「ひょっとしてアイツは、忘れ物を取りに来ていたのか?」
「まあ、たぶんそうだろうな」
そう言って頷くと、峰が再び前の席へ戻る。
急に廊下が騒がしくなった。
「野口か」
あの声は確か、うちのクラスの野口恵理子(のぐち えりこ)。
山村と同じで、元バスケ部だ。
ということは、ひょっとしたら山村を待っていたのだろうか。
「ああ、アイツもすっかり良さそうだな」
背中を向けたまま峰がそう言って、俺は気が付いた。
「ひょっとして山村の奴、3on3って・・・」
「たぶん、そうだろう」
野口は去年のウィンターカップで大怪我をしたことを理由に、一足先に退部していた。
膝を手術する羽目になり、その後もなかなかギプスがとれなくて、一時期は不登校に陥っていたのだ。
「考えてみりゃ、よくあそこまで立ち直ったよな」
「山村が付きっきりでリハビリさせていたらしい」
山村はバスケ部のレギュラーとして、チームを引っ張る傍らで、部活の帰りや休日には、もっぱら野口のリハビリに付き合っていたと、俺も聞いている。
真面目で一見堅物そうな印象を与える山村と、長い髪を明るく染めてうっすらと化粧をしている野口。
一見まるで対象的な二人が、今では常に一緒に行動をしている。
俺達男子は、不思議な取り合わせぐらいにしか思っていなかったのだが、女子の間ではこの話は有名で、俺も江藤に経緯を教えてもらって納得した。
そんな山村が体育祭の実行委員に立候補し、委員長としてこの祭典を成功させようと奔走しており、そして新種目にトーナメント方式の3on3を取りいれた。
それはおそらく、体育祭を盛り上げ、華やかな雰囲気の中で野口にふたたびバスケをさせてやりたい一心なのだろう。
考えてみれば二人とも、3on3に参加が決定しており、山村に引っ張りこまれた野口がホームルーム中、どこか照れくさそうだったと思い出す。
「まあ、あとはせいぜい、江藤が足を引っ張らなければな・・・」
江藤はもともと、足の早さを求められない仮装障害物競走へ出場を希望していたが、籤で外れて、3on3に収まった。
体育祭にバスケのトーナメントという発想自体は好評なのだが、その実3on3となると認知度が低いためか、参加希望者は経験者に限られていて、人気種目というわけにはいかなかったのだ。
男子も希望者はバスケ部だけだった。
ちなみに足の速い峰は、担任教諭の井伊須磨子(いい すまこ)及びクラスの殆どの推薦で、ホームルーム開始早々にクラス対抗リレーのアンカーに決定していた。
そして俺は、峰の推薦により危うく仮装障害物競走へ参加させられそうになったが、全力で退けて200メートル走枠を勝ち取った。
「俺ばっかりずるいだろう。お前も副委員長なら、皆の意見を優先して自己主張は控えるべきじゃないのか」
「皆の意見ならな。俺を推薦していたのは腹に一物抱えるお前だけだろう」
峰が何を企んでいるのかを先読みするぐらいのことは、今の俺には容易い。
仮装障害物競争は体育祭の伝統的競技のひとつだが、男子の走行時には必ず、フリルたっぷりのドレスやセーラー服、メイド服などがスラリと並べられる。
つまり大会のお笑い担当部門であり、ときにはその出来あがりの悍ましさに、女子達から悲鳴があがるほどだ。
女子の走行時にも、悲鳴はよくあがる。
しかしこちらはなぜか憧憬と興奮が入り混じり熱を帯びた甘ったるいものであり、ゴール地点では走行を終え、うっすらと汗を掻いた学ランや執事服姿などの凛々しい出走者達と記念撮影大会が繰り広げられていたりするのだ。
同じ競技なのに、この差は一体何なのだろう・・・。
「お前を推薦していたのは、俺だけじゃないんだが」
「さらに気い悪いわ!」
ちなみに江藤は武士になりたかったらしい。
理由は単純だ。
「袴なら履き慣れてるし、勝ち目があると思ったのよ」
・・・だ、そうだ。
まあ、そういう奴に限って、ダチョウやペンギンの着ぐるみとかにあたったりするものだから、籤に外れて正解だったのだろう・・・ちっ。
和服もまた、男なら町娘や女郎の扮装が用意されていて、しっかり鬘や白粉、口紅まで指定されているのだが、女子は着物と帯、袴だけであり、選択自由な髪飾りが揃えてあって、好みで仕上がりを可愛くらしくも凛々しくもできるようになっているのである。
だから江藤ならば確かに、着替えはお手の物だったのだろうが・・・・しかし、男女でこの扱いの差は、もはや差別を通り越して虐待ではないか?
「ところで、一条にはもう知らせたのか?」
「いんや、まだだ」
俺が素っ気ない返事をすると、しばらく峰は黙っていた。
一条篤(いちじょう あつし)は一番不人気の2000メートル走に参加が決定していた。
これを本人が知るのは、恐らく週明け後になる。
篤は例によって、チューファに「留学」中であり、前回と違って俺もこまめにメールをチェックしているのだが、なんとなく返事を出しそびれている。
実は今回の渡航には、俺も誘われていた。
だが、その理由を聞いて戸惑った。
だいたい俺は篤と違って、エスパニア語はおろか英会話も碌に出来ないし、授業で習う英語すらまともに理解できていない。
そんな俺が篤と外国へ行って、何が出来るというのだ。
もちろん篤は俺を最大限フォローするつもりだったのだろうが、あいつが遊びに行っているわけじゃないことは俺も承知している。
留学などというのも恐らく嘘だ。
そんなところへ俺が付いて行ったりしたら、彼の足を引っ張るだけだ。
いくら篤が、一緒に居てくれるだけでいいと言ってくれても。
いや・・・だからこそ、だ。
「できたぞ」
俺が再びノートPCを前にぼんやり頬杖を突いていたら、峰がさきほどと同じようなノートの切れ端を寄越してきた。
その内容を読んで俺は吹き出してしまう。
「お前・・・これは、一体」
形容するなら、心を病んだ中二の熱き咆哮・・・・要するに、先ほど書いてよこした内容を、3等分にして並べ直しただけだ。
適当すぎる。
「インパクトならどこにも負けないだろう?」
「まあ、江藤に張り倒されるぐらいは覚悟しとけよ」
「お前と違って女の竹刀を避ける程度には反射神経があるつもりだ。・・・ほれ」
「お前、剣道有段者を舐めすぎだろ・・・ん?」
峰がもう一枚の紙を渡してきた。
「クラステーマ」
「衣を絡めてCHENGI!って・・・」