「あー・・・ったく、俺何やってんだよ」
シンクの縁に手を置いて、壁に張り付いた鏡を覗きこんだ。
頬にはまだ十分に赤さが残っていた。
大失態だ。
自分の顔が見ていられず、俺は勢いよく蛇口を捻るとそのまま2、3回顔を洗った。
盛大に水飛沫が跳ねかえって来る。
不意打ちとはいえ、あんなことぐらいで取り乱すなんて、どうかしている。
水を止め、制服のポケットに手を入れてから気が付いた。
「あれ、ハンカチ・・・」
そして思い出す。
峰に手を握られて、焦って振り払い、・・・おそらくそのときにハンカチを落としたのだろう。
それは恐らく峰が拾ってくれていると思うが、しかしますます、なんと言ったらいいのやら。
俺が勝手に動揺して、一人で真っ赤になって、ハンカチまで落として、そのままトイレに逃げちまうなんて・・・
「ったく、乙女かっての」
まあ隠喩的な意味で言っても、既に乙女ではないのだが。
これじゃあ、意識していますとアピールしているようなものだが、結局のところ。
「意識・・・してるんだよな」
改めて自分の気持ちを確認させられた気がした。
しかも俺ひとりが動揺して、峰は涼しい顔をしていて・・・・・格好悪すぎる。
もう一度顔を洗い、水を止めて上着の袖でゴシゴシと顔を擦ると、俺は廊下への扉を開けた。
そこでトイレに入ろうとしていた男とぶつかりそうになり、慌てて立ち止まる。
「すいません」
そして脇を通って出て行こうとして。
「ミキ、か・・・?」
後ろで男が呟いたのを聞いた。
「えっ?」
そして、いきなり肩を強く引っぱられる。
「待ってくれミキ・・・! 私だ、黒木だ・・・」
「ちょ・・・ちょっと、アンタ何っ・・!」
さらに突然、顔を近づけられて、大いに焦る。
吐く息がとても酒臭く、顔も全体的に赤かった。
要するに、酔っぱらいに絡まれたのだ。
確かにこの店でもビールぐらいは出しているが、しかし店内にここまでの酔客がいた記憶はなく、・・・おそらくは外から飲み直しに入って来たのだろうか。
だったら飲み屋へ行けばいいものを。
「探したよミキ・・・」
「いや、あの人違い・・・」
今にも俺を抱き締めそうな、おじさんの身体を、俺は必死で押し返した。
よく見ると、随分と上質そうなダブルのスーツ。
時計も高級ブランドだ。
なぜ俺達高校生が入るような店に、こんなおじさんが?
それにミキとは・・・、三木・・・?
この男と一体どういう関係なのだろう・・・これではまるで、昔の恋人のような。
「ミキ、ずっと会いたかった・・・・君がワルキューレを辞めたと聞いて、私は・・・・」
「ちょっと・・・おじさん、だから・・・」
ワルキューレだと・・・!?
「放せ」
「っ・・・、おい君、何を・・・、痛った・・・っ!」
そのとき、後ろから肘を強く引かれ、俺とおじさんの間に、無理矢理誰かが割って入ったのがわかった。
「峰・・・」
そのまま峰は、俺とおじさんを引き裂くと、俺を自分の後ろへ隠し、おじさんの胸をドンと押した。
おじさんが背中から壁へ打ちつけられる。
「ゲホッ・・・君、乱暴は・・・」
息が詰まったのか、おじさんが咳き込んでいた。
峰はその胸のあたりのシャツを、ネクタイごと容赦なくグイッと掴む。
「お、おい・・・峰・・・」
「お前は下がってろ! ・・・アンタ一体、ここでコイツに何をしていた」
俺を振り返りもせず峰は一喝すると、そのままおじさんの胸倉を締めあげる。
俺は峰に、ただ圧倒されていた。
そういえば、修学旅行の時に、綺麗に割れた峰の腹筋を俺は見ている。
強いのだろう。
「何って・・・だから私はミキの知り合いで・・・」
「一体誰の事を言っている、こいつはそんな名前じゃないぞ」
「そんなことはない・・・なあ、ミキ・・・」
峰の肩越しにおじさんが俺を見て、そして中途半端に言葉を切った。
峰に締めあげられたことで、いくらか酔いも醒め、そしてようやく人違いに気がついたのだろう。
なんだか気の毒になってきた俺は、そろそろ二人を逆に割ることにした。
いい加減に峰を止めないと、店員が飛んで来るだろう。
運が悪ければ、そのまま警察を呼ばれるかもしれない。
制服を着ているのに、それは避けたい事態だ。
「峰、ただの人違いだから、いい加減に放してやれ」
「おい、原田・・・」
俺は二人を離すと、なんだかフラフラしているおじさんに肩を貸してやった。
体格は俺とも変わらないから、充分支えられそうだ。
酒臭い息さえ我慢をすれば・・・。
「お前、何やって・・・!」
「・・・・きみ、その・・・えっと」
「おじさんも飲みすぎですよ、家はお近くですか? タクシー呼んだ方がいいのかな・・・」
言いながら俺はおじさんの身体を支えて、店の外に誘導した。
峰がピッタリと後を付いて出てこようとし、当然出口で店員に止められた。
悪い、峰。