「ギュハ、電話だぞ・・・」
「うん・・・もしもし・・・」
ひんやりとしたプラスティックを、無理矢理耳に当てられる。
小さなスピーカー越しに聞こえて来るのは、飄々とした男の関西弁。
『遅うにすまんな・・・せやけど、ケイちゃんの電話に架けてんのに、ミンジェが勝手に出るんは、なしやわ。おまけに、そんな『さっきまでエロいことされてました』言わんばかりの、色っぽい掠れた声聞かされて、生殺しやん・・・』
周囲が五月蠅いのだろうか。
関西訛りのその声が、かなりの音量で、叫ぶようにまくしたてていた。
どこの屋外で、これだけアホなことをほざいているのだろうかと思うと、くらくらと眩暈を感じる。
「で・・・、キサンは今どこに・・・」
『ケイちゃんこそ、ミンジェのアホと一緒にどこぞのホテルか? それともあいつの寝室におんのか・・・ほんまに、あのクソガキ覚えとけよ・・・俺の腹黒天使にエロいことしくさりよって・・・ああ、すまんな。せやせや、実はあんまり時間ないねん』
「腹黒天使って・・・」
栄誉ある称号については賛同しかねる部分が大いにあった。
しかし、それこそこちらが聞きたいときには、何も言ってくれない癖に、こんなときにだけ思わせぶりな言葉を一方的にわめき立てる彼が憎らしくて、今度会ったら立ち上がれなくなるぐらいに拳で蹴りを付けてやらないと気が済まなかった。
電話のスピーカーが、汽笛の音を拾う。
どうやら港にいるらしい。
『今サザンプトンに来とんねん、ヨンムンの見送りやわ』
「サザンプトン・・・って、どうして・・・まさか・・・」
『あいつな、自分の事バラしてほしい言うてきよったわ』
「嘘・・・」
『臓器にして売りさばいてくれ言う意味やったんやろな。リーダーに手かけた落し前付けるつもりやってんやろ。まあ、死んで逃げれる思うな言うたったけどな・・・・。そうは言うても、このままやったら示しがつかん。・・・そんなわけやから、ちょう外国へ行って貰うことになったんやけど、・・・今のうちになんか話しとくか? ・・・わかってる思うけど、あいつが帰って来る保障はないで』
「ヨンムンは俺を撃とうとした・・・」
分厚い包帯で固められている左肩は、まだまともに手も動かせないほどズキズキと痛む。
ヨンムンを怒らせたことは充分にわかっていた。
あの嵯峨という少年をヨンムンは本気で好きになっていたし、ヨンムンがあの子を守りたいというなら、一緒にしてやってもいいと思った。
だが、ヤクザのアジトへ誘拐されているにも拘わらず、その誘拐犯であるヨンムンをどこまでも信じて、ギョンスンやキサンにも懐こうとしている嵯峨の甘い顔を見ているうちに、苛々とさせられたのだ。
それでも乱暴な初体験で傷付いた痛々しい姿を見ていると、哀れで仕方がなく、無理やり受け入れさせられる辛さや、その痛みを知っているだけに、穢された身体を清めて傷薬を塗布せずにはいられなかった。
・・・自分もまだまだ甘いと思った。
だが嵯峨がキサンと際どい会話をしているのを聞いて、血が沸騰しそうになったのだ。
自分がどれほど思いを寄せても、まともに相手にされないというのに、突然やってきたこの少年は、七海派の幹部であるコ・キサンに身の回りを世話させたり、口説かせたりしていた。
このままでは、ヨンムンだけではなく、いつキサンまでもが嵯峨に骨抜きにされるのか、わかったものではない・・・。
彼をここに置いていてはいけない・・・そう思い、三頭会へ引き渡そうとした。
だが、身柄を受け取りに来たチャンジンとジンソンが、一般人と結託をして嵯峨の連れ戻しに協力しているとは思わなかった。
そこへヨンムンが俺を裏切り、いつのまにか俺達を取り囲んでいた三頭会に、仲間がことごとく殺された。
撃ち合いにすらならない・・・圧倒的に数が違った。
あのとき、実際に俺を撃ったのはヨンムンではなく、仲間のリュ・ギョンスンだったが、一人で逃げようとした彼は、あっさりとキサンに始末された。
・・・とても彼に懐いていたように見えた若いギョンスンを、躊躇いもなくキサンは後ろから撃ち殺したのだ。
嵯峨を出汁に使ってヨンムンを嗾け、全ての罪を彼に被せて金虎を掌握しようとしていたのは、金虎立ち上げ当時からの仲間であるチャ・ジウだった。
新入りのギョンスンも含めて、ほとんどの連中が彼に賛同していたようだ。
彼らの企みに気付いた三頭会の連中がミンジェに報告をして、ミンジェは部下を使って徹底的に金虎を偵察させた。
最初はヨンムンも疑われていたらしいが、容疑を晴らしたのが、暫く彼を尾行していたチャンジンとジンソンだった。
そして二人から報告を受けたミンジェがそのヨンムンを使い、今度はスーパーで働く若いギョンスンを監視させたらしい。
しかしあるときヨンムンは、従業員出入り口から出てきたところを突然ギョンスン達から襲われて、大けがをした・・・内通がバレたのだろう。
言い変えると、ジウ達の計略が事実ということが、ここではっきりとしたということだ。
そのうえで連行されたジウはヨンムンに話を持ちかけた。
俺が嵯峨を三頭会へ売ろうとしているということを。
冷酷非道なリーダーを殺るなら今しかないということを・・・。
先月末に三頭会とブラッディ・レインの武器取引現場へ付き合った際、誰かが突然発砲して銃撃戦になったことがあった。
そのときに若い命を落とした仲間のキム・ソンイルが、実はこのミンジェに撃たれていたことを後から知った。
ミンジェは、彼が俺の命を狙っていたからだと言ったがとても信じられず、俺はミンジェを憎んだ。
だが今思えば、あるいはソンイルもジウの計略に賛同していたのかもしれない。
もしもそうだとすると、俺はかなり前から、仲間に裏切られていたということになる。
・・・それはそれで、わりとショックなことだった。
この流れを利用して一気に金虎を潰しに来たのが七海派・・・・この絵を描いていたのは、実はキサン・・・ミンジェは何も言わないが、俺はそう思っている。
俺もヨンムンも、おそらくは命を落とした連中もみな、結局は彼に乗せられていたのだろう。
『ほうか・・・まあ、実際に撃ちよったんはギョンスンや言うても、ヨンムンはお前に銃向けよったやっちゃし、そらしゃないな・・・ほなな』
そう言って通話が切れてしまう。
声が聞こえなくなった電話を握りしめて、暗くなったモニターをじっと眺めた。
「ヨンムン、サザンプトンに連れて行かれたのか・・・」
「今、港にいるみたいだ」
「そうか・・・まあ、七海派は蛇牙(じゃが)と違って、人身売買や麻薬に手は出さないと言っても、裏切り者には容赦がないからな・・・港にいるってことは、奴隷工場へ連れて行かれるか、あるいはマグロ船に乗せられるか・・・いずれにしろ、生きて帰って来れるかどうかもわからん。まあ、いいんじゃないのか? 最後はお前のタマを狙った、恩知らずなガキだろ」
「自分をバラしてくれって・・・キサンに言ってきたらしい」
「闇市に流してくれってか・・・一瞬で死ねるなら、それほど楽なケリのつけかたはないな。馬鹿な奴だ、キサンはそんな甘い男じゃないのに・・・・で、いつまで携帯を眺めているつもりなんだ?」
「放っておいてくれよ・・・あ、ちょっと・・・!」
持っていたスマホンを隣にいる男に取り上げられ、勝手に触られる。
「なんだよ・・・キサンだけ写真入りか。よし、そこのPCからとびっきりのイケメン画像を送ってやるから、俺のアドレスも写真入りにしろ。・・・どうせなら、俺達のラブラブスナップがいいな。・・・ギュハ、ツーショット撮るぞ。はい、チーズ」
「いらないっ、何勝手にわけわかんないことしてんだよ、肩放せ、痛いだろ馬鹿っ・・・こんな恥ずかしい写真撮んなっ・・・!」
ミンジェの腕から身体を捩って何とか離れると、目の前に自分のスマホンを差し出された。
「聞いてみろよ」
「えっ・・・」
モニターに出ているのは、ヨンムンの名前・・・ふざける振りをして、いつのまにかミンジェはヨンムンの携帯に電話をかけていたのだ。
そして、聞いてみろ・・・そうミンジェは言った。
出てみろ、ではなく。
スマホンのスピーカーを耳に当てるまでもなく、理由がわかった。
漏れ伝わってくる音声は、コール音でも、ヨンムンの声でもなく、電話会社の機械的な案内、・・・回線未使用のアナウンス。
ヨンムンの携帯契約は、すでに解約されていたのだ。
「全ては段取り済みだったらしいな・・・キサンがやったんだろ」
そうだと思う。
だんだんと腹が立ってきて、スマホンの切断ボタンを押すと、耳障りなアナウンスを断ちきる。
そして着信履歴からキサンの番号を選んで、こちらから掛け直した。
「クソッ・・・どういうつもりなんだよ、馬鹿っ!」
コール音がわりの『ラブ・ミー・テンダー』が暫く流れるが、すぐに留守番電話サービスに繋がった。
だが、忙しい彼の事だ。
いつだって録音が一杯で、メッセージを残せた試しなんて一度もない。
この時もまもなく通話が切れてしまう。
何を考えているのか、さっぱりわからない。
ヨンムンは恐らく、無事に帰って来ることはないだろう。
運よく戻れたとしても、彼を生かしておくほど七海派もキサンも甘くはない。
不意にスマホンを握りしめていた手に、大きな掌が重なった。
「なんだよ、気持の悪い・・・」
「震えている奴が何を言うか」
咥えていた煙草を灰皿に戻すと、キサンはこちらへ体重を掛けて、再びベッドへ沈められた。
ヤニ臭いキスではまるで甘い気分にはなれなかったが、それでも与えられる強引な愛撫が、このときは少しだけ有難かった。

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