<シーン6:文芸部にワープロがやってきた> 昇降口の前で武田を降ろすと、俺は駐輪場へ寄り、先に図書室へ向かった武田の後を追う。
グラウンドでは運動部の連中が既に練習を始めていた。
文化部は開始時間がのんびりしているので、この時間でも駐輪場や昇降口はそこそこ賑わっている。
靴を履き替えて2階の図書室へ向かった。
「よう」
「あ、おはようございます・・・」
階段の手前で3年の毛利禮次郎と会った。
俺が挨拶すると、ああ、とだけ低く返ってきたが、特に何かを話すわけでもない。
彼は文芸部の副部長だが、人当たりの良い石田先輩と違って寡黙で、俺は少々この人が苦手である。
頭ひとつぶん上の高さから、無表情に俺をじっと見下ろしてくる先輩に戸惑っていると、彼は黙ってさっさと階段を上がりだした。
俺もその後ろを歩く。
文芸部の部室を兼ねる図書室へ到着すると、何やら中が騒々しかった。
話し声が大きくなるといつも、司書教諭で顧問の井伊須磨子女史に怒られるもので、ドキドキしながら入る。
カウンターの奥にある開きっぱなしのドアから隣の準備室に目を遣ると、幸い先生は留守のようで、まずは胸を撫で下ろした。
といっても、日ごろから留守がちな人なので特に珍しいというわけではない。
「おーい、鍋島すごいぞ、見てみろよ!」
先に図書室へ到着していた武田が、大きなジェスチャーで俺を呼び寄せた。
武田はいつも文芸部が活動場所としてなんとなく定位置にしている、図書室の扉から一番遠い机の傍に立っており、その周りには石田先輩や他の部員達が既に集合していた。
皆揃って、何やら興奮状態だ。
原因は、その輪に近づくまでもなく判明した。
石田先輩がこちらへ背を向けるようにパイプ椅子に座り、その足元には有名な電気メーカーのロゴが入った、大きな空き箱が転がっている。
反対側の足元からは黒い電気コードが、床上20センチ程の高さで宙に伸びて、その先は壁際のコンセントに差し込まれていた。
そして石田先輩の目の前には、黒いプラスティックの機械が1台。
ワードプロセッサーだった。
「どうしたんだ、これ?」
俺と一緒に近づいた毛利先輩が、石田先輩に聞いた。
「買ってきたんだ」
「費用はどうした?」
「生徒会に掛け合った」
「すごい、よく部費出してもらえましたね!」
石田先輩の隣に座っていた2年の島津八重子がテンション高く言った。
彼女は早く自分も触りたくて仕方がないといった様子だ。
「こんな時期にか?」
「だから明智に直接交渉した」
毛利先輩の質問に、石田先輩が回答する。
毛利先輩はまだ納得していない様子だった。
「あの・・・それ、もう使えるんですか?」
俺はおそるおそる皆に近づき、島津先輩とは反対側から石田先輩の隣に立った。
「ああ、いいぞ。打ってみるか?」
そう言って石田先輩が席を立つ。
「俺なんかがいきなり触ってもいいんですか」
「もちろん。これはもう文芸部のものだ。誰が使っても構わない。・・・というか、早く使えるようにならないと、いつまでたっても宝の持ち腐れだからな」
言いながら石田先輩が俺の腕を引き、椅子に座らせてくれた。
「鍋島君、きみのタイピングを皆に披露しちゃいなよ!」
島津先輩が冷やかし気味に言った。
「あの・・・でもこれ、どうやって使ったら・・・」
戸惑いながらそう問いかけたが、石田先輩は、なんでも良いから打ってみろと、シンプルに促してくるだけ。
俺は好奇心と困惑にざわついた心を抱えて、目の前の機械をじっと見る。
ワープロは手前にまずキーボード。
真ん中あたりに液晶画面があって、奥には印刷用の吸い込み口があり、その辺りから軽いモーター音が聞こえてくる。
液晶画面には薄い点線が引かれており、その見た目から、どうやら5行分が画面に表示されるらしいと判った。
側面には縦幅5ミリ、奥行き10センチ程度の細長い穴が空いており、ワープロの傍にはフロッピーディスク10枚を収めたプラスティックケースが置いてある。
ということは、この側面の穴がフロッピーディスクの挿入口なのだろう。
しばし観察したのちに、右手の指をキーボードに伸ばしてみる。
キーボードは1列目が「ぬ」「ふ」「あ」「う」「え」「お」「や」「ゆ」「よ」「わ」「ほ」「へ」という文字キーが並び、同じキーにそれぞれ数字や記号がプリントされている。
2列目からは「Q」「W」「E」「R」「T」「Y」・・・という順でアルファベットのキーが並び、同じキーにまたそれぞれ平仮名がプリントされている。
規則がさっぱりわからない。
とりあえず、五十音でも打とうと思い、立てた人差し指を彷徨わせてキーを探した。
「・・・・あった」
『あ』。
液晶を確認すると「あ」が表示されている。
次に「い」を探し、10秒ほどで見つける。
そんな感じで俺は、たっぷり1分近くかけて「あいうえお」と入力した。
それだけでもどっと疲れて、ふと周りを見渡す。
みんなが茫然と俺を見つめていた。
「えっとさ・・・・鍋島君、そのスピードで君の小説を入力すると、一週間やそこらじゃとても終わらないと思うんだ」
島津先輩が、まあ、あたしも人のこと言えないんだけどね・・・と続けながら言った。
「鍋島んち、ワープロないから仕方ないさ。まあ最初はみんなこんなもんでしょ」
武田が庇ってくれる。
「鍋島、ひょっとしてキーボードって初めてか?」
石田先輩に聞かれ、はいと答えた。
「島津んちはパソコンあるんだよな?」
「先週買ったばっかりですけどね」
目下、タイピングの猛特訓中だという島津先輩が、苦笑気味に答えた。
「俺と毛利と北条も授業でパソコン使ってるから問題ないとして、武田は家にワープロあるんだよな」
「親父のですけどね」
「ということは、未経験者は直江と伊達、それと鍋島か・・・しばらく特訓だな」
そんな感じで、合宿初日の部活はワイワイと始まった。
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