多忙な父が不在がちだった家には、知らない男が何人も屋敷へ出入りしていた。
彼らと親しげに話す母は、幼い自分の目から見ても魅力的で、家事をしない女だった。
腹が空き、散らかった台所へ菓子を取りに向かう途中、僅かに開いた扉の向こうには、裸で髪を振り乱し、悲鳴のような声をあげている、肉感的な母の姿。
くびれた腰に男の大きな手がかかり、腰に跨る母の身体を揺らしている。
性的な知識はまるでなかったものの、そんな光景を日常的に見せられているうちに、母と彼らがどういうことをしているのか、だんだんとわかってきた。
そんな母を好きにはなれなかったが、それでも、ときおり帰って来た父に殴られる姿を見ているよりはましだった。

君がケイちゃんか・・・お母さんとよく似ているな。

あれは13か14の頃だっただろうか。
前の彼氏が姿を見せなくなって、2週間ほどが経過したころ、ヒョンウという男がやってくるようになった。
彼は母よりもずっと若く、テレビドラマだか、舞台だかで仕事をしているという自称俳優だったが、俺は見たことがなかった。
しかし愛想の良い彼は他の男たちと違って、母だけではなく俺にも必ず声をかけてくれた。
間もなく母から合鍵を貰ってうちに入って来るようになり、帰りの遅い母を待つ間は、必ず俺と遊んでくれるようになった。

リハには内緒だぞ。

リハというのは、高寧(こうねい)のマスコミが母を呼ぶときに使う読み方で、ヒョンウも母をそう呼んでいた。
彼がうちを訪れる時間がどんどん早くなり、母を待つことなく帰ってしまったり、母がロケで外泊しているときにまで、ヒョンウが来るようになった、・・・そう気付いた頃には、もう後戻りができなくなっていた。

ヒョンウ・・・それ、気持ちいい。

裸で抱き合い、彼に口づけられ、脚を広げていきり立った物を受け入れる。
そんな行為が心地よく、生まれて初めて性の悦びを覚えた。
俺が初めて恋をして、セックスを覚えた相手・・・それは母の彼氏だった。
ロケ先で監督と喧嘩をして、タクシーを飛ばして帰って来た母が見た物は、自分の息子を抱いている恋人の姿。

この外道!

かなり酒が入っていたらしく、自分を罵倒し暴れる母を、ヒョンウはあらゆる言葉を使って言い訳をした。
よくは覚えていないが、自分を誘ったのはこの少年であり、せがまれて仕方なかった・・・そんなことを言っていたと思う。
卑怯だと思ったが、それをあっさりと母が信じたことの方がショックだった。

あんたなんか死んじまえ!

母の怒りは収まらず、裸のままで家の外へ出されたうえに、台所から包丁を持って出て来て、彼女は俺を襲ってきた。
自分を生んでくれ、良き母とは言えないまでも、ここまで育ててくれた人が、今は自分の生命を奪おうとしているのだ。
俺は何故生きているのだろうか・・・漠然とそんなことを思った。
軽はずみな嘘が原因で、自分の息子を殺そうとしている彼女に驚いたのだろう、ヒョンウは流石に母を止めようとしてくれた。
その際に脇腹を怪我して、ヒョンウは倒れ、騒動に気付いた近所の住民が通報して、警察がやってきた。
すぐに母は逮捕され、俺は警察に保護された。
それから暫くはヒョンウと付き合ったが、所詮は母と付き合いながら俺に手を出し、おまけに保身のために嘘をついて俺を命の危機にさらした男だ。
誠実さのかけらもなく、下半身はだらしなく、彼の部屋へ行くたびに、違う女の匂いがした。
俺が家を出て部屋を借り、運送屋でバイトをするようになったら、今度は彼の方から俺の部屋へ入り浸るようになった。
いつしか同棲のようになっていたが、要は体の良いヒモだ。
彼が真面目に仕事をしている様子はなく、バイトで疲れて帰って来ると女を連れ込まれていて、俺が怒って追い出し、彼の為に飯を作り、それだけでもヘトヘトだというのに、身体を求められ、応じずにはいられない。
だが、夜中に目をさましてみると部屋には俺一人が取り残されて、大抵金と一緒に彼がいなくなっていた。
うんざりした。
所詮は母と変わらない、愚かな自分に。
強くなりたかった。
誰にも舐められたくはなかった。
運送屋のバイト仲間に、ボクサーをしている先輩がいたので、ボクシングを教えてもらった。
見返りに食事の約束をさせられたが、費用はあちら持ちだったので、変な野郎だと思った。
そしてその帰りにキスをされそうになり、俺はさっそく訓練の成果を試す機会を得た。
食事から部屋に帰ると、また知らぬ女が居座っていた。
女を叩きだし、ついでにヒョンウにも出て行ってくれと命じた。
ヒョンウはいつか母にそうしていたように、あらゆる言葉を使って俺を宥めようとした。
自分は駄目だと言ったが、女がしつこく迫って来て、追い出すわけにもいかなかったのだと。
テーブルに出しっぱなしになっている通帳に気付き、広げてみると、残金がゼロになっていた。
自分が寝ている間に、女が勝手に持ち出して、金を引き出されたのだと・・・自分は何も知らないと言った。
とことんまで嘘吐きの男だった。
卑怯で、下種で、母を裏切り騙したように、今自分のことも同じように利用している・・・自分の姿が、愚かであさましい母と重なってゆく。
怒る気力も失せていた。
肩に手を置かれ、もう片方の手が腰から腹に回る。

ケイ・・・金なんて、また貯めればいいじゃないか。
今度、キム・ミンホ監督の映画に出られるかも知れない。
監督は俺の事を気に入ってるみたいだから、いい役が貰えるさ・・・そしたら、こんな小さなアパート出て、マンションでも買おうぜ。

馬鹿な男だった。
そんな小さなアパートを借りたのも、家賃を払っているのも俺の金だ。
俺がいなきゃ飯ひとつ自分で食う事もできないくせに。
ベルトを外され、シャツを脱がされる。
尻の上あたりに、ヒョンウの物が当たっていた。
こうしてまた、俺はこの男に籠絡されてしまうのだろうか。
冗談じゃない。
気が付けば目の前にヒョンウが倒れていた。
一応気になって顔を近づけ、薄く開いた口唇へ頬を寄せてみる・・・呼吸はしていた。
不意打ちを食らって脳震盪を起こしただけのようだった。
俺は帰って来た時と同じ恰好のままアパートを出ると、まっすぐに不動産屋へ向かい、残りの契約を解除してもらった。
大通りの停留所が目に入り、やってきたバスへ飛び乗る。
衝動的な行動だったが、それは空港行きだった。
どこか遠くへ行くのもいいだろう・・・日本・・・いや、あの国は母のような女を育んだ土地だ。
夕暮れ時の空に、見たことのある飛行機が目に入る。
着陸態勢に入っていたその機体は、英国の航空会社のものだった。
「倫敦か・・・」
産業革命にヴァッキンガム宮殿、シャーロック・ホームズ、プレミア・リーグ・・・あとは切り裂きジャックなんてのもいた。
英国を連想させるキーワードを思い出しつつ、心地よいバスの揺れに身を任せているうちに、うとうとと睡魔が身体に襲ってくるのを感じた。
疲れた・・・少しの間、眠っていよう。
車の振動に混じって、どこからともなく聞こえて来る音楽は、聞き覚えのあるレトロなポピュラー・ミュージック。
『ラブ・ミー・テンダー』・・・たしかそんなタイトルだ。


優しく愛して 甘く愛して
どこにも行かないで
君が僕の人生を完成させた
そして、僕も君をとても愛しているよ

 05

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