『罠』
静寂した薄暗いオフィスビル。
階段の踊り場から5階のエレベーターホールへ向かうとボタンを押し、間もなくやってきた無人の籠に乗り込む。
1階へ着くまでの数十秒が何時間にも感じられて、苛々とした。
朝倉君・・・冷たいじゃないか。
耳の奥にはりついた低く不快な囁き。
知らず呼吸が乱れてゆく。
生々しい残像を振り払うように、頭を左右へ振った。
「・・・・・っ!」
不意にチャイムが鳴って息を呑む。
籠が停止していた。
こんな時間に誰が・・・。
電光表示は4階。
登録センターだ。
派遣社員が中心の部署だが、SVやLDといった管理スタッフが月に何度か深夜まで残業をしている。
自分の着ている服を見下ろし、慌ててシャツの裾をベルトに押し込んで、ネクタイを締め直す。
間もなく扉が重々しく開いた。
フロアの電気は消えている。
既に業務は終了していて、皆帰ったあとらしい。
「おや、これはお疲れ様です」
視界の隅に懐中電灯を手に提げた馴染みのガードマンが立っていた。
「どうも・・・・」
「毎日遅くまで御苦労さまです」
「いえ、そちらこそ・・・」
敬礼で挨拶をしてくれたので、こちらも会釈を返す。
エレベーターへ乗り込んで来ると、白い手袋を嵌めた指先が回数ボタンを押した。
「随分と疲れが溜まっていらっしゃるんじゃないですか? なんだか顔色が悪いですよ。せっかくのハンサムが台無しだ」
「はあ・・・」
適当に相槌を打つ。
何か不審に見られているのだろうか。
「寄り道なさらず、まっすぐお帰りくださいね。若いからと無理をされるのは良くない・・・今日は熱いお風呂にでもしっかりと浸かって。・・・それじゃあ、私はこれで」
「ありがとうございます」
ガードマンが3階で降りて再び俺に敬礼をして見せる。
彼の労いに礼を言った。
疲れが溜まっているのは、まあ事実だ。
だが、まっすぐに帰ったところでどうせ碌に眠ることなどできやしまい。
目を閉じると、鮮明に蘇る・・・。
すでに脳裏に染みついてしまった、忌まわしい記憶。
02
☆BL短編・読切☆へ戻る