<シーン14:ほろ苦いレモネード> 鍋島・・・。 呼ばれたような気がして、公園の入り口を振り返る。 シャワーを借りてダイニングへ戻ると、毛利先輩はいつものようにムスッとした顔で俺を見ただけで、そそくさと脇を通り過ぎてしまう。
先輩のマンションを出た俺の足は、自然とあの公園に向いていた。
あの夜、モモの散歩をしていたとき、コンビニ帰りの毛利先輩が声をかけてくれた公園。
「そんな、調子良く会えるわけないか・・・」
毛利先輩と話をしたベンチに一人腰を下ろし、空を見上げる。
一雨降りそうだと思った瞬間に、ポツリポツリと雨は降りはじめ、あっというまに本降りになった。
ついてない。
足早に家路を急ぐ往来が目に入っただけだった。
馬鹿だな。
雨のカーテンを通して、城西駅の時計が目に入る。
もう11時を過ぎていた。
「帰らないと、お袋そろそろ心配するかな・・・」
そう思ったけど、足は動かなかった。
なんだかこのまま帰りたくない。
一人になるのは、惨めな気がした。
いや、十分今でも惨めだ。
「お前・・・こんな処で何やってるんだ」
聞きたいと思っていた声が聞こえ、とうとう幻聴が聞こえ出したかと顔を上げる。
「先輩・・・」
そこには傘をさして、コンビニの袋を提げた、彼が立っていた。
バスルームから出ると俺の服はなく、洗濯機が回っていて、脱衣籠には先輩のものらしきスウェットの上下が置かれていたので、どうやら先輩が俺の服を洗ってくれているらしいことが判った。
スウェットは俺にはだいぶ大きく、半ズボンの裾が膝をすっぽりと隠していた。
ウェストは紐をギュッと絞らないとずり落ちそうだ。
先輩宅も、どうやらご家族は留守のようだった。
バスタオルで髪をゴシゴシと拭きながら、まずはシャワーその他のお礼を言う。
「レモネードでいいだろ?」
先輩がキッチンカウンター越しに聞いてくれた。
「あ、すいません・・・」
「別に構わん」
髪を拭きながら、キッチンでせせこましく動く先輩を見る。
物腰の柔らかい石田先輩とは違って、ガッシリとした体格の毛利先輩が固い動きで作業をしているのは、ちょっと可笑しかった。
動き慣れている感じが全くしない。
あちこち扉を開けて道具を見つけ、レモンを絞ってから、また扉をバタバタと開けて何かを探し始める。
「あの・・・多分ですけど、今開けた開きの奥じゃないでしょうか?」
「えっ?」
先輩がさっき開けた食器棚の上の扉をもう一度スライドさせる。
「いや、そこじゃなくて・・・ほら、ここ。コレでしょ?」
見ていられず俺もカウンターの向こうへ移動すると、コーヒーや砂糖が並んだ扉の奥に収まっている、ハチミツの瓶を見つけて取り出し、先輩を見上げる。
「・・・・・・・・」
先輩は眼鏡の奥の目を見開いて、茫然と俺を見下ろしていた。
「あの・・・違いました?」
先輩、赤くなってる・・・?
「いや」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、俺の手からハチミツを奪い取る。
「出ていけ」
「あの・・・」
「ここから出ていけ。・・・そっちで大人しく待ってろ」
カップにレモン汁を注ぎながら言う。
「ああっ・・・」
そんなに入れたら酸っぱいのに。
「鍋島」
「あ・・・すいません。判りました」
毛利先輩に一睨みされ、俺はすごすごとカウンターを出てダイニングへ戻った。
「俺は言わなかったか?」
その背中へ、先輩が問いかける。
「はい?」
そのとき、脱衣所から聞こえる音の調子が切り替わった。
どうやら全自動洗濯機が、乾燥を始めたようだった。
「これ飲み終わる頃には服も乾いてるだろう。そうしたら帰れ」
思わず時計を見る。
もう12時近い。
確かに余所様の家に上がり込んでいて良い時間はとっくに過ぎている。
しかし、こんな時間に俺を家にあげてシャワーに入れて、それで帰れと言われるとは、少々意外だった。
というより、できれば今日は・・・帰りたくない。
誰かの傍にいたい。
「あの・・・迷惑なのは判ってますけど・・・もう少し、先輩のところにいちゃ、ダメでしょうか」
毛利先輩が顔をあげる。
「なぜだ」
「それはその・・・えっと、多分・・・失恋したから」
毛利先輩が手を止める。
「お前・・・石田と会ってたのか?」
仕方なく、俺は一部始終を毛利先輩に話した。
毛利先輩は完成したレモネードをカウンター越しに俺に手渡すと、冷めるからさっさと飲めと促してくれた。
ホットレモネードは、想像した以上にほろ苦かった。
話を聞き終えても、先輩はカウンターから出ようとはしない。
「あの・・・先輩?」
「それで、お前は俺にどうしろって言うんだ」
「え?」
先輩が廊下へ視線を送る。
乾燥機が止まったことを、まるで俺に知らせるかのようだった。
「もう一度聞く。お前はこの間、公園で俺の話を聞いていたんじゃなかったのか?」
「話って・・・」
先輩は俺が石田先輩と会っていたことを、ひょっとして怒っているんだろうか。
でも、直接石田先輩から話を聞けとも言っていたはず。
じゃあ一体・・・。
「だから俺はお前が・・・、好きなヤツが騙されてるのを、黙って見過ごせないと・・・」
先輩は俺に改めて告げるように目を見てそう言うと、またすぐ気まずそうに眼を逸らした。
「あの・・・それって、まさか」
毛利先輩が俺を好きって意味だろうか。
でも、だったらどうしてこんな、俺を避けるようなこと・・・。
なぜ自分から俺を帰らせようとしたりするんだろう。
「なあ鍋島。調子良いと自分で思わないのか?」
「え?」
「お前はつまり、石田が好きなんだろう? その石田が明智とデキていたからって、その足で俺のところへやってきて、俺にお前を慰めろと言うわけだ・・・」
「それは・・・」
そう言われると否定できない。
毛利先輩に俺は確かに期待していた。
そうなる先にひょっとしたらあるかも知れない出来事も、あながち判っていないわけでもなかった。
なんとなく、なるように流されてしまえばいい・・・その程度に思っていた。
だが、毛利先輩の気持は・・・。
「お前にその気があるなら、俺はお前を甘やかしてやるし、抱いてもやることもできる。」
「・・・・」
恐らく心の中でぼんやり思っていたことを言い当てられて、俺は激しく羞恥する。
そしてそう言いながらもカウンターから一歩も出ようとしないことが、おそらく毛利先輩自身の本音なのだ。
「けれど、俺はお前を見下げることになるぞ」
眼鏡越しの冷たい視線がまっすぐに俺を突き刺した。
俺はまだカップに半分以上も残っていたレモネードをカウンターへ戻すと、毛利先輩の視線から逃げるように脱衣所へ行き、まだ少し湿っている自分の服へ着替えて先輩へ帰ると告げた。
ようやくカウンターから出て来ると、先輩は玄関まで見送ってくれ、傘を貸してくれた。
そんな優しさが、余計に俺を自己嫌悪させた。
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