<シーン16:城西高等学校文芸部 〜エピローグ〜>
月が変わり10月。
どうにか両手でタイピングが出来るようになった俺は、ようやく自分の小説を、ワープロで清書し始めていた。
「まだまだペンで書いた方が速そうだな」
いつの間にか毛利先輩が、真後ろに立って覗きこんでいた。
「もう、そこまで遅くないです・・・」
「遅い。なんなら俺がみっちり特訓をつけてやってもいい。・・・二人きりでな」
耳元でささやかれた最後の言葉に俺は焦った。
振りかえると、先輩は既にこちらに背を向けて集まりの悪い『TAUBLUME』の原稿をチェックし始めていた。
何を考えているのか、さっぱり判らない。
俺は結局、黙って小説の清書を再開する。
『TAUBLUME』の原稿は、俺はもう提出済みだった。
さきほどテーブルに放置されていた原稿を俺も少し見せてもらったが、提出者は現在5名。
『ヘヴィメタルとクラッシック音楽の相関関係』、『金曜夕方はなぜこんなに忙しいのか』、『おまんら、許さんぜよ』等など・・・それぞれ個性豊かな記事タイトルがそこに並んでいた。
担当ジャンルについて文句を言っていた直江先輩は、意外と提出一番乗りだった。
「しかし、アイドルタレント主演のテレビドラマをテーマに持ってくるとは、予想外でしたよ」
図書室へ顔を出すなり、井伊先生に原稿だけ預けて帰ろうとする直江先輩を捕まえて、俺は言った。
ヨーヨーコレクターである彼の第1回記事は、桜の代紋入りのヨーヨーを武器に悪党と戦う、女子高校生が主人公の漫画をテレビドラマ化した作品についてだった。
少々邪道な気もするが、シリーズ第2作目が作られるほどの人気作品のため、読者獲得が命題となっている文芸部にとっては、強力な集客記事となることに間違いない。
「俺よりお前こそ大丈夫なのか? 島津が渋い顔してたぞ」
俺の記事タイトルは『サソリ毒』。
そのものズバリ、サソリの毒について書いている。
サソリの毒は種類によってさまざまで、中東地域にいるデスストーカーのように成人でも命に関わるような強力な毒を持つ種類もあれば、南西諸島等に生息するヤエヤマサソリのように、ミツバチ程度の毒しか持たない種類もいる。
その一方で、サソリの毒に含まれる成分が、脳腫瘍治療に有効だという学説があったり、「全蝎」という生薬として用いられていたりと、医療分野で注目されている一面もある。
「生物学的かつ医学的見地から書いているので、そんなに気持悪くないと思うんですけど・・・」
落ち着いてちゃんと読めば判ってもらえるはずだ・・・まあ島津先輩にそれを求めることは難儀だが。
「お前、今回はちゃんと昆虫について書くって言ってなかったか?」
「そのはずだったんですが、予定はあくまで未定だったってことで・・・」
どこでどうしてこうなったのか、実のところ俺にもよく判らない。
確かに最初は、水生昆虫について書くつもりで資料を探していて、たまたまウミサソリの本に目が行って・・・。
「おっとやべぇ・・・バイトに遅れる。じゃあな鍋島」
そう言って直江先輩は、結局部活が始まる前に帰ってしまった。
1学期と何も変わらない。
あの夜の一件以来、俺も毛利先輩と顔を合わせ辛くなって、また少しの間、部をサボっていたことがあったから、人のことをあれこれ言うつもりもない。
しかし俺の場合は、放課後に廊下でバッタリ会った島津先輩にそのまま連行されて、今回のサボリは3日と続かなかった。
部に戻ってみると、毛利先輩はまったく気にしている様子がなく、その代わりに、どういうわけかときおり、さっきのようなセクハラ紛いの悪戯を仕掛けて来るようになっていた。
「無視されるよりはましだけど・・・」
何を考えているのか、つくづく判らない人だ。
「毛利副部長、井伊先生が呼んでおられるようですよ」
準備室から出てきた伊達先輩に呼ばれて、毛利先輩は小走りにそっちへ向かうと、彼女と入れ違いに中へ入ってしまった。
そう。
あのあと宣言通り、毛利先輩は副部長に戻っていた。
但し部長は武田ではない。
当人からの強い申し出により、武田は一部員に戻っていた。
たったひと月の間に武田がどれほど憔悴していたかを目の当たりしていた文芸部員で、この希望に異議を唱える者は誰も居なかった。
代わって部長に就いたのは伊達先輩だった。
まともに部に顔を出さない伊達先輩の部長就任には、当初賛否両論あったが、どういうわけか井伊先生の推薦もあり、何より本人が嫌がらなかったため、決定した。
意外なことに部長就任後の伊達先輩は、もっとも真面目に部へ顔を出すようになった。
部長の仕事も積極的にこなしており、意外なことに適任とすら思えた。
「ほらね、何か仕事を与えてやると、真面目になる人っているのよ。私の見込んだ通りだわ」
準備室から出てきた井伊先生が、毛利先輩に代わってせこせこと原稿のチェックをしている伊達先輩を見ると、満足そうにそう言った。
「じゃあ、直江先輩に副部長やってもらったら、直江先輩も真面目に来るようになるんじゃないですか?」
島津先輩がそう言うと、
「部長も副部長も頼りにならないんじゃ、私の仕事が増えるでしょう! そんなの絶対にお断りよ」
そう言って鍵を島津先輩に預けると、用事があるからあとよろしくね、と言って井伊先生が先に帰ってしまった。
この1ヶ月ほどは真面目に部に参加していた先生なだけに、また始まったか・・・と溜息を吐く。
「見た? バッチリ化粧直してたわよ・・・また新しい男を見つけたのかしら。懲りない人よね・・・前の男に車持ち逃げされたばかりだっていうのに」
島津先輩によると、どうやらその車は、夏のボーナスを頭金にしてつぎ込んだ新車らしく、ある日家に帰ってみると、車と一緒に恋人が消えていたのだそうな。
手当たり次第に電話をかけたり、職場を訪ねたりして恋人の行方を探し回った結果、あるとき先生の元へ、一通の内容証明が届き、これ以上続くようなら法的手段に出ると警告されたのだという・・・。
「えっ、でも車盗まれたんじゃないんですか・・・?」
「手紙を押さえられていたらしいのよね・・・これはあなたの車だから、好きに使ってねby須磨子(はあと)、なんて、丸文字で浮かれ調子に書かれた・・・キーを贈るときに添えたメッセージカードだったらしいんだけど・・・」
「それはせつない・・・」
合宿の際の遅刻が、その元恋人の行方を半狂乱で捜索していたせいだった、とまで聞かされると、判っていたこととはいえ、職員会議だと吐いた先生の嘘が、とても哀れに思えて来て、責める気になどなれない。
「まー、とことんまで男に泣かされる運命の女って、いるものよねー」
17歳にこう言わせてしまう井伊先生・・・恋に盲目な年齢不詳。
それはさておき。
井伊先生も帰ったというのに、準備室に入ったきり、中々出てこない毛利先輩。
どうやら井伊先生に仕事を押しつけられたらしい先輩を、入り口でしばらく観察していたが、何かの書類をパソコンへひたすら打ちこんでいる姿を見ていても、とくに俺が手伝えそうな気はしなかったので、こっちも先に帰ることにした。
図書室へ戻ってみると、鍵を預かった筈の島津先輩が一瞬で消えていた。
鍵はカウンターに放置されている。
「まったくあの人は・・・」
伊達先輩は、まだ原稿チェックが終わらないらしい。
どうしようか迷ったが、とりあえず部長にだけ声をかけて、俺は先に帰ることにした。
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