玄関を開けると鹿王はまっすぐに屋根裏部屋へ向かった。
僕も彼のあとに続く。
照明がついていない細い階段を、大荷物を抱えた鹿王は慣れたスピードで上がって行き、先に部屋へ入って明かりを灯した。
入り口のスイッチをオンにすることで、全てが稼働する仕組みになっているのだろうか・・・。
彼に続いて僕が部屋へ入った頃には、パソコンやオーディオ機器類が一斉に起動しており、モニターにOSのロゴが表示されていた。
あるいは1秒かからずに、鹿王が全部の電源を入れただけかもしれない。
その鹿王は鞄から撮影機材をベッドの上におろし、カメラから抜きだしたメモリーを、PCへ接続された外部機器に差し込んで、何かの作業を開始していた。
しかしPC本体の起動がやや遅く、モニターは相変わらずウィルス対策やら、Flashプレーヤーなどの起動画面が順番に表示されている。
見たところ、OSは新しかったが、色々と詰め込んでいるみたいだった。
「あの・・・なぜヒデが高寧人だなんて・・・」
鹿王はさきほど、僕に対して『高寧人ヤクザの愛人になりたいのか』と言った。
つまり、ヒデが高寧人ヤクザだと、彼は確信しているということだろう。
だが、覚えているかぎり、鹿王がヒデと会ったのはさきほどが初めてだ。
昨日の帰りにもこの部屋か、或いは下宿のどこからか、僕を送って来たヒデを、遠目に見ていたかもしれないが、いずれにしろ、まだまともに会話もしていないだろう。
たったそれだけの接触で、なぜ彼を高寧人だと・・・それもヤクザだと言い切れるのだろうか。
「顔見りゃわかると思うが? 典型的な高寧人だろう。まあ多少は弄ってるかもしれないがな」
椅子に腰を掛け、PCに向かってマウスを操作し、起動した動画編集ソフトで本格的に何かの作業を開始しながら鹿王は言った。
真面目に人と話す態度ではない。
人をここまで連れて来ておいて、どういう神経をしているのだろう。
「いくら何でも失礼でしょう、根拠もないくせに」
一度は爆発しかけた神経が漸く収まっていたのに、また段々と腹が立ってきた。
そもそも鹿王は僕を下宿まで送ってくれたヒデに対して、問答無用で追い返すような態度をとったのである。
ソーホーからゾーン6のアッパー・トゥーティング・ロードまでなら、タクシー代だってけして安くはないだろう。
何よりも、・・・せっかくヒデとは良い雰囲気になりかけていたのだ。
それをあんな風に引き離されたりしたら・・・間違いなく、ヒデに妙な誤解をされた筈である。
「根拠か・・・確かにそれはないな」
大して興味もなさそうな口ぶりでそう言うと、鹿王はキャビネットへ手を伸ばし、買い溜めの空ディスクからDVDを1枚取り出して、ドライブにセットした。
モニターの表示が何度か切り替わり、パーセンテージの数字が猛スピードでカウントされる。
どうやら複製を作っているようだった。
ということは、午前中に見せてもらったような動画をディスクに保存しているのであろう。
つまり、早朝から今までどこかで撮影活動をしていたと・・・そういうことだろうか。
「だったら、どうして・・・」
「ただ、いわゆる高寧人の芸能人達と同じような顔立ちだと思ったし、日本と違ってかの国は美容整形が珍しくないからな・・・もっとも、本人に聞いたわけじゃないから、実際のところは俺も知らんし、そんなことはどうでもいい。だが、・・・・お前だって、何かしら思い当たるふしがあるから、ここまで俺に付いて来たんだろう。失礼だなんだと怒りつつ」
「それは、まあ・・・」
「ソーホーで何かあったのか?」
質問されて、心臓が口から飛び出るかと思った。
「なんで僕たちが、ソーホーに居たことを知っているんですか・・・まさか、尾行!?」
「アホなことを言うな。なんで俺がお前ごときのために、倫敦中をつけまわさなきゃならん! データチェック中に偶然目撃しただけだ。ったく、あんなところで男同士、ベタベタと手なんか繋いで歩きまわりやがって・・・」
「覗き見してたんですか?」
「だからデータチェック中だと言っただろう! お前らこそ、いつも俺が利用しているネカフェの前で、イチャイチャすんな、見苦しい」
要するに、今日歩いていたソーホーのどこかに、鹿王が通っているネットカフェがあったということのようだった。
彼は撮影活動の後、動画の確認作業でそこを利用しているのだろう。
「あ」
ふと思い出し、鞄の中からDVDディスクを引き抜いて、鹿王へ返却した。
「お前な・・・・持ちだして良いと言ったのは本だけだった筈だぞ。ったく・・・・よし、どうもなってないな」
鹿王が失礼なことを言いながらノートパソコンのドライヴにディスクを挿入すると、すぐに午前中見た動画が始まった。
映像が正常に再生されることを確認しただけで、彼は満足すると、またディスクを引き抜いてケースに戻し、キャビネットへ並べる。
「僕が一体、何をしたと思ったんですか・・・」
どうでもいいが、ノートパソコンまで起動していたことに、僕は改めて驚いた。
ずっと見ていた筈だが、いつ電源を入れたのか、さっぱりわからなかった。
「お前なら割るぐらいしかできんだろうが、お前の友達の手に渡れば、それこそデータを削除したり、複製をとられたりしかねんからな。・・・まあ、どっちにしろ別に大した問題にはならないが。それこそ、毎回撮影直後にバックアップはとるようにしているから」
「大概酷い言われようなんですが・・・もういいです。その・・・それって、例の暴動ですよね」
「ああ、先月末にハックニーで起きたやつだ。・・・一応ニュースとか見てるようだな」
「有名ですから。それにこの間車折さんが、ハックニーへは行かない方が良いって、教えてくれました。・・・っていうか、鹿王さん、あの現場にいらしたんですね。どうしてあんな危険な場所へ?」
「危険だろうが何だろうが、それが今の倫敦だからだ。ここが俺の住む街であり、故郷のひとつだ。だから俺はカメラを回し、記録する。それだけだ」
「有栖さんは鹿王さんのこと、引き籠りだって・・・」
「失礼なことを言うな! 自分こそ人んちの前で、男同士でイチャイチャしやがって、少しは世間の目を憚れ」
「ごめんなさい・・・、もう引き籠りだなんて思っていませんよ」
「・・・お袋は何もわかっちゃいない。それに、知られたくもない・・・心配かけるからな」
「まあ、確かに・・・暴動現場に押し掛けて撮影していたなんて知って、心配しないお母さんはいませんよね。その動画、テレビ局とかに売っているんですか? 鹿王さんって、実は有名なジャーナリストだったりして・・・」
「そんなんじゃない。ネットで配信しているだけだ」
「よーつべとか?」
「よーつべじゃないが・・・そんなところだ」
「活動家なんですか? 革命を起こしたいとか、体制をぶち壊したいとか」
「別にアナーキストってわけじゃねえよ」
「じゃあ、マスゴミは売国奴とか、団塊と政治家はお花畑とか・・・」
「ネトウヨでもねえよ・・・まあ、売国奴もお花畑野郎も嫌いには違いない。お前なんて、典型的なお花畑脳だしな」
「悪かったですね」
嫌い・・・か。
微かに胸の奥がズキンと痛んだ。
「どっちにしろ、これを見たんなら話は早い。留学生失踪事件のことも知っているな」
DVDで鹿王達が街宣活動を行っていた件だった。
「被害者が有色人種だから、警察がまともに捜査しないっていう・・・」
事件のことは正直に言ってよく知らない。
先日、車折さんから聞いた話では、被害者が若い女子学生ばかりだったために、マスコミは切り裂きジャック2世事件と呼び、結構話題になっていると言っていた。
鹿王たちの話では、ソーホーを根城にしているマフィアが事件に関与している可能性があり、そのマフィアと警察が癒着しているために、捜査が進まないのだという。
「あの街宣を収録していた辺りは、『金虎』(きんこ)・・・『Glden Tiger』という高寧人マフィアの根城だ」
「その名前・・・」
ゴールデン・タイガー・・・金の虎。
どこかで聞いた気がした。
「先日、武器取引の現場でメンバーの一人が殺されてニュースになっていたな・・・キム・ソンイルとか言う名前の、若い構成員だ。鉄砲玉ってヤツだろう」
「そうか・・・ここへ来る時、タクシーの中で読んだんだった」
足元に落ちていた新聞記事に、そんな名前と、構成員の若い写真を見て、最初は高寧ポップアイドルのメンバーか何かだと勘違いしかけたのを思い出した。
ところが記事に出ている、マフィアだの武器だのという単語を見て、どうやら違うらしいと気が付き、そのまま新聞を捨てたのだ。
「ほう・・・新聞も読んだりするのか。若いのに、なかなか感心だな」
「僕のことかなりの馬鹿だと思ってます?」
「違うのか」
「いえ・・・まあ、いいです。続けてください」
確かにウチの高校は、偏差値50以下で、都内でも下位ランクだ。
けして威張れるような頭ではない。
「まあ、ニュースを見たり新聞を読んだりすることは、何もしないよりはましだが、鵜呑みにしていたら意味はないぞ。マスコミがけして本当のことを報道しているとは限らない」
「日本のマスコミはマスゴミだからですか」
「どの国にいても同じだ。情報は自分の目で見て確かめろ。判断を他人に委ねていたら、いつまで経っても真実は見えてこない」
「だから撮影活動を続けている・・・ってことですか」
けれど・・・一体何のために?
それはわからないが、聞いたところで、僕には理解もできないだろうと思われた。
既存の報道媒体を信用せず、政府に国家に義憤を感じ、それを発信せずにいられない・・・それが鹿王さんなりの生き方なのだろう。
「お前、『京城(けいじょう)屋』っていう焼肉屋を覚えているか? 牌楼のところに、デカイ看板を出していただろう」
不意に鹿王さんが聞いてきた。
「ええ、知ってますよ。あそこって・・・」
「あの店は七海派(しちかいは)が経営している」
「七海派?」
なんの派閥だろうか。
「高寧人マフィアだ」
「嘘・・・」
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