その後、二次会へ向かうという兄貴たちや大学の仲間達と分かれた俺は、クルーズ船に乗りたいと言い出したお袋たちについて、遊覧船バトームーシュの乗り場へ向かうことになった。
お袋同士は、もはやすっかり意気投合しているようだ。
「普通は息子とられたとかってスネるもんじゃなかったのかよ・・・」
「あちらの親父さんは、正しくそんな感じだけどな」
いつの間にか隣を歩いていた親父がそう言った。
紋付き袴が道行く人々の目を引いているが、親父は気にならないようだった。
俺達の数メートル先を歩くモーニング姿の新婦の父親はムスッとしたまま、後ろで手を組み合わせ、全校朝礼中の体育教師みたいに肩を怒らせながら、夕暮れ時のセーヌ川沿いを歩いている。
「兄貴、これから大変そうだな」
「まあ男ならいつかは通る道だ」
親父が平然とそう言った。
つまり親父も同じようなことがあったんだろうか。
俺が生まれる前に、お袋方の祖父ちゃんは死んでいたから、どんな人だったか俺は知らない。
ふと隣を歩く親父を見た。
いつのまにか、俺より低い位置になっていた親父の横顔は、律子さんの親父さんのことを言えないぐらいにムッスリとしている。
日ごろから口数が少ない親父は、いつも機嫌が悪いときに限ってよく喋る。
「なあ親父、怒ってるだろ」
「怒られるようなことしたのか?」
「俺が勝手なことしたから・・・」
「別に構わんだろ。お前が自分の金でなんとかしたいと思うことは、悪いことじゃない」
「けど、結果的に兄貴に迷惑かけた」
「それはお前が未熟だっただけの話だ。成長すればいい」
「でもさ、経験しなきゃ成長なんて出来ないだろう?」
「そりゃそうだ。だから経験を積んで、成長すればいい、外面的にも内面的にもな」
「内面って・・・・」
「お前の冒険心からしたことなら俺は別に構わん。だが、ただの意地でやったことなら、たとえそれが成功であっても、成長にはならんぞ」
親父は言うだけ言うと、立ちつくす俺を置いてさっさと一人で行ってしまった。
「・・・んだよ。やっぱ怒ってんじゃんか」
一人で頭を冷やせということか。
いっそ人前で殴られた方が、マシだと思った。

 

ノロノロと歩いてバトームーシュ乗り場へ到着すると、お袋が待ってくれていた。
「はい、これ敬のチケット」
「お袋、まさか自分で買ったの?」
フランス語どころか、英語も全然話せないのに?
「そのぐらい、何んとかなるもんよ」
驚いて後ろのチケット売り場を振り返ると、親父とそう年が変わらないおっちゃんが、肩を竦めて見せた。
何が起きていたのか、少し不安になった。
俺が最後の客だったらしく、乗船するなり橋を外され、遊覧船が出発した。
お袋にこっちだと手を引かれて、屋根のないデッキ席に上がる。
「アンタの席はあそこよ。大人しくしていなさいね」
そう言い残して、お袋は通路の向こう側に空いている、奥の席へ収まった。
手前が親父二人、奥がお袋二人で一列に並んでいるようだった。
「お袋達だけ盛り上がりそうだな・・・」
俺はお袋に言われたとおり、後ろの列の奥にぽつんと空いている席へ移動した。
手前の乗船客たちに声をかけて前を通してもらい、空席へ腰を下ろしたところで、船がアルマ橋の下を通過する。
すると一斉に歓声や口笛が沸き起こってびっくりした。
何事かと思えば、どうやらドーム型の橋の下で、若い連中が音の反響を楽しんでいるようだった。
それが楽しい理由が判らない。
船がいくつかの橋の下を潜り抜けると、今度はイルミネーションで飾られたパリの名所の数々が川沿いに現れる。
すると、きらきらとしたロマンティックなその光景に合わせて、船内に流れる名所のアナウンスの合間に、妙な音が混じり始めて、俺は辺りを見回す。
よく見ると、右も左も、前も後ろも、カップルだらけだった。
ところ構わずチュッチュと始める彼らに焦り、俺はたまらず席を立つ。
通路に立って親父達の辺りを眺めるが、そこはそれほどカップルが座っておらず、お袋達は話に夢中で、イチャつくカップルなど、まるで気にならないようだった。
いずれにしても、デッキ席には他に空席がないようだ。
困り果てて階段を降りる。
「船室は空いてるのかな・・・」
階段を降りて、ガラス張りのそこを覗くと、何故だか中は誰もいなかった。
デッキからリアルタイムで中継されているらしい映像を映し出したモニターが、6箇所ほど天井から吊り下げられている。
「そうか、みんなデッキ席に上がるもんなのか・・・」
ドアを開けて入り、窓辺まで行ってみると、なるほど理由が判った。
確かに見晴らしの良いデッキ席に比べて、下の船室からだと少々景色が見劣りする。
しかし、微かに流れているシャンソンのインストゥルメンタルをBGMに、ゆっくりと落ち着いて眺めるパリの夕景は、なんともロマンティックで心地よいものだった。
白いクロスが掛けられたテーブルに掌を突き、クッションの効いた椅子を引く。
不意に、お袋が旅行前、ディナークルーズに参加したいと言って親父から強行に反対されていたことを思い出した。
パリで挙式というだけでも高い金がかかるのに、この上贅沢だというのが理由だったと思う。
しかし本格的なフランス料理でマナーが判らず、恥を掻きたくないというのが、おそらく本当の理由なのよと、後でお袋が俺に愚痴ってきた。
そんな親父に恥を掻かせないために、挙式後のパーティーを予め立食形式にしていた兄貴は、本当にできた息子だと改めて感心したものだ。
それにしても、こんな景色を眺めながら一生に一度ぐらい、お袋と美味しい料理を楽しむ時間を作ってやらない親父は、やっぱり駄目だろう。
コンコルド広場にテュイルリー庭園、ルーヴル美術館・・・。
有名なものは全てセーヌ沿いに集まっているのかと思うほど、現れては消えゆく眩いパリの名所の数々。
きらびやかな光の芸術を出迎えては見送りつつ、ぼんやりと俺の思考は昨日からの出来事を思い返し、乗船前に親父に言われたことを思い出して、そして次に律子さんとの会話を思い出す。




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