「あの・・・ああ、えっと・・・は、Hello・・・」
どうにかそれだけ口にすると、無理矢理顔へ笑みを貼り付ける。
「鳴滝嵯峨君よね?」
開け放した門の前に立ち、手にジョーロを持って立っている金髪の女性は、僕を見てそう言った。
「はい・・・、そうですが」
「やだぁ〜、もう、いきなり彼氏に送らせて帰って来るなんて、この、この! 隅に置けないなぁ〜!」
「うわっ・・・水が・・・、それと、そのっ・・・ええとっ・・・」
ジョーロの口からバシャバシャと零れる水滴が、僕ばかりでなく、女性の足やスカートまで容赦なく濡らしていた。
だが、それも気にならないほど興奮していたのだろうか。
彼女はテンション高く僕をぎゅっと抱き締めると、大きな胸を大胆に押し付けたまま、その場でピョンピョンとジャンプしだして、歓喜を伝えてくれた。
派手なセレモニーをひとしきり終えたあと、女性は僕を抱擁から解放すると、漸く自己紹介をしてくれる。
「すっかり挨拶が遅れてごめんなさいね。初めまして。帷子ノ辻有栖(かたびらのつじ ありす)です。どうぞ宜しく」
モスグリーンの瞳の高さは、僕のほぼ目線上にあった。
明るいブロンドの髪を頭の後ろで小さく纏め、Tシャツの上から青いエプロンをかけ、下は派手な歓迎セレモニーの被害も甚大な、水浸しのデニムスカートと、底の薄っぺらいビーチサンダルを履いていた。
ということは、身長は僕と同じぐらいなのだろう。
英国(イギリス)名はアリス・カタビラノツジ・スティーヴンというらしいが、彼女は日頃、好んで日本式に名乗っているのだそうだ。
しかもご丁寧に名前を『有栖』と、わざわざ漢字に直して相手に教えるらしい・・・さすがに当て字だろうとは思うが。
それにしても、またしてもスティーヴンである・・・取り立てて珍しい名前だとは思わないが、少し偶然が重なりすぎてやしないだろうか。
「ご実家に帰っていらっしゃったんですよね。ゆっくりできましたか?」
広隆(ひろたか)氏の話では、妹さんへ会いに、故郷のバースへ戻っていたという話だった筈だ。
「あら、別に帰省なんてしてないけど・・・ヒロ君がそう言ったの?」
幼少期にご両親とともに日本へ渡り、大学卒業までをほぼ東京で過ごした後、卒業後は広隆氏とともに英国へ戻って、以降は倫敦住まいだという有栖さん。
つまり人間が、その主たる人格形成を行うであろう期間を、ほぼ日本で過ごした彼女の日本語は、平均的な日本人女性と変わりがなく、考え方や仕草も日本人と大差がない。
金髪と白い肌、そしてモスグリーンの瞳を持った日本人・・・僕にはそう見えた。
そんな有栖さんの実家はバースであり、現在は御両親と一緒に住んでいる妹さんに会いに行ったのだと、広隆さんから聞いていた気がしたのだが、・・・彼女の反応を見ていていると、どうやら少々事情が違うようである。
「妹さんに会いに行ったって聞いたのですが・・・違うんですか・・・?」
僕のような部外者が、不用意に首を突っ込んではいけない問題だったのだろうか。
あるいは広隆さんに内緒で、誰かと会っていたとか・・・何気ない世間話のつもりだったのだが、なんだか心拍数があがってきた。
「ああ、そういうこと。そうそう、ジェニファーに即売を手伝ってほしいって頼まれて行ったんだけどね。彼女のクラスに急に新入生が入って来ることが決まっちゃって、休暇がつぶれたのよ。でもブースはもう押さえてるし、忙しい仕事の合間に、せっかく何日も徹夜して2冊も完成させたのに勿体ないじゃない。だから急きょ私が会場に行って、頑張って売りさばいて来たってわけ。ちなみにジェニファーの住まいも倫敦よ」
「あの、話がよく見えないのですが・・・ええと、妹さんは作家さんか何かですか?」
とりあえず、ジェニファーさんが本を出版し、有栖さんが販売した・・・それだけ了解できた。
「そんなところよ。ただし作家の前に『同人』っていう単語が付くけどね。数年前から英国主要都市で『クール・ジャパン・エキスポ』っていう、まさにクールなイベントが、持ち回りで開催されていて、今年はいよいよ我れらが故郷で行われるというのに、参加しないわけにはいかないじゃない」
「はあ、そうだったんですか・・・」
『クール・ジャパン・エキスポ』なる英国のイベントが何であるかについては、帰国も迫った、ある週末の夜、『金剛山』で夕食のとんかつ定食を食べていた車折氏が教えてくれた。
名目上は、日本文化を紹介するための博覧会とあるが、傾向は若年層向けのサブカルチャーへ著しく偏っており、コスプレイベントやゲーム、DVD等の販売、大々的な同人誌即売会などが、三日間通して行われる、大きな祭典なのだそうだ。
年を追うごとに大規模化しており、もはやEU圏内外の一部マニアにとっては、夏の風物詩と言ってよいぐらいの恒例行事なのだとか。
姉妹で創作活動に勤しんでいる有栖さんと妹のジェニファーさんは、この大規模イベントに例年参加している常連だそうで、スティーヴン・シスターズといえば、知る人ぞ知る有名サークルなのだそうな。
一体どのような作品をクリエイトしているのか、・・・少々気になったので、軽い気持ちで聞いてみたが、そこはなぜか曖昧に笑って誤魔化された。

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