゃんは何も言わない。
「君がここにいて、まりあちゃんにさせていることは、君にとってどれだけ意味があるのか判らない。でもそれによって、俺は少なくとも三人の人間が傷ついていることを知っている。一人は峰。一人はまりあちゃん。そして・・・たぶん君自身だ」
その瞬間はまるで夢のようだった。
不意に視界が暗くなり、同時に耳を劈くような悲鳴。
腹の辺りにじわりと広がってゆく、熱く濡れた感触。
どこからともなく現れたおかっぱにカチューシャの大人しそうな少女が、俺とまりあちゃんの間に立ちはだかっていた。
ブラックアウト。
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