短期留学が決まったのは、夏休みへ入る直前のことだった。
「クイーンが言っていたわ。日本は今、亡国の危機にあり、このままでは諸外国に食い潰され、植民地支配を受ける日も遠くはないってね」
そう言ってメンソール煙草を少し吸うと、姉の鳴滝渡月(なるたき とげつ)は、勉強机に肩肘を突き、カーペットに正座をしている僕を見下ろした。
「あの・・・それで、なんで僕が留学しないといけないんでしょう。それとクイーンというは一体、誰・・・」
「周りをご覧なさい、・・・あたしの部屋じゃないわ、嵯峨(さが)。日本が置かれた状況、世界を見渡してみなさいって言っているの。高寧(こうねい)、清華(しんか)、露国(ロシア)・・・近隣諸国はどこも、日本に核ミサイルの照準を合わせ、領土を侵し、我が同胞を拉致し、隙あらば本土進攻を虎視眈々と狙っている敵だらけよ。幾ら日本が米国(アメリカ)の核の傘に守られていると言ったって、所詮は外国。その米国だって不公平な協定を結ばせて、日本を経済侵略しようとしている。・・・いい? 平成の開国だなんてマスゴミは聞こえのいい言葉を使っているけれど、あんなものは現代の不平等条約よ」
「はあ」
「けどね・・・残念ながら、この流れはもう誰にも止めることができないの。日本は清華や米国に食い潰されて、我々は母国へいながらにして、迫害を受けることになる」
「悲しいお話ですね」
「そうなると日本語は使用禁止よ」
「姉上の仰る通りに、中一から英会話へ通っていてよかったです」
「何もしないよりはマシね。アンタの英語じゃ、まだまだお話にはならないけど」
「精進します。ところで、そろそろ本題に入ってはいただけないでしょうか・・・僕、明日は日直なので、朝が早いのですが・・・」
「時は一刻を争うのよ、嵯峨」
「・・・はい」
「生きるための術を身に付けなさい。あんたは夏休みの間に倫敦へ行って英語を勉強するの」
「どうして倫敦なのでしょうか・・・英会話というなら、もっと手軽に濠国(オーストラリア)でもいいような気がするのですが。カンガルーもいますし、10万以下のパッケージツアーがザラに売り出されています。・・・あるいは、対米国植民地支配シミュレーション訓練という名目を重視して、この際渡米し、占領下の屈辱を疑似体験することも可能ではないかと」
「英語といえば英国に決まっているでしょう。文句ある?」
「ありません」
まあ英国であれば、現地でプレミア・リーグやプレシーズン・マッチが見られるかも知れないので、これ以上のツッコミは控えることにした。
どうせ姉のことだから、全てが事後通達であり進言するだけ無駄である。
「向こうでの生活は何も心配しなくていいわ、父さんが現地の方に連絡してくれている。大学時代のお友達が、市内で下宿屋を営んでいらっしゃるんだって。とりあえずあんたは今日中にこのサイトにアクセスして、プレイスメント・イグザミネーションを受験しなさい」
そういって渡月はメモ用紙に殴り書きしたURLを渡してくれた。
「これは明日帰ってからでも構いませんか? 修了式なので、昼には戻りますし・・・」
「今からだと言っているでしょう。出発は月末だから時間がないのよ、さっさとしなさい」
「はあ・・・」
壁時計を見ると、ナイフを象っている短針が3を差していた。
「現地に着いたらこの人に連絡しなさい」
そう言って、さらに新たなメモを渡される。
「現地での話でしたら、それこそ明日でも・・・」
「あたしは時間がないの。週明けには布哇(ハワイ)に行くんだから」
「昨日倫敦から帰ったばかりで、もう布哇ですか・・・楽しそうですね」
「姉上に喧嘩を売っているの? 出張に決まっているでしょう・・・ったくバカ課長が、人の弱みにつけ込んで、腹が立つったらありゃしない」
どうやら姉の意に反して決定した、仕事のようだった。
渡月は今年小さな商社へ入社したばかりのフレッシュウーマンだが、現状唯一のバイリンガルであるため、ほぼ週末の度に海外へ飛ばされており、純粋なオフは数えるほどしかない状態である。
そのため、入社以来、初めて纏まった休暇を貰えた先週末、4泊6日で倫敦へ旅行したのだが、その間に布哇行きが決定していたらしかった。
渡された紙を見ると、“queen”の5文字が入っている、フリーのメールアドレスである。
「さきほどもクイーンがどうのと仰っていましたが、一体この方は何者でしょう?」
「クイーンはとても聡明な人よ。英国在住でありながらにして、日本の現状を鋭く洞察し、未来を憂いていらっしゃる・・・あんたは倫敦に到着したら、スマホンからクイーンに連絡しなさい。あんたのことは伝えてあるから、メールをすればクイーンが助けてくれる」
「承知しました。ところで姉上、この下にかいてある一文は何を示すものでしょう」
クイーンのアドレスの下には、『Lipski's Trial/James F. Stephen』と書いてあった。
ただでさえ大きな渡月の目が、ギラリとした光を帯びたような気がした。
「ドックランズ・ミュージアムに行って、この本を買ってきて頂戴」
思った通りである。
僕は姉の勉強机と二つの書架を埋め尽くしている、コレクションを見て密かに溜め息を吐いた。
早い話、姉はこの書物を手に入れるために、僕を現地へ行かせたいということだ。
これまでにも渡月の興味が、『切り裂きジャック』以外に注がれた試しは一度もない。
毎晩深夜近くまで残業をしてから帰ってきても、日課である『切り裂きジャック』関連サイトの巡回だけは怠らず、インターネット通信販売を経由して、時には現地へ直接乗り込んで、切り裂きジャックに関連する書物やDVDその他を蒐集している・・・それが姉の人生である。
その姉が先週の休暇を利用して、・・・というよりその目的で休暇を獲得したのであろうが、現在倫敦のドックランズ・ミュージアムで開催中の『切り裂きジャックとヴィクトリアン・イースト・エンド展』を見学した。
ついでに関連グッズを掻き集め、実際にイースト・エンドへ向かって、犯行現場もつぶさに見て回ったことだろう。
昨日の夜、成田より6日ぶりに帰国したときには、姉の小さな顔が、疲れていながらも充足感で満たされていたように僕には見えた。
先程、呪詛を吐いてはいたものの、週明けから向かう布哇出張も、「初めての場所だから楽しみだわ。嵯峨、あんた、マカデミアン・ナッツ以外に何か買ってきてほしい物ある?」などと、気前の良いことを言っていたものである。
だが床へ就く寸前になって、事態が急変したのだ。
いつもチェックしているジャック関連のサイトを、数日ぶりに巡回いるうちに、自分が見落とした、とっておきのアイテムを発見してしまい、不覚を認識したようなのだ。
それが、James F. Stephenの『Lipski's Trial』。
これはイスラエル・リプスキーという人物の公判について書かれた書物であり、ジェイムズ・F・スティーヴンというのは、著者の名前のようだ。
何故ジャックマニアの姉がこの書物を欲しがるかというと、リプスキーが犯したとされているこの事件は、切り裂きジャック事件が起こるちょうど1年前の夏のことであり、現場も同じイーストエンドで、事件に関わる人物として、切り裂きジャック事件の関係者の名前が次々と、関係者として出てくるらしいのだ。
わざわざ、弟を納得させるために、日本が植民地支配を受ける可能性について勿体ぶった前置きをして、突然留学させようとしているのも、この本を手に入れんが為ということである。
我が姉ながら、一晩でよくこれだけ壮大な策を練りあげ、父を説きふせ、さらに学校や宿に至るまで、周到な準備を整えたものだと感心してしまった。
「そのような書物であれば、たとえば姉上が毎日のようにネットショッピングを楽しんでいらっしゃる、『密林.UK』などで手に入れるという方法もあるのではないでしょうか」
一応ツッコミを入れてみた。
「この『Lipski's Trial』が一体、いつ出版された本だと思っているの。著者のスティーヴンは1912年に亡くなっているわ」
その程度の事は、失態に気付いた1秒後に実行へ移し、電脳空間では入手不能と確認済みだという意味であろう。
姉であるなら当然だった。
「希少本ということですか」
「価値が分からない人が手放したのでしょうね・・・。密林なんかで買える代物じゃないわよ」
「なるほど、それが展覧会付近の古本屋台で売られていたというわけですか・・・なんとか探してみましょう」
それから僕は姉に言われた通りに、倫敦市内の英語学校、『Vern's House International』のサイト上で、プレイスメント・イグザミネーションを受験した。
姉に曰く、日本の英語教育は文法に重点を置きすぎるため、実力より高いレベルで認定される傾向があるということだった。
「徹底的に手を抜かないと後悔するわよ」
という助言に従い、1ページ分ほど完全にすっ飛ばして、制限時間よりかなり早くに終了させた。
結果は入校式にて、スチューデントカードの受け取りとともに知らされるということである。
翌朝、結局一睡も出来ずに向かった学校では、教室の鍵を間違えて持って行き、黒板を消し忘れ、修了式で校長の長話の最中に爆睡して、放課後生徒指導室へ呼び出された。
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