”来月の挙式、敬もちゃんと休みをとってくれてるよな?”

先月、改めて兄貴が確認してきたとき、確かに俺のバイトのシフトは、もう決定していた。
だが所詮は学生のアルバイトで、親族の結婚式が理由ともなれば、動かすことができないわけではなかった。
シフトでがんじがらめのサービス業ならまだしも、事務系のオペレーター業務なのだから、その点ではかなり融通がきく。
そもそも3か月以上も前から、予定は聞いていたのにシフトを入れていたのだから、どう責められても文句は言えない。
だが、それについて兄貴は何も言ってこなかった。
そして後からギリギリの日数分だけ休みをとり直して、そのついでに自分でホテルと航空券も手配した。
これにはさすがの兄貴も呆れて、俺を初めて非難してきた。
兄貴には、俺もバイトをしているんだし、自分のことは自分でしたいのだと説明したが、本当は兄貴が予約したウェディングムード漂うホテルに親族一同と泊って、挙式の翌朝、ハネムーンに旅立つカップルを見送ったりしたくなかったからだ。
考えれば考える程、自分の子供っぽさに呆れてくる。
意地になって自分で勝手なことをして、結局兄貴や、たぶん律子さんにまで迷惑をかけて・・・。
「俺ってさぞかし、ガキだって笑われてるんだろうな・・・」
「いいんじゃねぇの、カップルのチュウすらも、恥ずかしがって見ていられず逃げて来るぐらいのガキなんだから」
突然自分に向けられた声にびっくりして、後ろを振り返る。
「なんで・・・アンタっ・・・?」
そこにはいつのまに乗船客に紛れ込んでいたものやら、ジャケットのボタンを外して、ネクタイを緩めたルシュディーが立っていた。
胸ポケットのチーフもどこかに消えていた。
実にだらしがない。
「格好悪いぜぇ〜、あのぐらいでビビッて逃げだしてちゃ。ま、可愛いけどな。・・・ホレ、これ買ってきたぞ」
ルシュディーは俺の隣へ勝手に腰を下ろすと、よく冷えたビール瓶を1本寄こしてくれた。
船内の売店で買ってきたのだろう。
「ありがとう・・・っていうか、ちょっと待って、アンタ日本語・・・」
「ん? 誰が話せないって言った?」
「いや、言ってないけど・・・」
めちゃくちゃ流暢じゃん!
「そら話せるさ。俺の祖母ちゃん、柴又生まれのバリバリの江戸っ子だぜ。俺、祖母ちゃんっ子だったし」
寅さん級なのかよ!
「待って・・・、ってことはさっきの兄貴との会話とか、もしかしたら律子さんとの会話とか・・・」
「ああ、安心しろよ。お前の兄貴との会話は途中から俺に配慮してほとんど英語だったろ。律子との会話は面白かったけどな。お前喘息持ちの我儘坊やだったんだな。っていうか、今も相当・・・」
「わぁ〜、やめろ、やめてくれ! 猛烈に恥ずかしくなってきた! 自己嫌悪に陥っている最中に、無慈悲な現実を突き付けないでくれ・・・」
「自己嫌悪ねぇ・・・」
そう言うとルシュディーはビールを一口ごくりと飲んで、続けた。
「そんなもんに陥る必要あると思えないけどな。人間誰だって我儘に生きているもんじゃん。俺だって好き勝手やっているし、律子だって料理は上手いが、あれで結構我儘だぞ」
「アンタと一緒にするなよ。それに兄貴の嫁さん捕まえて、気軽に呼び捨てんな。しかも料理って何だよ!」
「昔の話だよ。俺が風邪や貧困で苦しんでいた頃、何度か飯を作ってくれたんだ。同じアパルトマンに住んでいたって言っただろう? 移民や外国人ばかりが住んでいる、18区の粗末なアパルトマンさ。でも、俺の部屋からは、サクレクール寺院がよく見える。実はまだそこに住んでいるんだけど・・・今度見に来るか?」
「遠慮しておくよ。・・・それで好きになったの?」
「ええと、・・・まあな」
珍しくルシュディーが気まずそうな顔をした。
まだ少しは好きってことなのだろうか。
「あの大学の聴講生だって言ってたよね」
「演劇の講義を受けに行ってる。・・・俺、こう見えて実は俳優なんだぜ」
ルシュディーがチャーミングに笑った。
言われてみると、確かに彼は、会ったときから自分をどうすれば魅力的に見せられるのか、よく知っているように思えた。
すれ違う遊覧船が放つ強烈なライトが、スポットライトのようにルシュディーの横顔をくっきりと象ってゆく。
無性に意地悪がしたくなる。
「俳優志望じゃなくて?」
「お前なー・・・そうやってズケズケと痛いところを突くなよ。・・・一応仕事は何度かこなしてるよ。オーディション落ちまくりだけどさ」
「・・・オーディション受けているんだ?」
そりゃあ甘い世界じゃないだろうけど。
バトームーシュは自由の女神の周りを旋回しながら、クルーズの後半部分を進んでいった。
「当たり前だろ。・・・本職はまあ、ギャルソンだな。でもいつか、こんな自己紹介が必要ないぐらいに有名になる予定だ」
自分で言うだけのことはやっているようだった。
「まあ頑張ってよ」
「お前、馬鹿にしてるだろ? まあいいさ。いつか律子もお前ら兄弟も、思いっきり後悔させてやるから見ていろ」
「律子さんは駄目だよ。もう兄貴の嫁さんなんだぞ」
「馬鹿、今さら手出したりしねぇよ」
苦笑しながらそう言うと、ルシュディーが瓶に半分ほど残ったビールを一気に飲み干した。
不意に気になった。
「なんで告白しなかったの?」
「何も言っていないのに、どうして俺が告白しなかったと判った?」
「・・・なんとなく」
ルシュディーは第一印象で感じたほど、軽薄でいい加減な男ではないようだ。
恋に対しても、見た目以上に慎重なのではないかと思ったのだ。
「お前の兄貴のせいだよ」
空瓶を指先で弄びながら、ルシュディーがぶっきらぼうに言う。
気まずそうに視線を外へ向けた表情が、少し幼く感じた。
人にさんざんセクハラを仕掛けたり、からかったりするわりに、本人もこういう話は苦手なのかも知れない。
「兄貴の・・・?」
ルシュディーは少し迷ったように視線を彷徨わせると、ポツリポツリと話し始めた。
「正直、一目ぼれだった・・・遠目に見ている間は何ともなかったんだが、ある日突然、あの人は俺の部屋へ乗りこんできたんだ。俺はそのとき、一週間後に控えたオーディションのために、朝からずっとセリフを繰り返し練習していた。その日は残暑が厳しくて、ドアを開けっぱなしにして練習をしていた。するとあの人はズカズカと人の部屋へ入り込んで来て、俺が詰まったセリフを横から諳んじてみせたんだよ・・・あれは本当に吃驚したよ。そして練習の相手をしてやるなんて言いながら、寄り添って人のベッドに座り込んで、・・・興味深そうに俺の顔を覗きこんで、野暮ったいからコンタクトにしろなんて言いながら、俺の顔から眼鏡を取り上げて・・・失礼だよな。けれど、自分が恋をしていると気付いたときには、もうあの人は・・・彼女の部屋には彼がいた」
「へぇ・・・」
ちょっと意外だった。
確かに律子さんは気さくな女性だと思ったが、だからといって一人住まいの男の部屋へズカズカと上がり込むような大胆なイメージではなかった。
兄貴はこの話を知っているのかなぁ。
「俺はあの人もメッシーヌ・ベルシーの留学生だと知って、会いたくなって大学まで見に行ったことがあるんだ。演劇の講義はそのときに知って申し込んだ。俺の稼ぎじゃ、正直難しかったけどな・・・。でも、あの人に近づけるなら、それでいいとそのときは思ったんだ。けれど、すぐにあの人と・・・彼女とお前の兄貴が大学でもいつも一緒にいることを知るようになって、次第にアパルトマンにもしょっちゅう来るようになって・・・だから諦めた」
「告白もしないのに?」
「釣り合いが・・・いや、勝ち目がないと思ったんだよ。片や役者志望で移民の労働者。片やリッチで頭がいい・・・美しい留学生」
「そんなふうに見えたんだ」
「実際そうだろう?」
何と答えて良いのか判らない。
俺も確かに、兄貴にはコンプレックスだらけだ。
裕福かどうかは基準によるが、留学期間中に学業に専念できる程度の余裕はうちにはあった。
ルシュディーは兄貴を美しいと言ったが、俺には背が高くスタイルも良いルシュディーだって男らしい美しさを持っていて魅力的に見える。
彼が本気で律子さんを口説けば、どうなっていたか判らないのではないだろうか。
「本当に律子さんのことは諦めるの?」
正直、ルシュディーの言い方には、まだ未練があるように感じられた。
「だから今更どうこうしないって言ってるだろ。」
案外あっさりと俺の懸念は否定された。
「未練とか、全然ないの?」
「ないよ・・・なんだよ、俺にどうしてほしいんだ?」
「だったらその呼び方も止めてよ」
「呼び方?」
「律子さんを呼び捨てるなって言っているんだ」
「急にどうした・・・さっきまでは何も言わなかったくせに」
「英語と日本語じゃ、呼び捨てる時のニュアンスにだいぶ開きがあるから、日本語のときはダメなの。微妙なの」
「難しいヤツだな。・・・そうだ、忘れるところだったよ。ほら、コレ返しとく」




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