私が忘れ物を取りに、体育館へ戻ったときのこと。
時刻は午後4時半過ぎ。
誰もいないかもしれないと思っていた体育館には、幸いまだ電気が点いている。
玄関からまっすぐ女子更衣室へ入り、棚に置きっぱなしになっていたタオルを鞄へ収めて出て来ると、微かな話し声に気がついた。
倉庫からだ。
道場仲間であるその声の主達に挨拶をしてから帰ろうと思い、小走りにそちらへ近づくと、中から漏れ伝わる会話の流れに私は思わず入り口で足を止めた。
10センチ程に開いている扉の隙間から倉庫の中を覗き込み、まだ道着を着替えていなかったらしいよく知っている二人の姿に目を凝らす。

 

「なるほどね〜、朝倉君結構ニブそうだからな。中々気づいてもらえなくて、行き詰っているわけか〜」
正面の窓の錠を掛け、扉へ背を向けて立っていた橘信二(たちばな しんじ)は、隣で憂鬱そうに佇む前波影範に微笑みかけながら言った。
「うん・・・いろいろ話しかけてはみるんですけど、どうも相手にされてないというか・・・そういう目で見てもらえていないようで」
橘とともに本日の戸締り当番だった前波は、壁を背にするような形、つまり橘とは逆に、入り口側へ身体を向けて、やや俯き加減に溜息を漏らしながらそう答えると、すぐ隣に積み上げてある白いマットの塊へ素足で軽いキックを一発入れた。
どうやら、何かの悩み相談中と言った佇まいだ。
「けれど仮にさ、朝倉君に気持ちを気づいてもらえたとして、そこからはどうするつもりなの?」
「まあ・・・その、普通に付き合えたらいいなぁと・・・」
「ふむふむ成程。それからどうするの? たとえばデートしたり?」
「そりゃあ出来れば・・・というか、そのつもりですけど」
どこか前波の反応を楽しんでいるといったような、軽薄な調子で橘から追及されて、恥ずかしそうに前波が視線を逸らしながらそう答える。
前波の影の濃い黒目がちなその目の周りが、すっかり赤くなっていた。
「なるほど。じゃあデートをして、・・・その後は朝倉君をどうしたいと思っているのかな〜?」
窓枠に片手を掛けたまま前波の方を向いた橘が、顔を突きだすような姿勢でおどけた調子に聞くと、若い前波は焦って一歩退きつつ紅潮した顔を上げた。
「ちょっと橘さんっ・・・俺に一体何を言わせる気なんですか!」
「ごめんごめん・・・ハハハ。けどさ、これって現実問題じゃないのかな。前波君、男の経験はあるの?」
「は!?」
想像もしなかったらしい質問をされ、その内容の露骨さに面食らった前波が、少しばかり彼より上背のある橘を見上げて、まじまじと目を見開く。
長さのある睫毛が2、3度瞬きを繰り返した。
橘は和やかな声を保ちつつも、しかしその切れ長で涼しげな両眼へ、微かに狩人のような鋭さを滲ませた。
「だって結局そういうことになるわけでしょ? それとも前波君、まさか朝倉君とずっとプラトニックな恋愛を続けたくて、そこまで悩んでいるわけ?」
「あ・・・いや、・・・そりゃあまぁ、いずれは俺も、そうしたいとは思ってますけど・・・」
語尾が段々と小さくなってゆく。
頬を赤らめてまたしても俯いてしまう前波の純粋そうで繊細な横顔を、橘が目を細めつつ口元に微かな笑みを浮かべながら愛でていたことに、恐らく前波は、その可能性にすらも気づいていないことだろう。
麗しき鈍感たる朝倉光政のことを言えないほど、・・・いや、ひょっとしたらそれ以上に、実は前波という男もまた、自分が同性からどのように見られているか、どれほどアプローチをされているかということに、呆れるほど無自覚な男だった。
「男を抱いた経験は?」
「・・・あるわけないでしょう!」
「じゃあ、抱かれた経験は?」
「それこそないですっ」
「ふふふ、・・・真っ赤だねぇ前波君」
「赤面させるようなことを橘さんが言っているんです!」
「いや本当に君って・・・ま、それはともかくだ」
何かを言いかけ、辛うじてその言葉の続きを呑みこむと、橘はさらに話を続けた。
本当に前波に対して言いたい言葉を伝えるには、恐らくまだ少しだけ時期が早いと、橘は判断した。
「けどねぇ・・・それじゃあつまり、男に関して君は全くの未経験ってわけだ。そんなことで大丈夫なの? 朝倉君ガッカリするかもよ〜」
「仕方ないでしょう! それにきっと朝倉さんだって・・・」
「さあて、それはどうかな。だってあれだけの美人さんだよ? 案外、経験豊富かも」
「それは・・・ショックかも」
黒目がちな目が悲しげに潤む。
そんな表情がまた橘を楽しませ、そしてつけあがらせた。
今なら彼を誘惑出来るかも知れないと・・・。
「よかったら僕が指導してあげようか?」
まるで居合の稽古をつけてやろうとでも言うような軽い申し出に、うっかり頭を下げてお願いしますと言いそうになり、寸でのところで前波は思いとどまった。
「あの、指導って・・・」
「男同士のときはどうするものなのか。実地で知っていれば、いざというとき困らないでしょ」
突拍子もない提案に前波は大きく息を呑んだ。
睫毛が扇状にパッと広がり、アーモンド形の目の周りをくっきりと象る。
日ごろは密集した睫毛が色濃く影を落としている前波の物憂げな瞳が、珍しく丸い形をくりりと見せて、それがまたとんでもなく愛らしい。
その表情の変化を橘がこっそり楽しんでいることに、当の本人は気づく由もない。
だが、この提案が意味することは・・・。
「ちょっと待ってくださいよ・・・まさか、俺に橘さんを抱けっていうんですか?」
前波が大いに狼狽え、橘から一歩退きながら身構える。
「それはちょっと勘弁だなぁ〜、でも逆ならオッケーだよ。前波君もどこをどうされると良いもんなのか、自分の身体で覚えておくことは、あとあと役に立つんじゃない?」
橘もニヤニヤと笑いを浮かべながら前波に一歩近づく。
「いや・・・でもそれは・・・」
前波がさらに退こうとして、腰を前に突きだすようにやや仰け反った。
積み上げられたマットに、踵が当たっていた。
「朝倉君、悦ぶと思うよ・・・」
橘が構わず近づき、互いの腰のあたりで前波との距離を完全に失くした。
その手が袴の紐にかかり、前波が焦って橘の手首を掴む。
「ちょっと待って・・・橘さんっ・・・」
「ほらほら抵抗しない。僕の事を朝倉君だと思えばいいじゃない。目でも瞑ってなさい」
そう言いながら強引に袴を脱がし、帯を解いてしてしまうと、肌蹴た着物に下着姿となった前波の腰を両腕で引き寄せる。
たとえば朝倉のような、女のようにと形容できる類の中性的な印象は、前波には皆無だ。
しかしまだ若いその腰回りには余分な肉がついておらず、成人男性としてはやはりほっそりとしている。
橘はその腰を抱いたまま、後ろから着物をたくし上げて、シンプルなグレーのボクサーのウェストに手を掛けた。
「やだっ、だって・・・これじゃ、俺が朝倉さんの立場っ・・・ひゃっ」
大柄な橘に片腕1本で腰を抱えられ、前波は今にも床から足が浮き上がりそうになっていた。
不安定な姿勢のせいで相手に密着した自分の股間が、形を変化させそうで落ち着かない。
しかし抵抗しようにもほとんど動けないのだ。
橘からこうもあっさりと、圧倒的な筋力の差を見せつけられては、元刑事の隆々とした肉体が相手とはいえ60代のこの男に比べて、20代である筈の自分の無力さはなんと情けなく、ひょっとしたら彼の前では女子供と変わらぬのだろうかと想像するしかない。
もっとも橘には、年齢を聞いて尚も俄かには信じられない若々しさが全身に漲っており、外見だけで憶測するならせいぜい40代半ばの印象だった。
加えて180以上ある前波よりもさらに上背や肩幅があり、鍛え抜かれた肉体に相応しい、野性的で男らしい美貌の持ち主でもある。
男女関係なく見る者に感動のため息さえ吐かせてしまう、朝倉のような奇跡的な美しさというのとはまた違うが、しかし橘には外見の美しさはもちろん、黒の道着姿がさらに男の色気というべきようなものを引き立たせていた。
士英館でも会員だけでなく見学者の中にさえ60代の彼に逆上せてしまう女性は多く、正直に言って、同じ男である前波とて元から橘へ憧れがないわけでもないのだ。
だが、自身の性体験の対象としては・・・。
そこまで考え、嫌悪感がないどころか、惹きつけられている自分に気が付き、前波は激しく動揺した。
橘の大きな手がとうとう前波の下着を下げてしまい、剥き出しになった下半身に優しく長い指が絡みつく。
感触に思わず吐息へ声が混じり、前波はその甘さに羞恥した。
橘の手が愛撫を開始する。
ひっきりなしに声が出てしまい、止めようにも喉がまったく言うことを効かない。
「可愛い声を出すねぇ・・・おやおや、若いってのはいいなぁ。もうこんなに立てちゃって」
指が動くに連れて徐々に水音が聞こえ始め、その卑猥な響きに前波が身を捩じって恥ずかしがる。
その様子がまた何とも可愛いらしい。
「た・・・ちば・・・な・・・さ・・・あぁ・・・」
全身からどんどんと力が抜けてゆく。
足の筋肉がわななき、腿で絡まっていた下着が、皮膚の表面をするすると滑り下りて、床に落ちたのが判った。
前波の息が荒くなり、橘から顔を背けて尖った顎を突き出しながら、弓なりに身を仰け反らせる。
小刻みにその身体が震えている。
自分の腕の中で感じている若い身体をすぐ後ろのマットの上へ寝かせてやり、そこへ橘が覆い被さった。
「じゃ、そろそろ一回抜いときますか。ほおらっ」
完全に立ち上がり、先を潤ませながら震える前波の物を、素早く橘が擦り上げる。
「ああぁっ・・・!」
積み上げられたマットの上で足を引きつらせながら、少し高めの掠れた叫びを発して、前波はとうとう達した。
濡れた唇を薄く開き、キラキラと光る長い睫毛を震わせて、着物をすっかりと肌蹴させた胸が大きく上下している。
呼吸が整わず開いたままのその唇へ、橘は舌を絡めながらキスをする。
続いて目じりにも口づけると、塩辛い雫が舌の先をピリッと刺激した。
「凄いね」
漆黒の紋付きと白襦袢を乱れさせ、果てて横たわる前波の姿態は壮絶に色っぽい。
橘の支配欲がさらに駆り立てられる。
己の手の中で、断続的に前波が吐き出した愛しい白濁を指先に絡めると、次に橘は前波の腰を少し持ち上げて、雫を後ろの窄まりへ塗り込めようとした。
「橘さん・・・そんなところ・・・嫌だ・・・」
触れられた場所への羞恥と、そこをどうされるかを予期して感じる本能的な恐怖心に、前波が抵抗を見せるが、それもまた橘が押さえつける力の前では何の意味もなさない。
「何言ってるの、ここを覚えないと意味がないじゃない。ほら力を抜いて・・・」
引き締まった小さな尻を高々と持ちあげて、前波の長い足を膝で折り、左右に開かせると、橘の眼前にその秘部が露わとなる。
ほんのりとピンク色に染まった綺麗なその場所は間違いなくバージンでありながら、自分の指がなぞり上げるたび、徐々に潤いを帯びて収縮し、言葉とは裏腹に接合を今か今かと待ち侘びているようにも見えてくる。
卑猥な純潔とでも言ったらいいのだろうか。
橘はゆっくりとそこへ指先を含ませる。
「痛っ・・・め・・・んんっ」
内壁が橘の人差し指をぐいぐいと締め付けた。
今すぐに繋がりたいという、強烈な欲求に駆り立てられるが、それでは前波を傷つけてしまう。
橘はぐっと己のリビドーを押しこめると、目の前の愛撫に専念した。
中で指を動かし、丹念にその場所を解してやる。
徐々に前波の表情から険しさが消えてゆく。
「段々よくなってきたんじゃない?」
「んなこと・・・気持ち悪・・・変な感じ・・・」
強がる前波の声が色めいてきた。
橘は一旦指を引き抜くと、今度はそこへ口づけた。
「いやっ・・・そんなところ汚っ・・・」
前波が激しく嫌がるが、構わず橘が舌を差し入れ中で動かす。
次第に抵抗が収まり、呼吸に混じって紛れもない喘ぎが聞こえ出す。
舌で愛撫を与えつつ、橘はそこへ再び指を埋没させた。
「や・・・あ・・・」
前波の反応がはっきりと変わる。
そして指の腹で内壁の上の辺りをなぞりあげた途端、その身体が大きく跳ねた。
「おやおや、ここは随分といいみたいだね?」
橘は指を増やし、今度はそこを重点的に刺激する。
前波の物がみるみる屹立し、先端から蜜が溢れてきた。
「・・・あっ・・・んん・・・もうっ・・・」
イヤイヤをするように前波が身体をくねらせて、首を左右に何度も振る。
肩にだけ残した黒い着物と純白の襦袢を下に敷き、その上で淫猥に咲き乱れてゆく、ほんのさっきまで青く固かった蕾。
肌はすっかりと上気し、ツンと立ち上がった小さな二つの果実が、早く口に含めと誘いかけてさえいる。
長めの黒髪が汗を含んで束となり、ほっそりした面の色づいた頬や白い首筋で、雫を散らしながら踊り跳ねる。
青い肉体が、今や自分の手によって花開こうとする鮮やかな瞬間だった。
ときに橘の言葉へ頬を染める、少女のような愛らしい一面がある。
そうかと思えば、稽古で汗を流し、長い毛先が頬や首筋に張り付いて色気を纏う別の顔もある。
いずれも橘が好きな、とっておきの前波の表情だった。
しかし、これだけ見事な痴態を見せてくれようとはどうやって想像できようか。
あまりに危険で卑猥な美しさ。
こんな姿を他の誰にも見せたくはない。
たとえ朝倉であろうと。
だが、朝倉と仲が良い自分であるからこそ、前波はこうして無条件に頼ってくる。
皮肉なものだ。
そして自分もその立場を利用して、今、前波を抱こうとしている・・・。
前波が悩まずとも、朝倉も彼が好きであろうことは、傍で見ていれば判る。
経験がなかろうと、年上の朝倉は大して気にしないだろうし、むしろ嬉しく思うかも知れない。
彼ならそのぐらいの余裕があるように感じられる。
恐らく自分は卑怯だ。
けれど、ごめんね朝倉君・・・・僕が先に前波君を頂くよ。
「そろそろ良さそうだね」
そう言って橘が己の黒い袴をスルリと脱ぎ捨て、トランクスの前を下げる。
「たち・・・ばなさっ・・・ん・・・」
自分が何をされようとしているかを悟った前波は、僅かに身を引いた。
だが容易に腰を引き戻される。
「大丈夫だよ・・・すぐに良くなるから」
そう言って橘は既に半分立ち上がっていた物を自分で2、3度扱くと、先端を前波に押し付けた。
「あぁっ・・・」
大きな圧力がかかり、前波は目をぎゅっと閉じる。
白い喉を見せて仰け反る姿が堪らないと、橘は目を細めた。
「前波君、力を抜いていてね・・・」
そして若い肉体へと橘の物が押しこまれてゆく。
「・・・・・!」
痛みで声も出せずに、身体を引きつらせて悶絶する前波。
そんな前波を気遣い、橘はすぐに挿入を止めて、一度は吐き出した前波の物をふたたび優しく愛撫した。
頃合いを見て挿入を再開し、少し押し進めてはまた腰を止めて、再び前や乳首を弄ったり、ときに接合部分を愛撫したりと、できるかぎり前波から快感を引き出してやる。
そうしてゆっくりと腰を進めていき、時間を掛けて橘はすべてを前波の中に収めた。
「た・・・ちば・・・な・・・さん」
力なくぐったりとマットに横たわる前波が、潤んだ双眸で橘を見上げてくる。
熱に浮かされているような細い声で呼びかけられる自分の名を耳にして、橘はぐっと己を戒め苦笑した。
たった今彼の中におさめたばかりの物が、年甲斐もなく、その声だけで達しそうだと思ったのだ。
橘は額にキスをひとつ落とすと、至近距離から前波を見つめる。
長い睫毛を震わせて涙を零すその瞳に、彼に付け入りその身を汚させた悪い男の姿が映っていた。
「だから目を閉じていなさいっての。僕のことは朝倉君だと思って」
苦しそうなその背の下へ手を差し入れ、優しくさすってやりながら、心にもない言葉をかける。
本当は嬉しいに決まっている。
もっと自分の名を呼んでほしい。
呼びながら身体をくねらせて、自分が与える快感に喘ぐ声を聞かせてほしい。
「そんなの無理ですよ・・・」
「じゃあ前波君は僕とセックスしてるってちゃんと認識しながら、今、僕を受け入れてくれているのかな?」
「そりゃ・・・そうです」
前波が目元を染めながら、不貞腐れた声でそう言う。
なんて表情をするのだ、まったく。
「嬉しいなぁ。でも、そんな目で見られると結構辛いかも。おじさん、久しぶりに暴走が止まらなくなりそうだ」
そう言いながら橘は前波の腰をしっかりと抱くと、緩やかに動き始めた。
最初は痛みしか感じなかった前波も、徐々にその中へ快感を見つけ始め、気がついたらあられもない声を上げて良がっていた。
2度目も絶頂はあっけなく訪れた。
身体を返され、今度は後ろから腰を打ちつけられる。
イきそうになっては止められ、また体位を変えられて責められる。
前を揉み扱かれ、胸を弄られ、それらを口に含まれて、貪るような濃厚なキスをされて、自分で吐きだした物を口移しに味合わされて、絶え間なく中を抉られる・・・。
己の身体を余すところなく味わいつくそうとする橘の、ひとつひとつの行為に、前波はただ翻弄されるばかりだった。
そして橘が与えてくれる手や唇の感触、彼の体温や、触れられた箇所から熱を持ち始める自分の火照り、そして耳に肌に感じる吐息と、彼が感じさせてくれ、感じてくれているであろう互いの快感に胸が熱くなった。
次第に抽送が早くなってゆく。
「橘・・・さん・・・」
「前波くん・・・あっ、んんっ・・・」
初めて聞くような切羽詰まった声で名を呼ばれた次の瞬間、前波は3度目の絶頂を迎え、そして自分の中に流れ込む橘の・・・・・



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