夜気に吐き出される息が白く宙に浮かぶ。
肩に、首筋に、そして鎖骨にと、強く唇を押しあてられ、吸いつかれる度に、息が上がった。
「ああっ・・・」
艶めかしい喘ぎ声が自分の物だと信じられず、閉じていた己が眼を見開いて確かめる。
木枠が薔薇のレリーフで飾られた、古いドレッサー。
丸く大きな鏡には、派手にドレスの裾を捲り上げ、嵩張るペチコートの膝から下を宙に投げ出した、はしたない恰好が見える。
彼女と対面する形で、大きな背中を鏡に向けている男が腰を揺らすたび、吐息に低く掠れた声が滲んだ。
押し付けられ、内側を抉られる度に感じる、引き攣れたような痛みと快感。
徐々に身体を侵されてゆく、倒錯的な悦びと、抑えきれぬほどに膨らんだ、我が身を犯す男への独占欲とが、心中で吹き荒れる。
「はっ・・・ああっ・・・モンティ・・・!」
吐精の瞬間、必ず名前を呼んでくれる、せつなげな低い声に、どうしようもない愛しさが募った。
そして考える・・・同じように彼がステラの名前を呼ぶことが、あるのだろうかと。
事を終え、乱れた呼吸を整えるように、大きな肩が上下に揺れる。
熱い吐息を、頬に、肩に、首筋に感じた。
紛れもない至福に包まれ、ここがイースト・エンドの薄汚れた女装クラブであるという事実を思い出して、滑稽だと密かに笑う。
それでも、そんなひとときへ縋りつくように、波打つ彼の、少し汗ばんだ長髪へ指を差しいれ、掻き混ぜた。
君を、返したくない・・・。
不意に彼が顔を上げて、互いの視線が絡み合う。
「ジェム・・・?」
モスグリーンの瞳は、こんなときでも僕を鋭く射抜く。
自分がどんな姿をしているのかと思い出し、急激な羞恥に襲われた。
足を閉じ、スカートの裾を直す。
その瞬間に、鬘が床へ滑り落ちてしまう。
擦り切れた板の上に広がる、ヴェルヴェットのリボンが解けた、焦げ茶色の巻き毛。
30歳を過ぎた男の自分が、こんなものを頭に載せていたのだと思いだし、いたたまれなくなった。
拾い上げたそれを、ぐしゃぐしゃと丸めていると。
「そんな風に扱ったら、形が崩れちゃうよ」
大きな掌が、ささくれ立った心を宥めるように、僕の拳の上から包みこんで来る。
「あ・・・」
折り曲げた自分の指を、一本ずつ解くように伸ばされて、奪い取った鬘を、彼が再び僕の頭の上に戻してきた。
そして乱れた髪を梳かしつけるように、頭を撫でられた後で、彼がこう言った。
「綺麗だよ、モンティ」
この言葉に、僕はいつも惑わされる。
僕は君の玩具じゃない・・・こんな恰好をしたくはないのに。
「本当に、そう思うの・・・ジェム?」
それでも君がそう言ってくれるなら、僕は喜んで女になるだろう。
「自分で見てごらん」
モスグリーンの瞳を悪戯っぽく細めると、彼は目の前から場所を空け、僕の背後に回って、トンと背中を押してきた。
奇妙な形で頭に載っている、女物の鬘。
輪郭がぼやけて、滲んでしまっている口紅。
そして、いつの間に泣いていたのだろうか・・・目元の化粧も滲んで、頬に黒い筋が何本も付いている。
キラキラと輝く、あの美しいステラとは比較にもならない・・・醜い顔だった。
慌てて指で擦り、頬の汚れをさらに広げてしまう。
後ろでジェムが、クスクスと可笑しそうに笑っていた。
「酷い・・・」
耐えきれず両掌で顔を覆う。
こんな化け物のような顔をして、彼に抱かれていたのだと思うと、いたたまれなかった。
ステラが憎かった。
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