「え・・・」
考え事をしていたため、キサンが何を否定したのかがわからなかった。
「俺らは所詮ヤクザや。”良い人”なんて一人もおらん」
「そうでしょうか・・・僕には、良い人が沢山いるように、思えてしまうんですけど。・・・今だってこうしてキサンさんは、僕のためにこんなに美味しいお好み焼きを焼いてくれたり・・・あ、そうだ、それから昨日はその・・・ええと、僕の手当をしてくれたんですよね。ありがとうございました」
ヒデとの行為によって傷付いた箇所に、薬が塗られていた。
そのような状態を見られたことは恥ずかしいが、キサンとて気不味かったことだろう。
すると、少しの間彼は考えるような沈黙を挟み、合点がいったという感じに話し始めた。
「ああ・・・なるほどな。いや、お好み焼いてるんは、俺が食べたいからやし、どうせやったら、別嬪さんと一緒に食事できるほうが、楽しいに決まってるやろ。ただ、それだけのことやって。それからな、嵯峨ちゃんが言うてる手当をしたんは、たぶんケイちゃんやと思うで」
「え・・・、あの・・・すいません、手当っていうのは、その・・・ええと。昨日ヒデと・・・あの・・・したときに、ちょっと・・・お尻が・・・」
「いやいやいや・・・わかってるから、言わんでええよ。想像してしまうやろが・・・たまらんわ、嵯峨ちゃん・・・」
そう言うと、暫しキサンさんは一人でゲラゲラと笑っていた。
必要のないことまで、言ったらしかったことについては、専ら恥ずかしい限りであった。
だが、どうやらこれは、勘違いや聞き違いなどではなく、僕を手当し・・・おそらくは、その際に身体を綺麗にして、服を着替えさせてくれたのは、紛れもなくギュハということで間違いないようだった。
「あの・・・ひょっとしてですが、だとすると、僕が着ているこのシャツは・・・」
言われてみれば、彼と僕の体格は、自分の目で見る限りにおいて、ほぼ同じぐらいに見える。
そして、このキサンやギョンスン、そしてヒデや、それ以外の人は、いずれも見るからに身体を鍛えていて、背も高いように見えた。
高寧人の平均身長が日本人よりもずっと高いことを考えれば、それは自然なことだろう。
逆に言えば、ギュハだけが低くて華奢なのだ。
「お察しの通りやと思うで・・・まあ、合う服がケイちゃんのしかないからやろうけど、たぶん見てられんかったんちゃうかな」
「どういう意味ですか?」
「辛い記憶を呼び起されるんやろなあ・・・ケイちゃんて、あの通り、オカンに似てめちゃめちゃ別嬪さんやろ。せやから、変な男に狙われて、色々痛い目に遭ったらしいわ」
「そうだったんですか・・・」
つまり、意に沿わぬ性行為をして、傷ついた経験があるということだろう・・・その割に、まさに僕をそういう状況へ陥れたのが、他ならぬ彼本人なのだが。
なんだか矛盾した話である。
「よりにもよって、初体験の相手がオカンの愛人で、それを知ったオカンがケイちゃんを殺そうとしたらしいわ・・・そらショックでグレても当然やろ」
「えっ・・・」
サラリと言われた言葉が、想像を絶していた。
母親の愛人に抱かれ、それを知った母親が息子に対して殺人未遂を犯した・・・そんなことが、現実にあるのだろうか・・・いや、あったのだろう。
「言うてもまあ、オカンはえらい酔っぱらっとって、あとからケイちゃんにめっちゃ謝ってくれたらしいねんけどな。それでも実の母親に包丁持って追いかけ回された記憶なんか、一生消えるもんちゃうやろ・・・。愛人がオカン止めてくれて、騒ぎ聞きつけたご近所さんが警察呼んで、オカン逮捕されよったから、まあ助かったようなもんやけど・・・それでもテレビ付けたら、今でもドラマの再放送やなんやで、自分を殺そうとした母親の顔、見せられてまう。父親とはとうの昔に縁切れとるから、頼るわけにいかんし、まあケイちゃんの性格やったら、端から誰かに頼ろうとか、考えもせんかったやろうけど・・・」
だから家を飛び出し、アウトローが集まる七海派へ入ったということだろうか。
それにしても。
「あの・・・すいません、ギュハさんのお母さんって、有名な方なんですか?」
キサンの話ではまるで女優の息子であるように聞こえた。
そして、なんとなく予感があった・・・最初にギュハを見たとき、自分で感じたこと。
「なんや、気いついとらんのかいな。めちゃ有名やで・・・いうても、嵯峨ちゃんの年齢やったら、知らんでも当然かもな。俺らが嵯峨ちゃんぐらいの頃言うたら、クラスの半分以上の男が、みんな里夏(リハ)のファンやったんちゃうかな」
「リハ・・・?」
聞き間違いだろうか。
すると、キサンはまたメモパッドに漢字を書いて教えてくれた。
「河本里夏(こうもと りか)・・・昔の日本の女優さんや。高寧では『リカ』とか『リハ』とか呼ばれとる。名前ぐらい聞いたことないか?」
「よく存じてます・・・父が大ファンなもので・・・」
案の定だった。
それにしても、河本里夏に息子がいたなんて・・・それも、僕はその人に誘拐され、その人の指示で暴行され、なぜか手当された。
「そうかいな! なるほどなぁ・・・嵯峨ちゃんのお父さんぐらいやったら、そうかもな。そういや、嵯峨ちゃん、ケイちゃん見たときに、「澄香」言うとったな。思い出したわ・・・。あれ言われると、ケイちゃんめっちゃ怒りよるから、気いつけや」
初対面のとき、白いシャツを着ていたギュハが、『黒い森』の最終話で白いシャツを着て、叢に寝そべっていた澄香とダブッて見えた・・・。
そして寝ぼけ眼だった僕は、ついうっかり彼に対して、「澄香」と呼びかけてしまったのだ・・・その直後に革靴で腹を踏みつけられた。
「はい、充分理解しました」
そう言うとキサンは、また可笑しそうに笑った。
そして。
「河本里夏は『黒い森』いうサスペンスドラマを撮影中に、日本に来日しとった柴泳圭(シ・ヨンギュ)言う高寧人の国文学者と知り合うてな、ほんでそのまま柴先生に付いていって高寧に移住したんや。ほんで間もなく二人の間に子供ができて・・・」
「まさかそれが・・・」
「ケイちゃんや。リハは高寧でも人気ある女優さんやったから、ようあっちでもテレビ出たり、映画に出たりしとってんけどな、そのぶん出会いも多かったみたいで、色々となぁ・・・なんちゅうか、恋多き女みたいやわ」
「それでギュハさんが・・・」
「まあ、そんな感じやから当然ケイちゃんはオカンのこと、あんまり好きちゃうみたいでな」
「ヒデが言ってました。お母さんの話をすると、ギュハさんがとても嫌がるって」
そのような経緯があるなら、好きになれなくて当然だろう。
「やからと言うて、オトンはオトンで、ケイちゃんとかオカンに暴力振るっとったから、早々に離婚しとるしな」
「うわあ・・・」
絵にかいたような不幸・・・そう言うしかない。
ヒデの言葉が思い出される。
華やかに見えても、必ずしも幸せだったとは限らない・・・・その通りだった。
なんだかギュハが気の毒で仕方がなかった。
そんな家庭環境なら、寧ろちゃんと生きていたのが不思議なぐらいだろう。
辛かったことだろう。
「ほんでまあ家飛び出して銭貯めて、オトンともオカンとも関係ない倫敦に来て、・・・俺らの仲間になったいうわけやな」
「そうだったんですね」
もう想像を絶するとしか言いようのない話だった。
「最初はほんまに、見てられんぐらい痛々しい奴やったけどなあ・・・クソガキが不良にボコボコにされたり、悪そうな連中に因縁つけられとったり、太った白人のオッサンにどっか連れ込まれそうになったりしとんのに、助けたるたんびに、余計なことすんなって怒りよんねんアイツ・・・16やそこらのクソガキが、何生意気言うとんねんて呆れたわ」
「16・・・!?」
僕より1歳若いときの話だった。
ということは、それより以前からギュハは、今聞いたような辛い体験をしていて、親元を離れてたった一人で・・・。
「そうや。俺が見とらんところでは、絶対痛い目に遭いまくっとる筈やのにな・・・ほんで、ええ加減にせいや言うて、俺が引っ張り込んだんや」
「えっ、キサンさんが・・・!?」
「まあ、そういうこっちゃ。そういう状態やったから、暫くは俺の舎弟言う事で面倒見たり、色々教えたったりしとったわけやけど、手焼きまくったんはまあ、わかってくれるやろ」
「はははは・・・」
「ほんで、それから暫くして俺が親父の呼び出しで日本戻ることなって、ケイちゃんにも付いて来るかって聞いたんやけど、当然断られてな・・・すっかり懐いてくれてる思たから、結構傷付いたわ。せやけどまあ、しゃあないな・・・ケイちゃんにとっては、日本も高寧も、嫌な思い出しか残っとらん土地やろし」
「そうでしょうね・・・」
なんとなく、その言葉に少しだけひかかりを感じた。
気のせいだろうか・・・キサンは、ひょっとしてギュハのことを・・・、考えすぎだろうか。
「それからは俺もちょっと、日本で忙しいにしとったから、ずっとケイちゃんのことはほったらかしでな。それでもまあ、他の仲間から話は聞いとったし、『セブン・シーズ』で働いたり、取り立て行ったりして、元気にやっとるって聞いたから安心してたんや。・・・2年ぐらい前やったかな、ケイちゃんが金虎立ちあげたって聞いたんわ。まあ若い連中同士がつるむんはようある話やし、ケイちゃんにも弟分が出来て、自分が若い連中の面倒見れるようになったことは嬉しかったやろうし、ええこっちゃって思うとったんや。せやけど、段々聞き捨てならんような話が入って来るようになってな」
「それって、ひょっとして・・・三頭会が絡むようになったからとか・・・」
言った瞬間、さすがにキサンは驚いたらしかった。
「自分、偉い詳しいやないか・・・三頭会と金虎の関係知っとるなんて、普通やないで?」
「いえ・・・その、下宿にいる情報ツウの人から聞いただけなんですが」
「そうかいな・・・まあ、その人の言う通りやねんけどな。七海派は今となっては、殆どシノギで食っていってるいうのんが現状や。当然、血の気の多い若い連中には、面白ない感じるのんも出て来よる。金虎はそういう連中の集まりいうこっちゃな。それだけやったら見逃しようもあるんやけど、三頭会とつるんでる言うのんは、まずい・・・。七海派は麻薬と武器売買、それと裏切り、仲間殺しはご法度やけど、『蛇牙(じゃが)』はタブーなしや」
『蛇牙』・・・清華南部系のマフィアであり、日本では横浜一体を根城にしている。
そして三頭会というのは、蛇牙の最大グループであり、新宿歌舞伎町で警官をハチの巣にしたこともある・・・鹿王(ろくおう)から聞いた話だ。
そんなグループと、何故つるむようになってしまったのだろう。
・・・そして、もっと恐ろしいことに気が付いていた。
「あの・・・ということは、ヒデもそんな危険なことに・・・」
キサンが苦笑する。
当然だろう・・・彼自身、心配した会長の命令でお目付役として派遣されている・・・つまり金虎の全員を心配して来ているというのに、僕は自分の好きな人のことしか考えていない。
呆れられるのも当然だ。
「心配はいらん・・・ヨンムンは幸か不幸か、三頭会のリーダーにも好かれとるからな。まあそれゆえに俺とミンジェの両方から扱き使われとる状態やけど、若いねんからあのぐらいの無茶はどうってことない筈やわ・・・嵯峨ちゃんと、ええことしとる時間ないんは、不服やろうけどな」
どうやら、彼の口から何度か聞かされている、ミンジェという人が、三頭会のリーダーらしかった。
あの・・・歌舞伎町で日本の警官を、ハチの巣にした組織の・・・とんでもない人物だ。
というか・・・。
「え、ええことって・・・何を言いだすんですか!」
「せやかて、ヨンムンにええことしてもうて、えらい色っぽい声出しとったやん・・・なんとのう、昨日よりエロいで、嵯峨ちゃん」
「気のせいです!」
「そんなことないやろ〜。ヨンムンかて嵯峨ちゃん抱いてから、なんやしらん、急に男らしゅうなりよったしな。まあ、元々大人びたとこはあったけど、守りたいオンナが出来て一皮剥けよった感じするわ。幸せやな、嵯峨ちゃん」
「僕は男ですよ!」
「そんなんわからんやろ〜俺はまだ嵯峨ちゃんの大事なとこ見てへんからな〜・・・ええとこでケイちゃんに、蹴り倒されて、追い出されたさかいに・・・なあ、嵯峨ちゃんほんまは、女なんちゃうん? 男にしたら、可愛いすぎるわ〜」
「そんなわけないでしょうっ!」
「ほな、この目で確かめんとなぁ〜、嵯峨ちゃん、俺の見したるから、嵯峨ちゃんのも見してみい?」
「しませんっ!」
「なんでえな、見せあいっこしよや〜男同士やん」
「言ってることがさっきから可笑しいですっ!」
「全くだ」
「なんで・・・ええと〜・・・その声は・・・」
冷ややかな声が会話に割り込んできて、キサンの顔が目に見えて引き攣るのがわかった。
「いい年して、何が見せあいっこだ」
部屋の入り口を確かめるまでもなく、ズカズカと入って来た白いスーツ姿の男が、電光石火の一撃で目の前の男を、ソファから蹴り落とし、出ていけと命じた。
「ほんまに野蛮なやっちゃなあ・・・・昔は結構可愛い時期もあったのに」
「それ以上下らないことを言うなら撃つぞ」
そう言いながら、ギュハは本当にスーツの懐から銃を取り出していた。
・・・・拳銃なんて生まれて初めて見た。
「わかったわかったって・・・ほんまに何しよんねんな。仲間殺しはご法度やからヤバイ言うてんのに」
「あんたが怒らせなきゃ、それで済む話でしょ・・・馬鹿男が」
キサンを部屋から追い出すと、すぐにギュハは扉を閉めて、・・・なぜか鍵をかける。
そして銃を懐へ戻しながらこちらへ戻って来た。
「あ・・・ええと、ギュハさん・・・その、手当を・・・」
キサンとの会話の直後であり、なんとなく憎む気になれなくなっていた僕は、最初に怪我の手当をしてもらった件について、礼を言おうと思った。
ところが。
「どういうつもりなんだ」
「え・・・」
聞かれた意味がまるでわからなかった。
「そういえばヨンムンだけでなく、あの男とも・・・だったな。そして次はキサンか。可愛い顔をしてとんでもない淫売らしい」
「何の話だか知りませんが、誤解・・・」
「そんなに男を誑かしたいなら、望みを叶えてやろう」
そういうと、うすら寒くなるような目で見られ、すぐに部屋を出て行った。
『Lapsus Calami〜slip of the pen』***第5章***へ
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