せっせと後始末をしているジョニーを、便座に腰を下ろしたままの状態で、俺は呆然と眺める。 『RE:これからそっちへ行く
不意に彼がジーンズのポケットから何かを取り出し、そこからひねり出したモノを俺に見せてきた。
「薬・・・?」
人差し指の腹に1センチほど伸びている白っぽいそれを、彼は俺の内股へ塗ろうとした。
触れた瞬間に冷たさで息を飲む。
「ほらじっとして・・・せっかく乗務員から軟膏を貰ってきたんだから、塗ってやる・・・・と思ったけど、もうかなり腫れが引いてるみたいだな」
どうやら火傷の薬らしかった。
いつのまにそんなものを手に入れたのだろう、今の今まで俺とここで一緒にいたのに。
せっかく貰ってきたのだからと、結局、内股へ薬を塗りつける彼を眺めた。
おそらく、ここへ来る前・・・たぶん、俺が寝ている間に貰ったのだろう。
それがなぜか、あんなことになって・・・。
薬を塗り終えたジョニーは、続いて足元に散らかっていた俺の下着を拾い上げて、幼い子供へ親がそうするように、履かせてくれた。
つづいてジーンズ、最後にシャツ・・・。
疲労でぐったりとしていた俺は、自分で動く気がせず、彼からされるがままになっていた。
「ほら、そろそろ席へ戻るから、いい加減に立てよ」
「無理・・・」
少しでも動くと尻が悲鳴を上げそうだった。
「休憩させてやりたいのは山々なんだがな・・・ぼちぼちヒースローだ」
「え・・・・そんな筈・・・」
言われてみると、だんだん高度が下がっているような感覚が、確かにあった。
いつから着陸態勢に入っていたのだろう。
というより俺たちは、一体どのぐらいの時間トイレに籠もって・・・・猛烈に恥ずかしくなってきた。
「さあさあ、思い出していい気分になるのは、もう少しあとだ。辛いだろうけど、暫く我慢してくれ」
ジョニーに手を引っ張られ、トイレから出される。
そして引きずられるように最初の席へ戻った。
薄くシェードを上げてみると、確かに薄暗い都会の街並みが見えていた。
間もなく空港に到着する。
ふと、気になることがあった。
「なあジョニー・・・お前さっき、友達の彼氏を安心させるために、日本へ行ったって言ってたよな・・・。その目的ってのは、結局達成できたのか?」
「さあね、微妙なところかな。何しろ、東京があんなに広いなんて思わなくってさ・・・もう少し、手がかりになるような建物なり、住所なりを聞いてくればよかったと後悔したよ」
「まさか・・・連絡先も調べないで、いきなり行ったのか」
それはさすがに馬鹿としか言いようがない。
ただ闇雲に東京を彷徨いて終わりだったことだろう。
「収穫がまるでなかったわけでもないんだけどね。いやあ〜マグロの解体って、凄くエキサイティングだよ! 本場の寿司は最高だし、近いうちにまた是非行ってみたいね」
「ああそうですか、楽しんで頂けたようで何よりです」
つまり、ただの観光旅行じゃねえか!
「それに、最後の最後に彼にも会えたし」
「・・・そうなのか?」
東京に着いてから、ちゃんと調べて動いていたということだろうか。
ふと隣を見ると、ジョニーの青い瞳とまともに視線が交差した。
なんとなく落ち着かない気分になって、俺は目を逸らす。
薄く上げた状態にしておいたシェードの隙間からは、ヒースローの滑走路が見えていた。
オレンジ色の誘導灯が、曇り空の下でぼんやりと灯っている。
日本を出発して、約12時間半。
コードシェア便は定刻通り、午後3時半にヒースロー空港へ到着した。
「ほら、畝傍の荷物。立ち上がれるか?」
棚から俺のリュックを出して、ジョニーが手渡してくれた。
「うん、なんとか・・・えっと、これ・・・?」
受け取ったそれを抱えて、パスポートを取り出すためにポケットを探ると、覚えのない紙切れが入っていた。
そこにはロンドン市内の住所と、電話番号、そして名前が走り書きで書かれている。
名前はジョン・ウィルキンソン。
ジョン・・・つまり、ジョニーの本名だろうか。
「どのぐらいの滞在か知らないけどさ、いつでも来てくれよ。連絡くれたら、ホテルまで迎えに行くから」
そんなことを言いながらジョニーは、動き始めた列へ混じって、通路を歩き出す。
俺もすぐ後を追いかけた。
今更・・・本当に、今更だが、あとひとつだけ、どうしても確かめたいことがあった。
「お前ってさ、人からジャッキーって呼ばれることあるか?」
「そうだな・・・、ジャックやジャッキーってのは、ジョンのニックネームだし、親とか古い友人は、そう呼んでる奴が多いかもな。あと、学校の友達とか。でも、俺はジョニーの方が好きだから、畝傍は今のまま、そう呼んでくれていていいぜ」
「そうか・・・お前もジャッキーだったんだな・・・」
なんとなく嫌な予感がしていた。
その後俺たちは税関前で別れると、俺は一人で入国審査の列に並んだ。
そして手荷物を受け取り、携帯を確認しながら到着ゲートへ向かう。
フライト中に、メールを一通着信していた。
明日香からだった。
本文:びっくりした! 日本時間で12時ぐらいってことは、こっちにはお昼の3時ぐらいに到着よね? じゃあ、迎えに行く。ひょっとして、ジャッキーと同じ便かしら?』
背筋を嫌な汗が流れていった。
スーツケースを押しながら俺はフロアを進む。
そして久しぶりに聞く優しい声と、2ヶ月ぶりに見るあまり変わらない彼女の姿が、俺に向かって手を振るのを確認して、愛しさを募らせた。
その隣でバックパックを足元に置いた体格のよいライダース姿の男も、ニヤニヤと薄笑いを浮かべながら、彼女と一緒に俺を出迎えていたのだった。
07
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