<シーン9:ワープロ特訓>
午前中に決定した文芸部の新しい活動分野である雑誌作りについて盛り上がりながら、図書準備室で弁当を食べていると、浮かない顔で顧問の井伊先生が戻ってきた。
どうやら職員会議があったらしく、そこで面白くないことでもあったというのだろうか。
しかし来るときに職員室の前を通った限りでは、そんな様子はなかった気がしたが、どこで誰と会議をしていたのかについては誰も敢えて突っ込まなかった。
毛利先輩が午前中のミーティング結果について報告をする。
「なあ鍋島、午後はワープロ特訓な」
石田先輩が弁当を抱えながら、隣の席に移動してきた。
「俺、正直自信ありませんよ・・・」
「大丈夫だよ、皆本当に最初はあんな感じだから。俺だって家にはパソコンもワープロもないけど、学校の授業だけでタイピング覚えたんだぞ。毛利だってそうさ。だから鍋島、頑張ろうな」
そう言って石田先輩は俺の肩を引き寄せて来る。
「えっ、・・・ああ、はぁ・・・」
このときになって、俺はやっと気がついた。
今日はやけに石田先輩が俺の傍にやってきては、何かと話しかけてくることを。
口ではああ言ってくれるが、本当は俺のタイピングがあまりに酷くて、気にかけてくれている・・・ということなのだろうか?
それならますます気が重い話だ。
石田先輩の提案どおり、午後はひたすらタイピング練習になった。
とりあえず各自、文集を仕上げるつもりで、自分の作品を1ページ程度テストでタイピングし、その結果特訓メンバーを決める。
まずはダントツで俺。
次に島津先輩が指名された。
一週間程度のパソコン歴では、やはり全然経験が足りないようだった。
あとは伊達先輩。
しかし彼女はコツを掴むのが早いようで、その後、練習しているうちにあっという間にキーの位置を覚えてしまい、そこからは見る見る早くなっていった。
「なんだかピアノを弾いているような感じで、楽しいものだわ」
とは本人の弁。
ちょっと理解不能な感覚だ。
未経験者と言っていた筈の直江先輩は、最初から早かった。
よくよく話を聞くと、バイト先で伝票や領収書をよく業務端末に入力するらしく、そのキーボードの配列と同じということらしい。
本人はよく判っていないようだが、その端末というのは、おそらくパソコンのことだと思われる。
「いや、パソコンじゃねーよ。端末なんだよ・・・だって店長がそう言ってるんだぜ?」
などと、本人はあくまで否定をしていたが。
石田先輩に毛利先輩、北条先輩の3名は、情報科学コースを専攻しているため、とても入力スピードが早かった。
武田も親父さんのワープロでよく遊んでいるらしく、そこそこ早い。
というわけで、結局特訓が必要なのは俺と島津先輩の二人だけ。
「もうっ・・・全然キーの位置判んないよおっ!」
先ほどは俺を馬鹿にしていたわりに、島津先輩の入力速度は、正直言って俺より遅かった。
「どれですか・・・ああ、『む』なら改行キーの隣ですよ。・・・ほら、そこ、今拳で隠れてるあたり」
「ああ、こんなとこかあ。・・・っていうか、なんでワープロってこんなに打ちにくいのかしらったく・・・」
先輩は眼鏡を外すと、指先で目頭をグリグリと押さえる。
目が疲れたようだった。
「そんなに違うものなんですか? っていうか、パソコンだって1週間程度しか触ってないんですよね?」
「あのねぇ、言っておくけど私パソコンを打つときは、もう少し早く打てるのよ? カタカタカターって感じに」
「はいはい」
「あーっ、もう信じてないなー!」
先輩が拳で俺の腕をガンガン叩き始めた。
「判りましたってば・・・」
「おい、島津」
石田先輩が近づいて来る。
騒いでいたので怒られるのかと思い、俺と島津先輩は緊張した。
「ああ、すいません・・・声、大きかったですかぁ〜・・・?」
島津先輩が眼鏡を戻しながら、上目づかいに石田先輩を見上げると、彼女の隣に座った部長はワープロを自分の所に引き寄せ2、3回キーを叩いて、ああ、やっぱり・・・と呟いた。
「どうかしたんですか?」
「お前、ローマ字入力だろ?」
俺の質問には答えず、石田先輩が続けて島津先輩に尋ねると、
「判んないですけど、なんかこのワープロやりにくくて・・・」
「これでもう一回打ってみろよ。いつものやり方で」
そう言ってワープロを再び島津先輩の方へ向ける。
すると、ちょっと文章を打ち始めた途端に、島津先輩の表情が輝いた。
「うそ・・・」
何事かと液晶を覗きこむ俺の目の前には、先ほどとは比較にならないスピードで彼女の書いた詩が埋められてゆく。
ものの3分程度で、詩が1篇完成した。
驚いた。
「これ、・・・一体何なんですか?」
茫然と後ろで見ていた俺の隣に、いつのまにか並んでいた石田先輩が教えてくれた。
「初期設定でそうなっていたのか、俺が知らずに弄ってしまったのかは判らないが、皆が触る頃にはこのワープロは仮名入力設定になっていたんだ。キーボードに並んでいる平仮名通りに入力される設定のことを、そう呼ぶんだよ。一方、パソコンから入っている者には、キーボードのアルファベット通りに打っていく、ローマ字入力を使う人が多い。実は俺も日頃はそうだし、毛利や北条も多分そうだ。しかし北条は家でワープロを使っているから仮名入力も使えるらしく、毛利は・・・まったくいやらしいヤツだよな、勝手にローマ字入力に変えてさっきは使っていたらしい。教えてくれりゃいいものを。・・・で、俺も使いにくいなと思っていたところへ、俺以上に苦心している島津をローマ字入力派と見破った毛利が、なんで設定変えずに使っているんだろうな、と今しがた言っていたんだよ」
それで毛利先輩からやり方を聞きだした石田先輩が、入力設定を変更しに戻ってきたということのようだった。
ローマ字入力に変更したあとの島津先輩は、まったく問題ないスピードで入力できることが判明した。
というわけで、結局残るのは俺だった。
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