「やっと目ぇ覚めたか」
のんびりとした関西弁の声が聞こえたことで、自分がいつのまにか眠っていたことを知った。
「えっと・・・ヒデ・・・?」
ずいぶん小父さん臭い声になったものだと、振り返ると、目元の鋭いナイスミドルと目が合った。
灰色のスーツに黒いシャツ、白いネクタイ・・・サングラスを外していたが、テラスの上から僕とギュハのやり取りを見ていた、どこからどう見ても強面のあの男だとわかった。
男は手にしていた新聞を無造作に畳んで、腰掛けていた椅子から立ち上がると、大股で部屋の入り口まで移動し、よくわからないことを、その向こうにいるらしい誰かへ叫んでいた。
言葉がわからなかったのではない。
ちゃんと日本語ではあったのだが、言っている意味が理解できなかったのだ。
とりあえず、代表的な大阪もしくは広島の名物料理と思われる、一部省略したその名前を、彼は叫んでいた。
「お腹空いたやろ、もうちょい待ってや。今お好み持ってこさせるさかいな」
そう言いながら男は、再びベッドの傍へやって来て椅子に腰掛け直した。
「あれ・・・そういえば」
また違う場所へ移されていることを、今さら理解する。
最初に連れて来られたところは、クラッシックなインテリアで纏められた、どこかの洋館の居間のような場所だったが、今いる場所は現代的な家具が据え付けられている、庶民的な寝室に見えた。
ついでに、どこも縛られていない。
いつのまにか服も着ていた。
ただし、シャツは自分のものではないようだ・・・・そこまで考えて、さきほどヒデに乱暴に扱われたことを思い出した。
そう・・・彼とセックスしたのだ。
あれをそう呼んで良いのなら・・・。
手首に残っている痕を見る。
赤く腫れあがり、ところどころが、擦り切れていた。
「ほんまに、どうしようもないやっちゃなあ・・・バージン相手に何しよんねんアイツは。堪忍やで嵯峨ちゃん」
そう言いながら大きな掌で、両手をすっぽりと包みこまれる。
「あ・・・あの、ええっと・・・」
親しみやすい喋り方と、細やかな気遣いに戸惑った。
いかにも強面といった風貌をしているが、どうやら優しい人らしい。
「ああ、俺はキサン。コ・キサン言うねん」
そう言うとキサンは、ナイトテーブルに置いてある電話の傍のメモパッドへ手を伸ばし、『高貴山』と自分の名前らしい漢字を書いて教えてくれた。
そういえばギュハがそう呼んでいたことを思い出す。
「キサンさん・・・その、やっぱり・・・ずっと見ていらしたんですか?」
ヒデは3カ所あるカメラを示しながら、ギュハ達も見ている筈だと言っていた。
顔が赤くなっていくのが自分でわかる。
「ああ・・・ええっとな。まあ、一応仕事やから、そうするつもりやってんけど、なんやしらん、ええとこでギュハに追い出されてしもて。せやけど、色っぽい声は丸聞こえやったからなあ〜。あのアホガキ、嵯峨ちゃん気い失っとんのに、まだ突っ込もうとしとったから、結局ギュハにしばかれて追い出されよったらしいわ。ほんま、堪忍やで・・・おお、来よった来よった。ほな、メシ食おか」
扉の向こうから、どう嗅いでも、お好み焼きの匂いがすると思っているうちに、本当に部屋へお好み焼きが現れた。
運んできたのは、さきほどギュハに掴みかかろうとしていたヒデを抑え付けていた、金髪にリーゼントの青年だった。
「兄貴、ここでええですか? それとも、嵯峨やんのは、トレイ載せてそっち運びましょか?」
「なんや、気い利かんやっちゃな。破瓜の血流したばっかりの痛々しい美少年の身体を、前もって労わり気遣える細やかな神経はないんかいな」
「あ・・・あの・・・」
「破瓜した美少年って、兄貴、日本語として間違ってますやん。いくら高寧人のロンドナーでも、それはちょっと・・・」
リーゼントの彼は丸顔に苦笑を貼りつけてキサンに言う。
こうすると八の字眉毛の尻が、一際下がって見えた。
「五月蠅いやっちゃな、細かいこと言うとったら、女にも美少年にもモテへんぞ」
「・・・すいません、もしかして僕の事でしたら、そちらのテーブルへ行きますんで、どうかお気遣いなく」
そう告げると、ベッドから出て、食事の用意ができているテーブルへ移動した。
立ち上がるときに、お尻が少し痛かったが、歩けないほどではなかった。
最中は、確かに気を失うほどの痛みだったのに・・・いや、痛みだけではなかった筈だ。
僕が席に着くのとほぼ同時に、キサンさんも向かいの椅子を引いて座った。
「遠慮せんと、どんどん食べてや。足りんかったら、なんぼでも焼かせるから」
「ありがとうございます」
お好み焼きは焼き立てで、ふんわりとしていて、とても美味しかった。
誰が焼いているのかと聞くと、食事の準備をしに来てくれた、リュ・ギョンスンさんという人だった。
最近入ったばかりのメンバーで、今は深夜営業スーパーの惣菜コーナーでお好み焼きやたこ焼きを焼いているのだという。
またキサンが漢字を教えてくれたが、柳景承と書くらしい。
ちなみにヒデは、そのまま簗英文とかいて、ヤン・ヨンムン・・・つまり、本名でも日本名でも、漢字は同じなのだそうだ。
「はあ、・・・スーパーの惣菜コーナーですか。失礼ですが、ヤクザってそんな仕事もするんですか?」
「そら金になることやったら、何でもさせるで。若いうちの苦労は買ってでもせんと、人間として大きいなられんさかい、嵯峨ちゃんもどんどん苦労しいや」
「はあ・・・。ところでその・・・ヒデ・・・ああ、ヨンムンでしたっけ。彼は今どこに・・・」
「先に店行ってもうとるわ」
「お店・・・ああ、『セブン・シーズ』でしたっけ」
「いや、カジノちゃうねんけどな・・・。早かったら朝には帰るやろうけど、多分またミンジェのアホに引っ張って行かれるやろし、日高いうちに集金もあるから、それ回ってからやったら、帰ってくんのは明日の夕方ぐらいちゃうか。そしたら、また仮眠とってすぐ出て行きよるやろけど・・・」
「あの・・・ヨンムンって、いつもそんなハードスケジュールなんですか? それに夜の店の仕事って、ひょっとして・・・ええと・・・」
「心配せんでもええって、変な店ちゃうから。そらヨンムンみたいな男前店に置いたら、金払いのええオバはんなんぼでも寄ってきよるやろから、ホストクラブでも持たせた方がええんやろうけど、あいつはまだ未成年やからな。そういう仕事はさせへん決まりなんや。夜の仕事言うても、スーパーのこっちゃ。24時間スーパー、こっちでもオープンしたさかいな。『マルネイ・ストア』って、知らんかな。ギョンスンと一緒に、そこでお好み焼いたり、冷蔵庫掃除したりしとるわ」
そう言いながらまたキサンがメモパッドに、『丸寧ストア』と書いた。
なんだか丁寧な人である。
「ああ、聞いたことあるかも・・・」
そう言えば、倫敦へ到着した当日に車折から名前を聞いていたスーパーのことだった。
有栖さんが、そこで生鮮食品を買うなと言ったとかなんとか・・・。
一応言いつけは守って、まだ足を運んだことは一度もないが、記憶では店の看板にも『MARUNEI STORE』としか書かれていなかったと思う
今初めて漢字表記を知った。
ともあれ、てっきり風俗系の仕事でも、させられているのかと思ったが、これで少し安心した。
そしてすっかりキサンさんに見抜かれていたことが、恥ずかしくもあった。
「まあ、超過労働させられとるんわ、それなりにわけあるんやけどな・・・せやけど、あんまりそういう顔見せたらあかんで。せっかく思い遂げさせたった思うたら、無茶言うてギュハ困らせとるし、これ以上腑抜けになられたら、さすがにたまらんからな」
「無茶って・・・あの、ヒデ・・・じゃない、ヨンムン何か言ったんですか」
「おっと、いらんこと言うてもうた。それから、嵯峨ちゃんは今までどおり、ヒデって呼んだったらええ。アイツほんまは日本人になりたいみたいやしな。ほな、俺はもう行くけど、なんかあったらドアノックするか、返事なかったらそこの内線鳴らしてや。誰か飛んできよるさかい。まあ、流石に外には通じんけどな・・・暫くは不自由させよるけど、堪忍やで。・・・俺や。どうかしたんかいな」
そう言うとキサンさんは、先ほどからスーツのポケットで着信音が鳴っていた携帯に出ながら、大股で部屋から出て行った。
懐かしい感じのメロディー・・・たしか、『ラブ・ミー・テンダー』というタイトルだっただろうか。

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