チャペルの裏手に回ってみると、そこには池と古ぼけた木製の小さな桟橋が掛っていて、白いボートが一艘係留されているのを発見した。
「漕いだことないけど、できるかな・・・」
悪戯心が沸いて、桟橋へ向かって歩く。
池というより、これは湖だろうか。
橋まで来ると穏やかな風が気持よかった。
晩秋の空は、そろそろ茜の暮色が迫っており、草の生えた水面がキラキラと光を反射させている。
俺の足音に驚いた鳥達が一斉に岸から飛び立ち、甲高い鳴き声を聞かせながら対岸の森へと移動した。
ボートの脇までやって来て、そこにいた先客にようやく気づく。
「嘘だろ・・・・」
きちんと正装していたその男は、船底に寝そべったまま俺の顔を見上げると、
「よぉ、来たか」
そう言ってニヤリと笑った。
「なんで、アンタがいるんだよ」
「そりゃ招待を受けたからに決まっているだろ」
「だって・・・」
言いかけて思いだした。

”好きな人はいたんだけどね・・・残念ながらその人はもうすぐ結婚してしまう”

「よっこらしょっと」
身を起こすと、ルシュディーは座り直し、こちらへ対峙してきた。
「まさか、アンタの好きだった女って・・・・」
「ん? ・・・・・ああ、昨日の話か。よくそんなの覚えていたな。あのあと腰が抜けそうになったみたいだったから、すっかり忘れてくれたと思っていたよ」
言われて自分が昨夜、この男にされたことを思い出し、顔を紅潮させる。
「邪魔して悪かったな。失礼する」
そう言うと回れ右をして、今来た道を引き返す。
「待てよ。これ、返してほしいんじゃないのか?」
後ろから声をかけられて立ち止り、振り返った。
「どうしてそれをアンタが持って・・・、まさか!」
ルシュディーは手にした日本のパスポートを俺に見せつけるように掲げると、次に人の悪い笑顔でピラピラと振って見せた。
そして俺はそれしか考えられないタイミングを思い出し、隙だらけだった自分の愚かさを深く呪った。
キスされたときだ!
しかし、あんなものを盗まれて気づかないなんて・・・。
憤怒も露わに俺はボート脇に戻り、自分の胸のあたりで掌を上へ向ける。
「返してくれ」
「おいおい、随分な言い草だな。人が親切で届けてやっているのに、もっとちゃんとした言い方があるだろう?」
「何が親切だ。あんなふざけた真似をしておいて」
「どんなふざけた真似だって?」
「だから・・・それは、そのっ・・・」
俺が言い淀んでいると、ルシュディーは立ちあがり、パスポートを持った手こちらへ伸ばしてきた。
「ほら、返してやるからもっと、ちゃんと手を伸ばせよ」
そう言ってパスポートを広げてパタパタとはためかせる。
クソ。からかいやがって・・・!
俺はさらに一歩前へ出て手をさしのばす。
すると。
「馬鹿っ・・・! アンタ、何を・・・」
ルシュディーの手元からポトリと俺の写真を張り付けたパスポートが落下して、足元に消えた。
次の瞬間手を強く引かれて、俺はボートの中に引き込まれる。
水面が大きく揺れてバランスを崩し、抱きつくようにしてルシュディーにしがみついた。
そして。
「こんな真似のことか?」
再び唇を重ねられる。
今度はいきなり深く重ねられ、俺は慌てた。
このままでは、また意識が持って行かれそうになる・・・それは駄目だ!
俺は必死にもがき、彼から離れようとする。
ボートは激しく水面を揺らして、ますます足元が怪しくなった。
「うわっ・・・」
「おい、よせって、落ちるぞ! 気をつけろっ・・・」
ルシュディーの手が俺の背中へ回り、強く抱きしめられる。
情熱の表れではなく、制止の為だ。
「離せよ・・・今度は何を盗む気だ!?」
「盗むだって・・・? 一体、何をだ。俺が泥棒にでも見えるのか? それとも、このまま処女でも盗んで欲しいのか?」
「ふざけるな・・・放せよ、パスポート盗んだ癖に! あんな真似して、汚いぞ・・・!」
「何だって・・・俺がいつ・・・あ、おい敬・・・」
俺はようやく力が緩んだルシュディーの腕から逃れると、桟橋へ駆け上がり、しかしその場で凍りついた。
「兄貴・・・」




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