せっかくだからと誘われて、まずは倫敦塔を見学することにした。 ロンドン・ダンジョンの最寄り駅は、ロンドン・ブリッジ駅になるが、倫敦塔からだと歩いて移動をしても大した距離ではない。
「11世紀に建てられた中世の要塞で、その時々によって宮殿やったり、天文台やったり、動物園やったりしたけど、いっちゃん有名なんは、王族とか貴族を幽閉したり処刑したりした監獄やったことやろな・・・ここは、トマス・モアが幽閉されとったんやって」
入場してすぐの場所にある屋根の丸い石の塔を指しながら、ヒデが言った。
そこから暫く歩いた辺りに、観光客達が群がって柵越しに写真を撮影している場所があり、柵の下を覗くと黒い門が掛けられた堀が見える。
手元のガイドを読むと、ここから囚人たちが船に乗って、倫敦塔へ送られてきたようだ。
「アン・ブーリン王妃の幽霊とか、有名だよね」
幾つかの門をくぐって、広い場所へ出る。
「姦通の汚名着せられて首切られた、ヘンリー8世のお妃さんやな。自分は6人も嫁さんもろとる(注*貰っての意)くせに、姦通てよう言うわ・・・」
「凄い時代だよね」
嘘にしろ本当にしろ、浮気で一国の妃が、王に首を刎ねられたのである。
独裁者なんてもんじゃない。
「ああ、ここらへんでエドワード5世とヨーク公の幽霊が、よう出とるらしいな」
ヒデが指さした辺りを地図で見ると、ブラッディ・タワーと書いてある。
「もう、なんだか名前からしておどろおどろしいよね」
「元々はガーデン・タワーって呼ばれとったらしいけどな。ああ、あそこやわ」
そう言ってヒデが、僕の手を引いて庭を突っ切って行く。
付いて行くと、足元の芝が一角だけ切りとられていて、石畳が敷き詰められているスペースがある。
そこに4つのポールが立って鎖で囲まれており、まん中に『SITE OF SCAFFOLD』と書かれた、背の低いパネルが置いてあった。
「ここって、まさか・・・」
「断頭台があった場所やわ。アン・ブーリンやら、カスリン・ハワード、トマス・モアなんかの首が刎ねられた場所っちゅうこっちゃな。カスリンもアンとおんなじで、王さんに浮気を咎められて斬首された嫁さんやけど、潔う断頭台に首差し出したアンとちごて(注*違っての意)、泣き叫んで逃げ回って大変やったらしいわ。今でも毎年命日になると、この辺で髪振り乱して逃げ回っとる、カスリン王妃の幽霊が出るゆう話やで」
「それって、・・・壮絶だね」
「壮観やろな・・・って、大丈夫かいな、なんや顔青いで」
「うん・・・ちょっと、想像しちゃった」
「ええ、納涼になったやろ。・・・ほな、次行こか」
そう言っていつの間にか背中に回っていた手が、僕の肩を引いて初めて気が付いた。
無意識にヒデの方へ身体を寄せていたことを。
その後もヒデは、同じ調子で、ブラッディ・タワーで殺された二人の王子の話や、彼らの幽霊が目撃されたというホワイトタワー、殺された翌日に目撃された、首のない馬車と、自分の首をもってその馬車に乗っていた、首なしアン王妃の話を、それは楽しそうに語って聞かせてくれたのだった・・・。
「なかなか詳しいけど、こういう話が好きなの?」
いい加減に呆れてヒデに聞く。
「いや、昨日のうちにネットで調べただけやで」
「え、そうなの?」
付け焼き場の知識だったようだ・・・しかし何故また。
「そうや。ほな、ここはこんぐらいにして、次行こか」
「どこに?」
「せやからダンジョン行く言うとったやろ。ほら、行くで」
そう言ってヒデは、僕の背中から腕を伸ばして肘の辺りに手を掛けると、身体を引き寄せながら移動を促してきた。
僕はと言うと、断頭台の説明の辺りからこちら、恥も外聞もなくヒデにしがみついたままだったのだ・・・、今夜寝られるのだろうか。
せっかくなので、壮麗なタワーブリッジを渡ってテムズを横断し、ツーリー・ストリートを歩くことにした。
「うわ・・・凄い並んでる」
到着してみると、古めかしい煉瓦塀の建物に沿って、先頭の見えない行列が続いていた。
「ここはいつ来てもこんな感じやわ・・・今日はまだマシなほうやで。まあ、大人しい待つしかないな」
「そんなに人気があるの? すっごく怖いのかな・・・」
「怖いかどうかは、個人の主観やから何とも言えんけど、行列の原因はもっと別のとこにあんねんな、これが・・・」
そう言ってヒデが苦笑した。
どうせなので鞄からテキストを取り出し、二人で宿題をして時間を潰しつつ、順番が来るのを待つ・・・といっても、僕が一方的に教えてもらっただけだったが。
30分ほど待たされ、ようやく順番がやってきた。
チケットを購入し、さあ漸く入場するぞと思えば・・・。
「ええっと・・・これって一体・・・」
中でさらに行列が待っていた。
「まあまあ」
墓地のセットのような場所で、もう30分ほど待たされ、漸く先頭が見えてくる・・・その先にあったものは。
「あれってまさか・・・」
「見ての通りやな」
目の前では一組のカップルが記念撮影の真っ最中であった。
彼氏は断頭台へ首を置き、彼女がサディスティックな笑みを浮かべて手に斧を持っている。
「さあ寝言で彼氏が、知らない女の名前を言った瞬間を思い浮かべるんだ!」
撮影者がそのような事を言った瞬間、女性が目をギラリと輝かせて、斧を一際高く振り上げた。
彼氏の顔が真っ青に引き攣っている。
次の瞬間、白くフラッシュが焚かれた。
「あ〜あ・・・、あれじゃあ、喧嘩になっちゃうよ」
「なんか覚えがあんねやろな・・・洒落にならんわ」
撮影が終わり、次のグループと交替した。
スタッフが最初に説明をし、誰が首を置いて、どちらが斧を持つかで討議して、役割が決定するとスタッフが客の首を器具で固定する。
そしてさきほどのように、冗談を飛ばしながら、彼らにポーズを取らせて、ハイチーズ・・・・これでは時間がかかる筈である。
「こんなことの為に・・・あの行列・・・ハハハ」
1時間の無駄を返してくれと言いたくなってきた。
「嵯峨、順番来たで」
ヒデに手を引かれて断頭台まで行く。
役割については、順番が来る直前のジャンケンで、既に僕が罪人役で決定していた。
大人しく首と手首を差し出し、スタッフに固定してもらう。
多少の隙間はあったものの、下手に首を捩じると、それだけで骨が折れそうな気がした。
「気分はどうや?」
下から首を刈り飛ばすように、斧の刃を喉元に宛てがいながらヒデが聞いてくる。
「うわぁ・・・見えるよ、それ、・・・怖いからやめて!」
金属がひんやりと皮膚に当たる感触は、なかなかゾクリとした。
「こんなん玩具やって」
「わかってるけど、身体の自由が全然利かないから、ちょっと怖いんだよ・・・」
処刑台はしっかりとした角材で出来ているため、首も手首もさしずめギプスで固められたようなものである。
やろうと思えば、本当に斧で首を刎ねることもできるだろう。
そんな状況で、偽物とはいえ刃物を向けられると、結構おっかない。
「ほんまに、嵯峨は怖がりやなあ・・・」
声が間近で聞こえ、突然目の前にヒデの顔が現れた。
どうやら跪いているようである。
「何してるんだよ・・・早くポーズとらないと、次がつかえて・・・」
「安心のおまじないや」
「えっ・・・・痛っ!」
耳元で囁かれ、うっかり振り向こうとした瞬間、木枠にゴツンと頭が当たる。
そして少し驚いたような視線とぶつかり、そのまま口唇に何かが触れていた。
まさか・・・キス?
茫然としている間に撮影が終了してしまい、処刑台から下ろされる。
後ろのカップルが、何やらずっと文句を言っている気がしたが、早々にヒデに手を引かれて、館内のアトラクションを見て回った。
館内は血腥い英国の歴史。
イメージしていた、人を驚かせるような仕掛けはなかったものの、各コーナーに立っている歴史的な衣装を着たスタッフが、芝居がかった調子でアトラクションを説明したり、悲鳴を上げて逃げ回る子供たちを追いかけていたりした。
ヘンリー8世と、処刑された彼の妻たちや、スコットランドの人食いソニービーン一家、切り裂きジャックや、スウィニー・トッドなどといった英国の事件のほか、ブラド・ツェペシュ、火刑に処されるジャンヌ・ダルクと魔女裁判、少女たちを殺して血を絞り出し、それを風呂桶に貯めて血風呂に入っていたエリザベート・バートリなど、欧州諸外国の陰惨な事件も再現してある。
中は結構広くて、見るところも沢山あったし、出口まで来た時には、すっかり夜になっていた。
・・・しかし、僕はというと。
「嵯峨、大丈夫かいな・・・なんやさっきから、ずーっと黙っとるけど・・・気分でも悪いんか?」
「大丈夫・・・だよ」
何を見て来たのかなんて、まともに覚えていなかった。
それどころじゃなかったのだ。
「ほな、やっぱりあれか・・・ええと、ごめん勝手にキスして」
「ば、馬鹿っ・・・なんで言うかな、もう」
せっかく落ち着き始めた心臓が、またドキドキしてきた。
「せやけど嵯峨、怒ってんねんやろ? 俺かて、ほんまにする気なかってんけど、嵯峨が首動かすから、びっくりしてしもて・・・」
「何だよ、僕が悪いっていうのか?」
「いや、そやないけど・・・ああ、写真出来とるやろな。買うてくるわ」
そう言って受け取りカウンターへ行こうとするヒデの手首を、必死に引いて僕は止めた。
「い、いらないよ! だって、写真は・・・」
思いっきりキスシーンになっている筈だった。
そんなの恥ずかしくて持っていられない。
「せやけど、・・・買わんかったら、多分、ああやってずっと、このカウンターで晒される思うで」
ヒデがそう言って苦笑しながら、受け取りカウンターを指さす。
そこには確かに、何十枚もの同じような記念撮影コーナーの写真が貼ってあり、全てモデルが異なっている。
中には僕らのように悪ふざけをしている写真やら、意外とキスシーンの写真も沢山あった・・・もっとも、男女のカップルばかりではあるが。
「買ってくる・・・」
ヒデを追い越すと、財布を取り出しながら僕は受け取りカウンターへ走った。
こんなところで僕らのキスシーンを公開するなど、冗談ではなかった・・・。
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