平日昼間のフライトである。
機内は半分もシートが埋まっていない。
それなのに、いったいどういう因縁で、この男と隣同士だというのだろうか。
ロンドン直行のコードシェア便、VS901(NH6351)は、ほぼ定刻通りに成田を出発した。
シートベルト着用サインが消えると、俺はさっそく席を立つ。
「すいません、ちょっと通して貰えますか」
「あ、トイレかい? もちろん、いいよ。それにしても近いね。ああ、そうか月に一度の・・・冗談、冗談。行ってらっしゃい」
拳が胸より前へ出かかっていたが、騒ぎを起こす前に堪えるのを成功した。
変態の戯言にいちいち付き合っていたら、こちらまで頭が可笑しくなる。
通路側に座っていたジョニーは広げていた音楽雑誌を閉じて通路へ退き、俺はその前を通りながら心で「あばよ」と舌を出した。
どうせ空席だらけの機内なのだ。
何もこんなところへ、我慢して収まっている必要はない。
よもや先程のように、付いてくることはあるまいな、と警戒したが、変態野郎は大人しく席へ座り直して、再び雑誌を広げていた。
俺は安心してトイレへ向かう。
あるいは、成田の一件もただの偶然だったのかもしれない。
考えてみれば男の俺が、いくら変人とはいえ見知らぬ野郎に付きまとわれる理由はないのだ。
実はあのとき、彼は何かを俺に聞きたかっただけかもしれない・・・・案外普通の馬鹿なのかも。
トイレで用を済ませ、どうしようかと悩んだが、それでもやはりわざわざ元の席へ戻る理由もないため、俺は手前の空席へ座り直すことにした。
ここなら荷物を収めた棚も見えるし、隣も列ごと空席だから、のんびりできる。
安心したら、急に眠気を感じて俺は目を閉じた。
小一時間ほど眠っていただろうか。
誰かに肘を突かれて目を覚ました。
「畝傍、起きろよ。機内サービスだぞ」
「ん・・・ああ、ありが・・・なんでっ!?」
隣に座って反対側の通路へ手を伸ばし、女性乗務員から肉料理を受け取っているジョニーの横顔を、俺は呆然と眺めた。
なぜこいつがここにいる!
野郎はやっぱり俺のストーカーなのか!?
わけのわからない気持ち悪さに、俺は叫びを上げてどこかへ逃げ出したかったが、すぐ隣の通路にもサービス用のワゴンが止まっているため、身動きがとれない。
「お肉とお魚、どちらになさいますか?」
にっこりとした笑顔で、日本人乗務員が俺に聞いてくれた。
「ああ、じゃあ魚で・・・」
俺が彼女に答えると。
「男の子なのに、魚でいいのかい? そうだ、俺と半分ずつ分けっこしようか?」
いらねーよっ!
俺だって普段は肉料理派だが、てめぇと同じ料理を食べることが我慢ならねぇんだよ!
・・・と叫びたい気持ちをぐっと抑えつつ。
「どうか、お構いなく」
俺はジョニーへ返事をしながら、フィッシュフライへぶすりとナイフを突き刺した。
その後俺は食事をしながら、聞きたくもないジョニーの話を延々と聞かされた。
なんでもジョニーは、人助けのためにはるばるロンドンから日本へやってきたらしかった。
職業は俺と同じで学生だというが、どうみても20代後半よりも上にしか見えない。
しかし白人は東洋人よりも大抵老けて見えるし、日本と違って一旦社会へ出てから、大学へ入り直すことも珍しくはない。
ジョニーがどちらなのかは分からないが、知りたいとも思わない。
そして学生であるジョニーは日本好きであり、日本人の女友達がいて、遠距離恋愛中の彼女の恋人を安心させるために、単身日本へやってきたというのだ。
「なんでまた、そんなことを?」
概略はわかったが、理解が及ばない。
俺も同じような状況だから、遠距離恋愛の辛さや不安は容易に想像が付くが、なぜわざわざ、第三者であるジョニーがそんな事をする必要があるというのだろうか。
「彼女は今勉強でとても忙しいからね。でもこの彼氏っていうのが、人一倍心配性で、彼女が元気にやっているのかどうか、ずっと気にして毎日メールを送ってくるらしいんだよ」
似たようなことを、みんなやっているものである・・・というか、それは当然じゃないだろうか。
「そりゃ恋人だったら、心配して当たり前だろう?」
俺達だって毎日メールしあっている。
それの何が悪いんだ。
「いや、メールを送ってくるだけなら、いいんだけどね」
そういうとジョニーは苦笑した。
「何だよ」
「彼女は気付いてないけど、たぶん浮気を心配してるんだよ、この彼氏は」
どきりとした。
自分の話でもないのに、妙な胸騒ぎがあった・・・こういう状況になると、やっぱり愛なんて壊れやすいものなのだろうか。
離ればなれになってしまえば、互いの信頼関係なんて、いとも簡単に崩れ去ってしまうのだろうか。
「浮気を疑われるような理由があるのか?」
その彼女も、身近に他の男がいるということだろうか・・・それは、つまり。
「いいや、彼女は魅力的な女の子だろうとは思うけど、ずっとその恋人を愛しているよ。俺は学校で毎日のように顔を合わすけど、彼女が浮気をしているなんてとんでもない誤解だし、疑われていることが気の毒でしかたがない。だから、その誤解を解いてやろうと思ったんだよ」
「ずいぶん協力的なんだな・・・あんたがそんなことをする必要は、どこにもないのに。協力なんていうのは、ただの建前で、実はぶち壊しに行ったんじゃないのか? 正直に言えよ、本当はその女のことが好きなんだろう?」
俺はジョニーを睨みつけた。
ジャッキーという男も、こういう調子の良さそうな、食えない野郎なのではないだろうか。
「俺か? ああ、コーヒーもう一杯貰えるかい? ・・・君には俺が、本当にそんな風に見えるのか・・・?」
途中で乗務員を呼び止め、お替わりのコーヒーを貰いながら、ジョニーは目を細めて身を乗り出し、俺をじっと見てきた。
怒らせたのかと思ったが、どうやらそうではないようだった。
ジョニーの顔がぐっと俺に近づけられる。
青い瞳は俺だけを捕らえ、口角を微かに上げて笑みを浮かべていた。
俺は妙に落ち着かない気分になって、目を逸らす。
「ちょっとトイレ・・・」
「おい、危ない・・・」
不用意に立ち上がろうとして、広げたままの物置台にぶつかった。
バランスを崩し、ジョニーが咄嗟に俺を支えようとしてくれる・・・コーヒーを持ったままの手で。
「うわっ・・・あちぃっ!」
「畝傍!」

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