「すまなかった・・・その、あまり知っている人に似ていたものだから。もう大丈夫だよ、家はこの近くだから」
商店街の出口まで来たところで、おじさんが俺の身体を押し返してきた。
フラついてはいたが、意識はしっかりとしているようだった。
峰にビビッてアルコールも吹っ飛んだということなのだろうか。
なら、聞けるかもしれない。
「ねえ、おじさん・・・その人って、ワルキューレっていう店にいたんですよね」
おじさんが息を飲んだのが、はっきりとわかった。
たぶん、間違いない。
「一体・・・君は」
「俺は原田秋彦。・・・ワルキューレのミキの・・・たぶん息子ですよ」
「君が・・・、ミキの・・・・そんな。そうか・・・あの噂は本当だったんだな」
「おじさんは母のお客さん?」
「ああ・・・、ミキは本当にいい子で・・・そうか、妊娠して店を辞めたと聞いていたが、君が・・・・。それはそうだろうな・・・あれからもう15年・・・いや、18年も経っているのに、それも男の子と間違えるなんて、本当に私はどうかしていた。・・・・だいたいミキは、もう」
「そんなに似ているんですか、俺と母って」
そう聞くとおじさんはしみじみと俺を見つめ、懐かしそうに微笑んだ。
「ああ・・・酔った私が間違えるぐらいにはね。そうか、君がミキの・・・・気の毒なことをしたね」
「いえ」
その後、彼は駅前まで出ると、俺が勧めた通りにタクシーを拾った。
「またお会いできるといいですね」
「すぐに会えるだろう」
そう言っておじさんはタクシーに乗りこみ、バタンとドアが閉まった。
静かに車が流れに乗る。
俺はそのテイルライトが遥か遠く見えなくなるまで、なんとなくそこに立っていた。
「近くだって言ってたくせに」
よほど人違いをしたことが恥ずかくて、俺から逃げたかったのだろうか。
「650円」
金額とともに俺の鞄が目の前に現れた。
「おう、なんか悪かったな・・・変なことに巻き込んじまって」
俺は鞄を受け取ると財布からきっちりと小銭を出して、立て替えてもらったぶんを峰に返した。
「いや。・・・ん、なんだこれ?」
小銭を3本の指で挟みこんだまま、峰が俺のブレザーの胸ポケットへ、無造作に人差し指と親指を突っ込んで来る。
馴れ馴れしいその手つきに、カウンターで箸を落としたときの動揺した感覚を思い出し、少しだけ心拍数が上がるのを意識した。
よく考えたら、ほんの数か月前、俺達はここまで距離が近くはなかったはずだ・・・なのに今は。
「何だ、これ・・・?」
峰が取りだした物は小さなカードサイズの白い紙。
恐らく名刺だ。
「さあ・・・」
もちろん自分で入れた覚えもないし、入れる筈もない。
「株式会社グランドイースタンホテル営業本部長、黒木和彦(くろき かずひこ)・・・、あのオッサンから貰ったのか?」
「いや・・・ああ、でも多分そうなんだろうな」
そういえば彼が黒木と名乗っていたことを思い出す。
「なんだ、お前こんなところに入れられて、気が付かなかったのか?」
「そういえばタクシーに乗るときに、入れられたような・・・それとも、歩いてるときかな・・・」
俺は彼を支えながら歩いていたし、それ以外にも何度か身体に触れられたような覚えは、確かにあった。
だが、俺は話を聞きだすことに夢中になっていて、そんなことまでいちいち覚えていなかった。
「おい・・・お前、その調子で変なことさせていたんじゃないだろうな」
「変なことってなんだよっ、・・・つか、なんか誤解してるみたいだから訂正しておくけど、あのオッサンは人違いしてただけ。お前も聞いただろ、おじさんがミキって言ってたこと」
「そんなもん、近づくための手口かも知れないだろうが」
「間違いないの。だから・・・・・お袋のお客さんなんだよ、あの黒木って人」
「客? ・・・っていうか、お前のお袋さんって確か・・・その」
「ああ、死んでるよ。12年前にね・・・当然お袋が生きてたときの話。酔ってたから、色々とすげぇ勘違いしてたみたいだな」
そもそも、女のお袋と間違えられるなんて、いくら若い頃の話とはいえ、身長も全然違うだろうに・・・ということは、そんなに顔が似ているということなのだろうか。
「なあ、お前の母親って一体・・・」
峰にしては珍しく、どこか躊躇うような聞き方をしてきた。
あの黒木の取り乱し方を見ていれば、それは気になるところだろう。
お袋と黒木の関係はもとより、お袋がどういう女だったのか。
もう隠すことには無理があるかも知れない
まあ、俺も最近まで知らなかっただけで、元から隠すつもりはないのだけれど。
俺達はぶらぶらと歩きながら話を続けた。
「ワルキューレっていう名前の店の、・・・・・イメクラで働いていたんだ。お袋は夏子(なつこ)って名前だから、たぶんミキってのが源氏名なんじゃないかな。で、たぶんおじさんはお袋が・・・」
「好き、だったんだろうな」
俺もそう感じた。
親父以外にお袋を知っている男がいたって可笑しくはない。
俺にはあまり気分の良い話ではないけれど。
「親父とお袋も、元は店のスタッフと客だったんだ。で、お袋が妊娠しちまって店を辞めた」
それが俺だ。
「そうか」
峰は短く相槌を打っただけだった。