翌日の放課後、武田は顧問の井伊先生と毛利先輩へ報告を済ませ、その日の部活では最初に武田の副部長就任が発表された。 ここなら誰も来ないな・・・。 「ちょっと待って・・・そこは・・・」
「至らないところは沢山あると思いますし、何より1年坊主なんで、みなさんご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
武田はそう言って頭を下げた。
なかなかしっかりとした挨拶があり、俺はやっぱり武田が引き受けて正解だと再確認した。
しかし毛利、武田の新体制で再スタートした文芸部は、1学期と比べて、悪い意味でまったく雰囲気が変わってしまった。
原因は全面的に毛利先輩にあった。
元々口数が少ない上に、規律に厳しい毛利先輩は、それまで石田先輩が適当に済ませていた部分に関して、殆ど見逃してはくれない人だった。
報告のない欠席や、原稿の提出遅れ、行き過ぎた私語、そういった事柄全てに厳しい目を向けてくる。
それが本来あるべき姿なのかも知れないが、しかし石田部長の緩い体制に慣れていた部員達の間には、すぐに不満が溜まっていった。
その一方で、俺達にはやることが沢山あった。
今まで通りの文集作りと、武田の提案した雑誌作り。
雑誌の名前は『地獄の鎮魂歌』に『ターメリック』、『バイストン・ウェル』など、自己主張豊かなアイディアは色々と出たが、最終的に『Taublume』に決まった。
ドイツ語でツユクサという意味なのだそうだが、この時期、裏庭のあちこちで咲いているツユクサが図書室からはよく見える。
放課後の部活時間には萎んでしまうが、群生して花咲く清涼なブルーは、かなり印象的だ。
井伊先生の鶴の一声で決定したが、まあ他のアイディアがあまりに馬鹿げていたため、妥当な判断だろうと思う。
記事の方は、みんな中々思うようには行かないようだった。
俺も第一回のテーマを「水生昆虫」に絞るところまでは決めたものの、その先の文章が思い浮かばず、図書室で資料漁りを続ける日々が続いていた。
「へぇ、・・・ウミサソリか」
手にしたカラー装丁の生物図鑑のすぐ横に、新しく入荷したらしい本を見つけて手に取った。
ウミサソリはサソリのご先祖様と言われている古代の水棲動物だ。
古生代カンブリア紀に登場し、約2億5千万年前に絶滅したと言われている。
図を見る限り現代のサソリとは少々違うものの、鋏角があったり、尾部が細長く伸びている等、全体的なシルエットは良く似ている。
大きいものは体長2.5メートルもあったのだそうで、こんな奇妙な生き物が海中を遊泳している光景を想像すると、ちょっとワクワクしてしまう。
新しい図鑑を片手に、一人でニヤけていると、少し離れた場所でヒソヒソと話されていた会話の内容が不意に耳へ飛び込んできた。
「武田くんからも何とか言ってよ? あれじゃあ窮屈で仕方ないよぉ」
どうやら島津先輩が副部長となった武田へ、強権的な毛利先輩のやり方に対する不満をぶつけているようだった。
ちょっと焦って室内を見回すと、渦中の人物は席を外しているようで安心する。
「はぁ・・・なんとか言ってみますけど、あまり期待しないでくださいね・・・」
武田が力ない返事を彼女に返していた。
いかにも自信がなさそうな声だ。
その後も哀れな武田は次から次へと先輩達に突き上げられるたびに、毛利先輩の元へ出向き、そして毎回成果ゼロで帰ってきた。
当然だろう。
いくら副部長に就任したからといって、1年の武田が3年生にそうそう意見できるはずがない。
ましてや相手は、気が強い毛利先輩だ。
こんなことが続き、いつしか明るい性格の武田からも笑顔が消えるようになっていた。
次第に部の参加者も一人二人と減って行き、目に見えて欠席率が増えてゆく。
見かねた俺は、ある日の放課後、部の終わりを待って図書室の前で毛利先輩を呼びとめた。
「先輩、話があります」
戸締りを済ませて出てきた毛利先輩に声をかけると、彼は無表情に俺を見下ろした。
いつぞやの光景とダブる。
「・・・・・・・・」
無言で俺をじっと見ていた先輩は、やがて勝手に歩き始めた。
「先輩待ってください・・・話が・・・」
「話せばいいだろ」
一瞥をくれることもなく、毛利先輩が促してくる。
いつものことながら、調子を狂わされっぱなしだ。
これが人の話を聞く態度というのだから呆れる。
「二人きりでお願いします・・・!」
つい声が荒くなってしまった。
俺が言うと、毛利先輩は足を止めて一瞬俺を振り返った。
何か言い返されるかと思ったが、どうやら珍しく驚いているようだった。
「ああ、判った」
そう返事をすると再び歩き出す。
職員室へ鍵を返却して昇降口を出ると、先輩は俺に説明もなくそのまま校門を出て行った。
その方向に気付いて俺は落ち着かなくなる。
稲荷神社の方向だった。
「人に聞かれたくない話じゃないのか?」
立ち止らずに先輩が言う。
「それは、そうですけど・・・」
困った・・・どうしよう。
怖い・・・。
「安心しろ。俺はお前に何もしない」
「えっ・・・?」
彼は知っている。
戸惑っているうちに神社に着いた。
まだ日は高い。
それでも境内は森閑としており、あの晩、坂の途中から見た時とは、ずいぶん雰囲気が違っていた。
緑豊かな辺り一帯に、清涼な空気が満ちている。
先輩に倣って鳥居の前で立ち止り一礼する。
ともに参拝を済ませ、鳥居とは別の出口へ向かうと、小さな石段の途中で先輩が腰を下ろした。
どうしようかと少し思案し、一人分の間隔を開けると、俺も同じ段へ腰を下ろす。
気まずさを禁じえない。
そして意を決すると、自分なりに思いをぶつけるつもりで俺は先に口を開こうとした。
しかし。
「お前、アイツのこと好きだったのか?」
「えっ・・・」
アイツって誰?
島津先輩とは仲がいいけど、そんなんじゃないことは見れば判るだろう。
伊達先輩もピアノが忙しくて、元々ろくに部へ顔を出さないから、誤解を受けるとは考えにくい。
武田は・・・一つの可能性としてだが、よもやそんな目で見られていたとすると、ちょっと心外である。
彼はあくまで親友だ。
いや、違うだろう。
先輩は今「好きだったのか?」と聞いてきた。
過去形だ。
質問してきたのは毛利先輩だ。
毛利先輩からそういう目で見られるとしたら、この場合一人しかいない。
「見て・・・たんですか」
やはりあのゴタゴタを彼に見られていた。
思えばラーメン屋で石田先輩が俺にちょっかいを出してきたときも、毛利先輩は俺を非難するような目で見ていた。
俺が、石田先輩を誘惑していた、とでも・・・それで毛利先輩は怒っているとか?
「お前はアイツを誤解している。石田はお前を利用していたんだ。だからお前に気がある振りをしていただけで・・・」
驚いた。
毛利先輩は寡黙で何を考えているのか判りにくいし、厳しい人だと言うのも最近よく判ったけれど、それでも誰かを陰で批判したり中傷したりする人ではないと思っていた。
毛利先輩が石田先輩の何を知っているのか、俺は知らない。
けれど、これはなんだかフェアじゃない気がした。
何より、顔から火が出るかと思うほど恥ずかしかった・・・。
これじゃあまるで、俺が石田先輩に騙されて逆上せ上っていたみたいじゃないか・・・。
「だったら何だって言うんです・・・少なくとも、毛利先輩よりは石田先輩の方が俺は好きですよ。っていうより、皆同じこと思っているんじゃないですか? 今のやり方で、あなたについていく部員がどれだけいるっていうんですか・・・・板挟みになっている武田が背負い込んでいる苦労なんて、きっと想像もしないんでしょうね。俺だってこんなこと言われてまで・・・」
居たたまれず、立ちあがった。
恥ずかしさと怒りとで、自分が混乱していることも、十分承知していた。
このままでは、何を口走るか判ったものではない。
自分から呼び出したのに、ここから早くも逃げ出したかった。
「ちょっと待て鍋島・・・、お前、いったい何を怒っているんだ・・・? いや、俺が悪かったならそれは謝る・・・皆ともちゃんと話し合うようにする。でもちょっと待ってくれ。俺が話していたのはそんなことじゃなくて・・・お前は・・・、石田は唆されてお前を誘惑していたんだ。金の為にお前の手を握ったり、キスしただけで・・・っ!」
言いながら石田先輩も立ちあがる。
「やめてください・・・」
立ち上がりかけていた彼に、俺は思わず手が出ていた。
毛利先輩が大して痛くもない筈の頬を押さえて、茫然と俺を見下ろしていた。
少しだけずれた眼鏡のお陰で、初めて見る彼の素顔、・・・やや瞳の色素が薄いその切れ長の目が、意外と優しいことにちょっとだけ驚いた。
俺は慌てて彼に背を向けると、真っ赤になっていたであろう自分の顔を見られないように、小走りにその場から逃げ出した。
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