『予感』
9月も半ばをすぎたある放課後のこと。
俺、(はらだ あきひこ)は、学校支給のノートパソコンに向かいながら、机に肘を突き、文書作成ソフトへ数文字打ち込んでは削除するという、一見無駄な作業をひたすら繰り返していた。
机を挟んでその向こう側には、前の机に向かい、広げたノートへ何かを書きこんでいる峰祥一(みね しょういち)の背中。
彼の手元にはハガキサイズほどのコピー用紙が散乱しており、その全てに主にシャーペンで記入がある。
内容の殆どは単語の羅列であるが、いくつか文章も混じっているようだ。
俺の手元にも、同様の紙片が束である。
峰と俺は、それらの語群から言葉を組み合わせて、意味のある文章やフレーズへ変身させる作業に取り組んでいるというわけだ。
さて、国語の宿題でもないのに、なぜ俺達が放課後の教室でこんなことをしているのか・・・。
城陽(じょうよう)学院高等学校では来月初旬に、第六十七回だか七十六回だかの体育祭が開催される。
それに伴い、本日六限目のホームルームで、クラスメイト達の参加競技を決定し、同時に我が三年E組の体育祭テーマと、クラス紹介文を決めることになっていた。
体育祭テーマはいわば座右の銘とかスローガンのようなものであり、当日のクラス席へ立てる応援旗に書き込まれ、クラス紹介文の方は入場行進中に放送席で読んでもらう為のものである。
また、今年からはどちらも、当日の一般応援席へ配布されるプログラムに印刷されるのだそうだ。
俺と峰は、ホームルーム開始と同時に用紙を配り、そこへ適当に言葉を書いてもらい、その中からクラステーマと紹介文の両方を作る方法をとった。
皆が考えている間に各競技の参加者を決めてゆき、用紙が集まったら、黒板に書きだしてクラステーマと紹介文も完成させようという意味だ。
ところが、要領が悪かったのか、我が3−Eの皆さんの発想が豊か過ぎたのか、集まった単語というか、中にはポエムや政治的スローガンみたいなものもあったのだが、とにかく内容が散漫で自由度が高すぎて、結局少しも纏まらなかったのである。
「ったく・・・元気な日本とか、関係ねーだろーが・・・」
俺は1行目に大きく『CHENGI!』と書かれている1枚を指先で弾いた。
おそらく、我が国と同盟を締結している某国民主党大統領が、選挙中、効果的に訴え続け、日本でも一大ブームを巻き起こした有名なあの単語を書きたかったのだろう。
橋本範幸(はしもと のりゆき)君はわりとニュースや社会問題に意識が高く、ほとんどの教科で俺と良い勝負をしているのだが、英語が毎回赤点であるところが残念な少年だ。
ちなみに、俺といい勝負をしていること自体、褒められた成績ではないという意味なのだが。
それにしてもまったく、こんな簡単な単語の綴りを間違えるとは、どうやって高校まで進学してきたのか不思議だ、やれやれ。
・・・はて、いつかそんな嘲りを、この可愛らしい俺自身に浴びせかけた礼儀知らず野郎がいた気がする。
まあ、きっと嫌な夢でも見たのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると。
「適当に纏めてみたが、こんな感じでどうだ?」
前の席から、クソ憎たらしい失礼野郎に、粗末のノートの切れ端なんぞを突きつけられた。
「何だよ、ったく」
「何って・・・紹介文に決まっているだろう、何をそんなに怒っているんだ?」
珍しく峰が戸惑っていた。
そりゃあそうだろう。
こんな無神経な男に、俺の繊細なガラス細工の情動が理解できてたまるか。
まあ理解されたら、逆にびっくりして警戒するのだが。
「おう、文章が出来たのか?」
俺は思い出し怒りによる理不尽な八つ当たりを止めて普通に対応してやることに決めた。
「最初からそう言っているだろう。なんだ、腹でも減っているのか?」
「どれどれ」
俺は峰から裏表に記載がある用紙を受け取った。
峰は先ほどから、内容がバラバラである紙片の語群を、いくつかにグルーピングして、その中から組み立てる手法を試していた。
意味の近い語句同士を連結させれば、それなりの文章が完成するのではないかという発想だ。
俺はというと、峰に見捨てられた言葉たちの中から、クラステーマを考え中だったりする。
「とりあえず三つだけな」
「ほう、それは上出・・・」
そして言いかけた感想を即座に飲み込んだ。
(クラス紹介文 候補その一)
黄泉に眠りし暗黒のエクスカリバー
闇の力を解き放つがいい
我が11番目の人格(The 11th Mind)の覚醒
今こそ目覚めよ 邪鬼眼
血ぬられた十字架(Cross)に封印されし
冥界の覇者
「それは主に神林と大森あたりのアイディアを拝借させて頂いた」
「だろうな・・・」
神林はメタル好きで、ダークサイドの住人だ。
大森はゲームオタ。
「駄目か?」
「駄目じゃないとでも思うのか」
俺は文章の上に大きく赤ペンで『没』と書いてやった。
「じゃあ次を見てくれ」
峰は大して動じる様子もなく言ってのけた。
まあ、元々表情の少ない奴ではある。
(クラス紹介文 候補その二)
立ち上がれ 愛する故郷(ほし)を守るため
魂の咆哮を聞け 涙を見せるな
気高き稲妻の輝きを見せろ
傷だらけの戦士たちよ 恐れを捨てて
ふたたび飛び立つときが来た
Take Off 雄々しく翼を広げて
胸に刻んだ熱き誓い
暗き宇宙(そら)の救いの光となれ
「これは江角の投稿が元ネタか」
「よくわかったな」
江角は大森のゲーム仲間で熱い魂を持った男だが、どうやら今は宇宙からの侵略者と戦っているようだった。
「さっきからツッコもうと思っていたんだがな、いくら凝った当て字を嵌めこんでも、本番ではカッコ内の読み方しかアナウンスされないから、意味はないんだぞ」
「それはそうなんだが、とりあえず原作へ忠実に従ったまでだ。・・・これも不評みたいだな」
「というより、クラス紹介で気高き稲妻とかエクスカリバーとか言われても・・・。で、三つめは何だ」
俺は紙を裏返し、最後の文章を読んでみた。
(クラス紹介文 候補その三)
ただ生かされている
どうして歩くの
どうして食べるの
どうして息をするの
今日も目がさめた
失うのはこわい
生きるのはもっとこわい
真っ赤なリボンを首に結んだ
蝶々を追ってみる
消したいの
異形のあたしを
「どうだ」
「ひょっとせんでも根元か」
不登校気味の無口な女子で、今日は実力テストの為に2カ月ぶりで登校していた。
「やっぱりわかるか」
「まあな」
「なかなか詩的な文章だったから、全文引用させていただいた」
「そうか・・・とりあえず、近いうちに江藤へ、根元の話し相手になってこいと言っておくか。それとお前はもう少し、真面目にやれ」
言いながら俺はこの文章の上にも、『没』と書いた。
当然だ。
「至って真剣なのだが」
「嘘をつけ」
このふざけた文章のどこが真剣だというのだ。
「お前こそどうなんだ、そろそろひとつぐらい完成させたのか」
「うっ・・・」
「こっちは文章を考えているんだぞ。お前はフレーズだけでいい筈だろ」
「ぐぅ」
痛いところを突かれた。
ここで、お前が書いたものは文章というより、ポエムとか歌詞というジャンルにカテゴライズされるものだとツッコむこともできたのだが、2倍返しで屁理屈が返ってきそうな気がしたので止めておいた。
ふと、峰が俺の目の前の紙を1枚手に取って、声に出しながら読み上げる。
同時にマヨネーズメーカーか公共放送あたりの、有名なテーマソングが俺達の頭の中で再生された。
「茹でたジャガイモをマッシャーで潰します。次にフライパンで玉葱を炒め、透き通ってきたら挽肉を加えてください。肉がポロポロになりだしたら、フライパンにジャガイモを入れて綺麗に混ぜあわせましょう。火を消して、熱を冷ましてから、たねを丸めます。次は衣を付けます。小麦粉と溶き卵、パン粉の順にまんべんなく絡めて、中温に熱した油で狐色になるまでじっくりと揚げましょう。レタスやプチトマト、千切りキャベツなどとともにお皿に盛りつけて、出来あがりです。・・・・コロッケの作り方か?」
「こっちには直江勇人(なおえ はやと)オリジナル☆特製マスタードカレーのレシピもあるぞ」
コロッケやマスタード☆カレーからどのようなミラクルインスパイアを授かって、体育祭テーマを閃かせろと言うのだ。
というより、直江のオリジナル☆レシピは殺傷力が強すぎて、想像するのも恐ろしいじゃないか。
お前は大人しくカレー専門店『FLOWERS』のメニューだけ作っておけ!
「美味そうだな」
「直江☆オリジナルがか?」
聞き返しながら殺人☆レシピを手渡してやると、一瞬躊躇するような顔を見せつつ、峰は大人しく、その紙片を受け取った。
せいぜい、まりあちゃんにでも腕を奮ってもらいたまえ。
「お互い難航するな」
ボソッとした声でそう言い残して峰が再び机へ向かう。
俺もパソコンの前で頬杖を突きなおした。