20歳前後の若者が3人現れて、メッセージを書いたパネルや横断幕の準備をしており、その近くで二人の若者が、通行人に何かを呼びかけながらチラシを配布している。
ときおり営業中の屋台がカメラに映り込み、白衣を着た二人の店員が黙々と仕事を続けていた。
屋台の傍に『南部牛肉拉面』と書いた幟が立っているところを見ると、恐らく清華街の近くだろうと思われる。
なんとなく見覚えのある屋台なので、ヒデ達と行ったあたりなのかもしれない。
日の傾き加減から察して、時刻は夕方の6時前後だろうか。
帰宅ラッシュ時と思われ、交通量もけして少なくはないのだが、残念ながら青年たちからチラシを受け取る人はほとんどいない。
カメラもそれを意識した撮りかたをしているように思えた。
3分ほどそんな光景が続いた後に、どうやら街宣準備が出来たらしく、スピーチが始まった。
大学生ぐらいと思われる二人の青年が横断幕を持ち、同じ年頃の女性がオレンジ色のバンダナを巻いたマイクを握る。
足元には拡声器と、舗道の縁石にパネルが幾つか立て掛けられていた。
横断幕には、警察と闇社会の癒着を糾弾する過激なメッセージが書かれている。
パネルには、被害が絶えない誘拐事件が、まともに捜査されていないという指摘、日本人らしき数名の名前が書かれていた。
その名前は女性弁士のスピーチにより、誘拐事件の被害者の名前だと間もなく判明した。
さらに弁士は、これらの誘拐事件は殆どがソーホーで起きており、そこを根城にしているマフィアと警察が癒着しているために、捜査が進まず、さらに被害者がすべて有色人種であることから、社会の関心も低く、マスコミもあまり報道をしないのだと訴えていた。
弁士と横断幕を持っている二人は白人だったが、チラシを配布している二人は東洋人であり、演説に足を留める者はまったくおらず、チラシを受け取る人もほとんどいない。
そんな状況を見ると、残念ながら、この事件に対する人々の興味の薄さに、彼らが言う通り、人種差別感情が影響していないとは言いきれないだろうと思った。
弁士が代わり、横断幕を持っていた男性と女性が入れ替わる。
そして男性が演説を始めて間もなく、女性が誰かに話しかけられていた。
相手の姿はよく見えないが男のようだ。
「少しは関心を持ってくれる人がいるんだ・・・」
そう思って安心していたが、どうやら様子が可笑しい。
カメラに付けられたマイクが指向性のせいか、言葉が聞きとれないが、どうやら揉めている様子だった。
すると不意に映像が大きく乱れ、目の前が乱暴に揺れ動く・・・おそらく無造作にカメラを下へ向けた状態で、撮影者が歩き始めたせいだった。
続いて大きな声で英語の怒鳴り声が聞こえてくる・・・聞き覚えのある声・・・鹿王だ。
乱入者が女性に絡んできたことを怒っているようだ。
相手も何やら言い返してくる。
こちらは道路使用許可を得て街宣を行っているのだから、邪魔をするなと鹿王も言い返した。
つまり、この男は彼らの活動が気に入らない、妨害者ということなのだろう。
マイクが近くなり、漸く相手の声を拾った。
男は通行の邪魔だの、声が五月蝿いだのと言い返しており、一向に引く気がないらしい。
その言葉つきや声には粗暴な響きがあり、なんというか非常にガラが悪かった。
そこで鹿王がカメラを構えて相手に向けた。
・・・なるほど素晴らしいリーゼント頭に光沢のあるスカジャン、糸のような細い目の挑発的な表情。
こういう種類の人をなんというか、咄嗟に思い出せなかったが、なんとなく街角でスカジャンに織り込まれた、龍や虎の刺繍を見せびらかすように、通りに背を向けて、股を広げて座っているイメージがあった・・・あまり倫敦に生息している印象はなかったのだが。
だが、今度は肖像権の侵害だと男が怒りだし、・・・肖像権を知っていることに、逆に驚かされたが、続いて荒っぽい手付きでカメラのレンズを掌で塞ごうと手を出してきた。
しかし撮影活動をしている最中に、割り込んで来たのはあなたの方だと、鹿王が冷たく言い返し、音量に関しては下げる約束をすると、男は憮然とした態度であっさりと立ち去って行った。
鹿王は、仲間に演説を再開するように伝えたあとで、その背中をさらにカメラで追いかける。
何か気になることがあるのだろうか・・・そう思っていると。
「あの門だ・・・!」
カメラに赤い牌楼が映り込み、『倫敦清華(しんか)埠』の文字が見えて来る。
さらに『京城(けいじょう)屋』の看板を見つけて、撮影場所がヒデの親族が経営しているという店のすぐ傍だと判明した。
『京城屋』の前では、スーツ姿の男二人がこちらを向いて立っている。
男たちはサングラスを掛けていたが、わりと特徴のある顔つきをしていた。
一人は鷲鼻の上に大きな黒子があり、頬骨が高く、もう一人はやたら色白で化粧をしたように口唇が赤く見える。
両方とも東洋人だ。
妨害者が彼らの傍に到着すると、三人で何かを話しながら、『京城屋』へと入ってしまう・・・妨害者の仲間ということだ。
その光景だけ見ると、街宣が五月蝿いと文句を言いに来た『京城屋』の関係者に見えなくはない。
しかし彼らの雰囲気は、とても焼肉屋の店員には見えなかった。
言葉つきや声の出し方も、客商売をやる人間のものとは思えない。
一言で言えば、ガラが悪いのだ。
『京城屋』はそんな店ではなかった筈だ。
カメラが再び演説者へ向けられ、ときどきチラシ配りの青年達を映しつつ、最初と同じように撮影が続いた。
しかし2分ほど経過したところで、再び邪魔が入る。
今度カメラに付いているマイクが全ての会話を拾っており、鹿王が対応していた。
どうやら相手は警官らしい。
警官は近所の店から苦情が出ていると伝えにきており、鹿王はこれがちゃんと許可をとっている街宣で、既に音量も下げたとことを教えた。
しかし警察は、場所を変えるか中止しろと、なおも警告を続ける。
それに対して鹿王が、さらに音量を下げると伝え、次に拡声器の使用を止めると譲ったが、警察は断固として、この通りから彼らを排除するつもりらしかった。
おそらく通報者は、さきほどの連中であろうが、それにしても警察の対応が執拗すぎる。
しかも鹿王達が道路使用許可を得て活動しているのであれば、音量さえ下げれば警察に彼らの排除理由はない筈だろう。
いつのまにか他の警官が続々と到着しており、まずチラシの配布者達が、彼らに取り押さえられた。
さらに警官がやってきて、横断幕やパネルを撤去させる・・・鹿王を含め活動者6名に対し、警官の数は最終的に10名を超えた・・・武装もしていない彼らに対して、なんとも異様な光景だった。
鹿王がとうとう怒りだし、カメラを向けながら警察の対応を非難する。
すると映された警官が鹿王のカメラを押しのけ、今すぐ撮影を止めろと要求した。
それに対し鹿王は、公権力を行使する公務員には肖像権はなく、何を根拠に排除を命令し、全員が英国籍を持っている自分たちの政治活動を禁止するのか、彼らにはその説明義務があることを告げたが、それに対する警察側の、納得のいく回答はついになかった。
その事実を映像記録として残したのちに、鹿王は要求通り撮影を止めたようだった。
ディスクに記録されたデータはその二つの動画で全てであり、合計凡そ1時間弱の内容だった。
「何だったんだろう、これ・・・」
わりと高画質で記録されているこれらの映像が、それなりの投資で収録されていることは、鹿王の部屋においてあった様々な機材を思い出しても想像がつく。
最初はてっきり、映画でも制作しているのだろうかと思って視聴し始めたが、収められている内容は、どう見てもエンターテイメントとは程遠い。
ドキュメンタリー映画の類とも違うように見える。
なんらかのイデオロギーは持っているだろうが、どうも筋書きやテーマに沿って撮影されたもののようには見えなかったのだ。
使用カメラはひとつ。
編集箇所も、ハックニーからソーホーへ切り変わる一箇所のみで、あとはずっと回しっぱなしである。
そして、彼の部屋には同じようなディスクが、数百枚も保管されていた。
それらはすべて、こうして彼が足を運び、カメラを回した記録の積み重ねなのであろう。
何の目的で、このような活動を続けているのだろうか。
警官や乱入者と真っ向から衝突する鹿王の声を聞く限り、ただの遊びだとは到底思えなかった。
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