言われた意味はすぐに判明した。
僕が自室へ戻って間もなく、屋根裏から慌ただしい足どりで階段を駆け下りる音が聞こえて、彼が出て行ったことを知った。
時計を見ると、学校へ行くには早すぎる時間だったが、早朝からの騒ぎで僕もすっかり目が覚めていた。
服を着替えて、出掛ける準備にとりかかる。
寝なおす気分になれなかったのは、初対面の男に自慰を指摘されたショックの方が大きいだろう・・・・当分の間は眠れまい。
どこかへ朝食を食べに行くつもりで戸締りを済ませ、屋根裏へ続く、薄明るい階段を見上げた。
一瞬だけ悩んだが、試しに上がってみることにした。
「鍵が開けっ放しというより、そもそも鍵なんかないじゃん・・・」
階段はそのまま屋根裏部屋へ通じており、部屋の扉自体が存在しなかった。
大きさは僕の部屋と変わらず、屋根の傾斜から入って来る早朝の太陽が、二つの窓から眩しいぐらいに、キラキラと部屋全体を照らしている。
「本当に屋根裏部屋なんだな・・・こんな場所、初めて入ったや」
片隅に寄せられたベッドには一冊の本・・・『Lapsus Calami』。
倫敦(ロンドン)へ到着した当日に、ドックランズ・ミュージアム付近のマーケットで僕が購入した、スティーヴンの本だ。
どうやら、『ラプスス・カラミ』と読むらしい。
どういう意味なのだろうか。
枕元にはアイマスクが置いてある。
なるほど、この部屋では早朝から陽光が差し込んできて、寝ていられないことだろう。
カーテンぐらい付ければいいだろうにと思うところだが、アイマスクですませてしまうあたり、物臭な男なのだろう、きっと。
本はそのままにして、部屋を見渡してみた。
「あれ、この本・・・」
茶色い背表紙に目を留めて書架から抜きだし、見覚えのある表紙をしげしげと眺める。
前掛けをして帽子を被った男が、中庭のような場所で壁に背を凭れさせるように立ってこちらを振り向いている写真の表紙。
写真はとても古く、本のカバーが全体にセピア色をしていたが、タイトル文字の『Jack the Ripper』だけは赤いインクが使われていた。
内容は、殺人事件が起きた場所の当時と今の写真が比較されて、事件がなぜ起きたのかを検証している・・・姉の渡月(とげつ)によるとそんな本らしい。
いわゆる切り裂きジャックマニア向けの、世に溢れる一冊だ。
書架はこれ以外にも、姉のコレクションで目にしたタイトルや、作家の名前でほぼ埋め尽くされていた。
ということは、どうやらこの部屋の主も、姉と同じような切り裂きジャックマニアなのだろう。
「あっちはDVDだ・・・」
これもまた開きっぱなしのクローゼットには、衣類の他に、大きめのキャビネットが空間の三分の二ほどの場所を占領しており、上半分にはDVDが入ったクリアケースが、整然と並んでいた。
下にはカメラやキャリーケース、三脚、一脚、照明器具にマイク・・・・・どう見ても撮影用の機材である。
趣味で映画でも制作しているのだろうか。
振り返って机を見ると、閉じたノートパソコンの他に、隣にメタルラックが並べてあり、そちらにはデスクトップパソコンが2台に、DVDやブルーレイといったオーディオ機器がゴチャゴチャと配線でつないであった。
電力消費量が激しく多そうな部屋である。
ふと気になってクローゼットへ近づいてみる。
書架のコレクションを見れば、当然切り裂きジャック物のタイトルが並んでいそうなところであるが、それはごく僅かであり、大半は市販のDVD−R。
いずれも何かを記録済みのようであり、ディスクの表面に直接マーカーで内容が書き込まれている。
端から順番に、『13th.Mar.20xx/SOHO』、『15th.Mar.20xx/Trafalgar Sq, SOHO』、『16th.Mar.20xx/Piccadilly』・・・。
下の段を見てみると、『20th.Jul.20xx/SOHO』、『22th.Jul.20xx/Hackney』、『23.Jul.20xx/Hackney, SOHO』・・・こちらは、ごく最近の制作のようである。
撮影機材の傍には、買い溜めされた空ディスクらしきプラスティック・ケースが、封を剥がされぬままで積んであった。
つまり、何を収録しているかはわからないが、これらはどうやら、彼がカメラを抱えて出掛けて行った、撮影記録ということだろう。
その日付と撮影場所の地名が、タイトルとしてディスクに記されているということだ。
比較的ソーホーが多い気がするが、そこでは定期的に何かが行われているのだろうか。
DVDは全て撮影した日付順に並んでいるようであり、中からもっとも近い日付のものを拝借することにした。
クリアケースをそのまま鞄へ放り込んで部屋を出る。

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