授業が終わり、帰宅準備をしていると、ヒデに再び誘われた。
「ロンドンダンジョンって、あのお化け屋敷の?」
聞き返すと苦笑が返ってくる。
「まあ、厳密にはちょっとちゃうけど、そんなもんやな」
「ロンドンダンジョンかあ・・・」
言われてみれば、観光らしい観光を僕はまだしていない。
初日に姉の遣いでドックランズ・ミュージアムへ行く途中に、倫敦塔の近くまで行ったが、それすらも通りすがりに外観を見ただけで、きちんと見学したわけでもない。
ましてお化け屋敷のような場所ならば、一人より仲間連れの方が楽しいだろう。
良い機会かもしれない・・・そう考えていたところ。
「行く行く〜!」
「うわっ・・・お前、何すんねん!」
テンションの高い声とともに、ヒデの上体が大きく傾ぎ、いつのまにか後ろから西院(さいいん)が、その背中へ乗りあげていた。
おんぶの恰好である。
「西院も行くの?」
昨日と同じメンバーになる。
「俺もロンドンダンジョンまだなんだよ。お化け屋敷なら本当は彼女を作ってデートが一番だけど、まあ野郎同士っていうのもいいよね。それに嵯峨(さが)なら、抱きついてくれても構わないし」
「えっと、別に抱きつきはしないと思うけど・・・」
というより、ロンドンダンジョン行きのスタート地点が、西院の計画では、彼女を作るところに設置されているらしい・・・いや、余計なお世話だとは思うのだが、なんとなく遠い道のりのような気がした。
「野郎に抱きつかれたら迷惑じゃ! はよ降りんかい! っていうか、お前は誘っとらん」
「うわあ〜暴れたら危ないよ、落ちちゃう!」
ヒデが右に左に身体を揺すって西院を振り落とそうとするが、落とされまいと西院は、ますますヒデに抱きついている様子である。
本当に仲が良い。
「ねえ嵯峨くん、ジェニファーがこれを君にって・・・っていうか、あの二人は男同士で何やってんのよ・・・」
「あ、宇多野(うたの)さん・・・どうもありがとう。そうだ、宇多野さんも良かったら、これから・・・」
宇多野が手渡してきた封筒を受け取り、彼女にも声をかけてみる。
「勝手に人増やすなや」
しかし誘おうとしたところで、すかさずヒデに止められてしまった。
「えっ、ああ・・・ごめん」
男オンリーの方が良いということだろうか。
考えてみれば、ロンドンダンジョンはただのお化け屋敷というわけではなく、ホラーバージョンの蝋人形館であり、生々しい血みどろの死体がこれでもかと転がっているような環境だ。
女性を誘うような場所でもないだろう。
・・・・・・そうだったっけ?
「やだあ、何い? 男同士でコソコソと。いやらしい〜! とりあえず、ソレ渡したからね。じゃあ、あたしも帰るわ、暇じゃないし。じゃあねぇ、嵯峨くん!」
「ああ、ありがとう!」
言い方は冗談めかしてはいたが、明らかに宇多野は気分を害していた。
当然だろう、あからさまに除け者にされたのだから。
「あれ・・・これって、宛名が・・・」
ふと彼女に手渡された封筒に目を下ろしてみると、宛名が『To Alice』・・・つまり有栖(アリス)さんになっていた。
鹿王のお母さん宛てということだろう。
「なんでだろ・・・」
とりあえず、勝手に中身を見るわけにもいかず、そのまま鞄へ仕舞う。
「嵯峨、行くで」
「あ、うん・・・」
気が付くと西院の姿が見えない。
トイレだろうか。
先に教室を出て行くヒデを追いかける。
階段を降りながら、さきほどの件について、彼にそれとなく注意をすることにした。
「宇多野に・・・なんで、俺が謝んねんな?」
「だからさ、多分、一人だけ除け者にされたって、誤解してると思うんだよ・・・そんなつもりはなかったんだろうけど。だからさ、一応、明日でいいからさ・・・」
ヒデは少し言葉が足りないところがある。
だから他のクラスメイト達からも誤解されやすくて、なんとなく浮いてしまっているのだ。
もう少し、器用になればずっと今よりも楽しくできる筈なのに・・・そう思う半面、そういう彼の不器用なところも、好きだと感じている自分がいる。
・・・好き?
「あのな、嵯峨・・・」
不意にヒデが足を止めて振り返る。
「うわっ・・・」
急に目の前で立ち止まられて、彼とぶつかりそうになった。
その拍子に身体のバランスを崩して、足を踏み外す。
「こら、危ないがな・・・」
「わっ・・・、ヒ、ヒデ・・・?」
落ちる・・・そう思った瞬間、彼に抱きとめられる形で、どうにか階段の踊り場に留まることができた。
心臓がドキドキと鳴っていた。
階段から転げ落ちそうになったから・・・いや、そうではない。
なんだろう、この感じ・・・。
「なあ、嵯峨・・・・」
「そうだ、西院・・・」
「は・・・?」
後ろを振り返りながら、少しだけヒデとの距離をとる。
生徒もまばらな3階へ向かう階段と、その先に続く、照明の消えた廊下が見える。
男子トイレは3階の廊下にあるが、一向に西院が降りて来る様子はない。
ひょっとしたらまだ教室に僕らがいると思って、戻ったんじゃないだろうか。
「西院なんか、とっくに帰ったがな」
「・・・そうなの?」
少しぶっきらぼうにヒデが教えてくれる。
「そうや。俺と二人や・・・嵯峨は嫌か?」
追及してくる表情も声も固いように感じた。
そういえば、先ほど僕は、彼が何かを言いかけていたところを遮っていたのだと思い出した。
「そんなことない。いいじゃん、二人で行こうよ」
出来る限りの笑顔で、僕はそう応えた。
嫌な筈がない。
だって、たぶん僕は・・・。
「そうか・・・ほな、行くで」
ヒデが僕の手を取った。
「うん」
僕が彼の手を握り返すと、自然に指が絡み合った。
そして二人で階段を下りて行く。
「明日な・・・」
「うん?」
見上げる横顔は穏やかで・・・だが、少しだけ元気がないように僕には見えた。
「いや・・なんやしらん、宇多野には悪いことしたな、思て・・・。ちゃんと謝るわ」
先ほどの話だった。
ヒデにも言い分はあるようだったが、どうやら譲歩すると言ってくれているらしい。
その気持ちが、僕はとても嬉しかった。
「うん・・・。でもまあ、大丈夫だとは思うよ。あの人、すごく頭良さそうだし・・・ヒデが気を遣ってくれたって、本当はちゃんとわかってると思う」
「俺が・・・か? 宇多野に気い遣わせたんやなくて、なんで・・・」
不思議そうな顔をしてヒデが振り向いた。
「だって、ああいう場所だし・・・。グロテスクなものが並んでるから、女性の宇多野さんを連れて行くような場所じゃないって・・・、あれ、そういう意味じゃなかったの?」
急に話がわからなくなってきた。
それでは、なぜヒデは宇多野の参加を拒否したのだろうか・・・。
「お化け屋敷言うたら、デートコースの定番やろ・・・。嵯峨は、一体何言うてんねん・・・」
「だって、さっきヒデが言ったんじゃないか、ロンドンダンジョンはお化け屋敷じゃないって」
いや、宇多野だけではない。
最初に西院が来るのも断っていた。
「せやけど嵯峨が言うたんやないか、お化け屋敷やって・・・まあ、どっちでもええわ。とりあえず、はよ電車乗ろ」
なんとなく話を誤魔化されたような気がしたが、ひとまずヒデの機嫌が直ったようなので、それでいいことにした。
そして僕は深く考えていなかったのだ・・・ヒデがこのとき、何を言っていたのかを。
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