2週間ぶりに登校した学校では、すでに期末試験が終わっていた。
俺は追試を受けるハメになり、どうやって一条に摩り替わってもらおうかと考え始めた。
「ハイこれ」
「おう、江藤ひさしぶり。・・・ん、何これ?」
「見たら分かるでしょ、ノートよ。ちゃんと休んだ分コピーしてあるから、勉強すんのよ」
それはカラーコピーで再現された、江藤らしく几帳面なノートが束になっていた。
「コレは・・・?」
ところどころにカラフルな付箋がつけてある。
「テストの範囲よ。あんたただでさえ成績悪いんだから、真面目に勉強しなさいよ」
「ふ〜ん・・・お前って意外に優しいんだな」
急に江藤が慌てだした。
「べっ、べつにあんたのこと心配してやってるわけじゃないんだからね。ただ、クラス委員として・・・もう、いいから、ちゃんと勉強しなさいよ!」
江藤はプイッと踵を返すと、とっとと自分の席に着いた。
「すげー、分かりやすいツンデレ・・・」
あれから俺はすぐに病院へ搬送された。
救急車を呼んでくれたのは峰で、俺は血だらけになって意識を失い、そこに倒れていたらしい。
なんでもまりあちゃんが泣きながら峰を自分で起しに行ったのだそうだ。
傷は急所を外していたもののわき腹を抉っており、5針縫った。
鋏を避けようとしてザックリ切った両手も、1週間以上使い物にならなかった。
俺はあの時の光景を思い返してみる。
正気ではなかったまりあちゃんの鋏は、俺の胸か腹の真ん中を狙っていた。
向かってこられた瞬間はもう駄目だと思った。
おかっぱにカチューシャの少女・・・あれはまちがいなくこずえちゃんだ。
突然現れたこずえちゃんが、俺とまりあちゃんの間に立ちはだかり・・・俺を救った?
いや、まりあちゃんの人生を救ったのだろうか。
では、まりあちゃんは、あのときずっとまりあちゃんのままだったのだろうか。
考えても答えが見つかるはずもなく、見舞いに来てくれた江藤に言わせれば、そもそもこずえちゃんが憑依してまりあちゃんに凶行を行わせる理由がないと言う。
そう言われたらそうだ。
峰を陥れているのは間違いなくまりあちゃん。
あの場でカッターシャツを切り裂いていたのも、当然まりあちゃんの意志だろう。
正気を失っているように見えたから、俺はてっきりこずえちゃんに取り付かれているのかと思ったが、何から何までまりあちゃん一人でやったことと考えた方が自然だった。
では、江藤が見たものは?
退院間際になって峰がやってきた。
「すまんかったな」
相変わらず口数の少ない男は、簡素な言葉で侘びを述べた。
「べつに俺が勝手にやったことだし、謝られる理由なんてねえよ」
不意に峰がベッドの端へ腰掛けると、しばらく黙り込み、そしてポツリポツリと語り始めた。
こんなこと、前にもあった。
「まりあを追い込んだのは俺自身だ。おれはまりあを守ってやりたいし、笑っていて欲しい、今でもそれは変わらないんだ。でも、ときどきまりあが重荷になっている自分に気が付く。二葉を退学したのは、まりあのためだと言いつつ、本当は俺自身がその重さから逃れるためだった。まりあは多分、それに気が付いたから俺を・・・」
峰はハァーっと溜息を吐いて、膝に肘を突いた両手を構えると、その掌に自分の顔を埋めた。
「正直、あいつをどうしていいのか分からないんだ・・・。お前にまでこんな酷い傷を負わせて、俺はまりあをこのままにはしておけない・・・やっぱりちゃんと罪を償わせて専門家に・・・」
「被害者がいいって言ってんだ、それは必要ない」
「だが」
「しつけーぞ。お前はこれでも食ってろ」
一喝すると、まだ何かを言いたそうな峰に、江藤が置いていったリンゴを手渡した。
受け取った峰はシャツの裾でキュッキュと擦り、皮ごと齧った。
やっぱり野蛮な奴だ。果物ナイフが出しっぱなしになってるというのに。
それともまさか、ナイフも使えないのか?
実際、傷害で逮捕されたとしても、14歳なら少年法が適用され、大したことにはならないだろう。
だが俺はあのとき、まちがいなくまりあちゃんを煽っていた。
誘発させた立場として、彼女に前科の十字架を背負わせるのは堪えられなかった。
「まあ、専門家に見せるってのは反対しないけどな。だがその前に、お前はちゃんと本人と話をしたのか?」
「話して分かるような状態じゃない」
「どうしてそう思う」
「あいつは俺の前ではいつだってニコニコ笑って甘えてくる。その一方で俺を傷つけようとするんだ。話したって誤魔化されるだけだろ」
「それはお前の思い込みじゃないのか」
「・・・どうかしてるんだよアイツは。多分・・・俺もな」
「お前、金属アレルギーだって言ってたよな」
「ああ。・・・それがどうかしたか」
「初めてお前ん家に行った時、おばさんが紅茶とパウンドケーキを出してくれただろ。そこに18金のスプーンとフォークが付いていた。合金はアレルギーを引き起こすよな。お前はあのとき、どちらも使わず、手づかみでケーキを食べて、ストレートでお茶を飲んだ。それって、お前のアレルギーが少し画鋲の針に触れただけで真っ赤に炎症するほど酷いからだろ? そんなお前に、おばさんは18金のスプーンとフォークを平気で出していた」
「おふくろは俺の症状が悪化してることを知らないからだよ。小さい頃は全然平気だった。でも中学に上がったぐらいにアレルギーが出てきて、卒業する頃には合金に触るだけでも赤くなるぐらいになっていた。だがおふくろは昔と違って、今はほとんど家にいない人だからな。俺のアレルギーのことをちゃんとわかってない。あんなことはしょっちゅうだ」
「でもまりあちゃんは違う。お前に陶器のティースプーンを出し、学校へ忍び込んで上履きに画鋲を突き刺すくせに、外すときのことを考えてわざわざ持ち手が木製になってるものを選んでる。・・・屈折した愛情だな」
それから峰は何も言わず暫くだまってた。
痛み止めが効いてきた俺はいつのまにか眠りに落ちていて、気が付けば峰はいなくなっていたが、なんとなく全てが上手く回りだすような気がしていた。
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