「ジェムは気まぐれで、強引で・・・。中性的な顔立ちの彼を女装させたがる友人のために、イースト・エンドの女装クラブについて行っては、そこでドレスを着て化粧をする。・・・彼は本当はそんなことをしたくはなかったけれど、それでもジェムが喜ぶなら、それでいい・・・そう彼は思っていたんだ。・・・モスグリーンの瞳が、自分だけを見ていてくれるなら」 逃げようモンティ・・・二人で生きて行けばいいじゃないか! 心に蘇って来る情熱的なモスグリーンの眼差し・・・ジェム自身もときおり狂気に見舞われ、モンティを惑わせていた筈だが、あの瞳はせつなくなるほどの愛に満ち溢れ、確かにモンティへも伝わっていた筈だった。 僕だって狂いきれるものなら、ずっと狂っていたいものだね。 そのように開き直ることが、モンティにはできなかったのだ。
「そうか・・・」
「それでも金髪の美しいステラと、湖の畔を歩くジェム・・・連れ添う二人の後ろ姿はとても似合っていて・・・薄暗いイースト・エンドで女の恰好をしてにいる自分は、滑稽でしかない。自分を抱きしめ優しい声で、綺麗だよモンティ・・・そう言ってくれる言葉さえも、段々と信じられなくなってくる。美しいステラが羨ましくて、ジェムに近づく彼女が憎い。店を出れば夜のホワイトチャペルには、男の気を引こうとする娼婦がいっぱいだ・・・ステラと同じ、男に腰を振る、薄汚い雌ども・・・」
「ステラ・ダックワース・・・ヴァージニア・ウルフの父親違いの姉のことだな。確かに二人が一時期男女の関係にあったような記録も残っている・・・たしか、ジェムの方がステラに夢中になって、彼女に付きまとっていたという話だったと思うが・・・いずれにしろ、よく知ってるな、お前」
「モンティの憎悪はやがて、女たち全体に向けられていったんだ・・・彼自身を襲う狂気は、急速に手が付けられなくなっていた。そんなある日、彼は悪乗りをするジェムの口車に乗せられて、クラブからドレスのまま、夜のホワイトチャペルへ出て行った。途中でジェムと逸れてしまい、バーナー・ストリートで運の悪い娼婦と遭遇した」
「なるほど・・・それがエリザベス・ストライドってわけか・・・女全体に向けられた憎悪。娼婦ってのはその女を武器にして、まさに男を誘惑することで金を得る商売だ。愛するジェムの気を引くために、嫌々ながらも女装をしていたモンティ。そのジェムに近づくステラという女を嫌悪し、女全体へ憎しみを抱いていたモンティが、娼婦に手をかけた・・・・。女の恰好をしているから、娼婦も気を許したんじゃないかっていうのは、誰かが言っていた説だ、ちょっと思い出せないが・・・。しかし、なんでまたバーナー・ストリートなんだ? それじゃあ、最初の犯行と第二の犯行については、また事情が異なるのか、それとも別犯人説を取っているのか? その勢いでマイター・スクエアでカスリン・エドウズを殺害したとして・・・ドーセット・ストリートのメアリー・ジェーン・ケリーも同じような理由か・・・? 段々と手口が残忍になっていき、メアリー・ジェーンに至っては、悪魔の仕業としか言いようがないほど、えげつない解体があったわけだが・・・」
口早に彼なりの疑問と意見を、鹿王は述べた。
それは、どこか彼自身を納得させるための、独り言のようにも聞こえていた。
「メアリー・ジェーンは・・・・ステラに似ていたのさ」
僕はメアリー・ジェーンもステラ・スティーヴンも、その写真を見たことはないが、どうやら鹿王は、どちらも知っているようだった。
「そうか? 髪の色も違うし、片や名家の子女で、一方は最下層の娼婦だぞ」
「そうかもしれない・・・けれど、多分そのときのモンティには、似たような年恰好の女であれば、みんな同じに見えたんだと思う」
「狂気が錯覚させていたってことか・・・。そしてメアリー・ジェーンを殺害し、間もなく失業して、追い打ちをかけるようにチズウィックで、精神を冒され入院していた母親が他界した。その頃になればジェムも判事の父親にカーディフへ呼び出されて、法廷の仕事に就いていた筈だ。お前の説通りに二人が恋仲にあったとするなら、モンティにとっては、まさに人生のどん底だったことだろうな。そりゃあ自殺もしたくなるだろう」
「それでもジェムは、一度は戻ってきて説得してくれたんだけどね」
それでもモンティは、もう限界が来ていたことを理解していたのだ・・・彼自身を蝕む心の病・・・遠からず、自分も母のように発狂してしまうと。
そんな姿を愛する人へ、見せたくはなかったのだろう・・・。
「そうなのか・・・その辺は俺にはよくわからんが・・・」
ジェムと同じモスグリーンの瞳が、腑に落ちないという顔をする。
車は夜のアッパー・トゥーティング・ロードへ入り、見慣れた景色が車の左右に並び始めた。
帰って来たのだと思う。
ほんの二日しか経っていない筈なのに、ひどく懐かしさを覚える。
倫敦へ来てから二週間足らず・・・鹿王と出会い、車折や山ノ内と出会い、ヒデや西院、宇多野と出会った。
そしてヒデに恋をして、彼に裏切られ、彼が僕の為にグループのリーダーであるギュハを撃った・・・・・。
ヒデは無事なのだろうか。
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