タスクバーの常駐時計は、そろそろ七時を回ろうとしていた。
「なあ、こっちで適当に作っちゃ駄目なのか?」
「集まった意見を無視してって意味か」
「だってどう考えてもムリだろ。真面目に書いてる奴、殆どいねーし」
レシピだの、政治スローガンだの、ゲームの攻略の仕方だの、おちょくられているとしか思えない。
真面目に書いているのは、俺と峰と江藤里子(えとう さとこ)を含めて5人ぐらいだった。
江藤や峰はともかく、俺が他の連中の不真面目さを嘆く日が来ようとは、3−Eも大概終わっていると思う。
「まあ、そっちは・・・べつにいいんじゃないか? もともと、一言か二言の単語の組み合わせでしかない体育祭のテーマなんてものに、複数の意見を盛り込むこと自体が無理な話だろうし」
「ああ・・・」
言われてみれば、それもそうだった。
ならば、とそれらしい文言を考え始めたところで。
「せっかくみんなが知恵を振り絞ってくれたアイディアをガン無視して、お前の心が痛まないというのなら、俺は止めたりしないぞ」
思わずキーボードへ顔をぶつけそうになった。
言っていることが、矛盾しているじゃねーか!
さらに悩むこと数分。
俺のキーボードを叩く音も、峰がシャーペンを紙へ滑らせる音も、ピタリと途絶えていた。
「提出期限は明日の午前10時だったよな・・・」
持ち帰りにして、また明日決め直さないかと言いかけたそのとき。
「あら・・・ふたりとも、まだ残ってたの?」
後ろ側の戸をガラリと開けて、背の高い一人の女子生徒が入って来た。
「山村、お前こそ・・・ひょっとして、今まで委員会か?」
俺は振り向いて山村早苗(やまむら さなえ)に声をかける。
「まあね・・・まったく電気も点けないで。ひょっとしてお邪魔だったかしら?」
「アホ言え。・・・つうか、大変だな、毎日毎日」
「実行委員長だからね」
そう言いながら山村はまっすぐ教室の前まで歩くと、天井の照明を点けた。
途端に視界が明瞭になり、外が既に夜と言ってよい暗さになっていたことを思い知らされた。
パソコンに向かっていた俺はともかく、窓からグラウンドのナイター照明の光が差し込んでいるとはいえ、電気も点けないでよく峰は作業を続けていたものだと思う。
目が良い証拠なのかも知れないが。
山村は3−Eの体育祭実行委員で、本人が言ったとおり、本年度の実行委員長でもある。
本来であれば、俺達がやっている競技参加者の選定や、クラステーマと紹介文の作成は実行委員が担当しているクラスの方が多いのだが、委員会の運営と下級生委員の指導、及び教諭たちとの橋渡しや広報も兼任したりと、委員会が始まって以来彼女は毎日遅くまで学校に残っているようなのである。
ならば、せめてクラスのことは俺達が引き受けてやろうと思ったのだ。
「今日も草引きか?」
これは実行委員の全員参加で、ここ数日は毎日放課後に実施されている。
「うん。それとブログ更新」
「そういえば、お前、そんなこともやってたな」
委員会スタートと同時に始まったブログ更新。
これは今年から新しく開始した企画で、山村自身のアイディアだそうだ。
実行委員の活動報告を主な目的としており、体育祭への期待感を高める効果を見込んでいる。
その他にも山村は新種目に、バスケの3on3トーナメントを導入しており、今年の実行委員長は非常に積極的だと職員室でもっぱら評判になっていると、昨日、我がクラス副担任教諭の有村小五郎(ありむら こごろう)青年が胸を熱くしながら語っていた。
「あら、ひょっとしてまだ何も決まってなかったりする?」
山村が俺のノートPCを覗きながら言ってきた。
「そんなこと言ったってよぅ、この手駒から何を引き出せって言うんだよ・・・ったく、みんな少しは真面目にやれっての」
「あはははは・・・それも確かにそうね」
肩の長さで切り揃えたまっすぐの髪を揺らしながら、山村が笑った拍子に、眼鏡のレンズが少しだけ曇る・・・・おそらく今までずっと校内を走りまわっていたのだろう。
制服に包まれた彼女の身体からは、デオドラントか整髪料らしき甘酸っぱい香りが、熱に乗って微かに漂っていた。
「他のクラスからは、もう集まっているのか?」
峰が山村に聞いた。
「帰りにメールをチェックした感じじゃ、全クラスというわけではなさそうよ」
クラステーマと紹介文は、指定アドレスへメール本文かテキストファイルの添付で送信する決まりとなっている。
まあ女子の中には、紙ベースで直接山村へ手渡している奴もいるようではあるが。
「どんな感じだ?」
「わざわざ言うことでもないと思うけど、みんな普通よ。『輝け!3−A』とか、『1−B烈風隊飛翔』とか『加賀軍団無双』とか」
「3−Aのは普通だが、最後の奴はよくジャージが許したな・・・」
通称ジャージこと、加賀純二(かが じゅんじ)は3年C組の担任で3年男子の体育担当であり、体育祭実行委員会の顧問でもある。
日ごろはノリの良い愉快な男だが、沸点はきわめて低く、ひとたび怒らせると竹刀か鉄拳制裁のどちらかが必ず待っている。
通称はもちろん生徒同士での通り名で、本人に対して厳秘。
「加賀先生のアイディアらしいわよ」
「自己賛美かよ」
つまり、俺の名を汚すな→連日鬼特訓→無双伝説へ・・・ということか。
C組哀れ。
「烈風の飛翔ってのも、大丈夫なのか? なんだか、小五月蝿いPTAから苦情が来そうな気がするが」
峰がふたたび聞いた。
「そういや、零戦の名前にそういうのあったな・・・」
ヒステリックな平和思想家だったら、軍靴の音が聞こえてしまうかもしれない。
「大丈夫なんじゃない、クラス旗がどこかの新聞社の社旗みたいになってなければ」
「ああ、旭日旗ならともかく、上半分になっていたら、さすがにウチでもストップがかかりそうだよな」
「いや、それはみたいじゃなくて、そのものだからね。普通に不味いからね」
ツッコむ山村の言い方が実に楽しそうだった。
・・・・まさかと思うが、1−Bに提案するつもりじゃあるまいな。
「どうせ意味なんてわかっていないんだろうな、あいつらは」
俺は峰の言葉に頷いた。
なんとなくカッコ良さそう・・・15、6歳ぐらいの男の思考なんて、まあそんなものだろう。
ひとまず他のクラスの提出物が、かなり適当なことだけはよくわかった。
紹介文もルールがあってないも同然であり、俺が否定したような中二病全開の紹介文を書いているクラスも二つ三つあるようで、山村はむしろそれを奨励していた。
「だってインパクトがある方が、盛り上がりそうじゃない?」
加賀も紹介文については生徒の自主性に任せると言っているらしい。
「お前がそう言う考え方をするなんて意外だよ」
おかっぱに眼鏡。
しかもスカート丈を短くしていないぶん、山村には江藤以上に真面目な印象がある。
だが、こう見えて彼女はこの夏までバスケ部のレギュラーだった。
3on3を種目に取り入れるあたりは、山村ならではのアイディアと言えるだろう。
「そう? まあ期日については2、3日遅れたって構わないから、二人とも適当なところで帰りなさいよ。・・・そうだ、写真だけ撮らせてくれる?」
「写真?」
鞄から携帯を取り出してキーを弄り始めた山村に、俺は聞き返した。
「ブログにのせたいの。峰君、ちょっと原田君と並んでくれるかな」
俺はまだ山村のブログとやらを見たことはないが、江藤によると、画像が少ないせいか堅い感じだと言っていた。
だから体育祭活動関連の写真を上げていこう・・・と考えたのだろうか。
「ああ」
峰が立ち上がって横に並び、俺の肩へ手を置きながら少し身を屈めた。
「もうちょっとだけ寄ってくれるかな、二人とも目線はパソコンで・・・ああ、それ自然でいい感じ。じゃ、撮るよ」
シャッター音とともにフラッシュが1回光って、山村は液晶画面をチェックすると、満足そうに笑いすぐに携帯を鞄へ仕舞った。
「なんだよ、見せてくれないのか?」
とんだ肩透かしである。
「それは明日のお楽しみ。・・・じゃあね。二人ともお疲れ様」
そう言いながら山村は自分の机から参考書らしき本を取り出し、意味ありげな笑顔を俺達へ残して、さっさと教室から出て行った。