士英館の稽古は毎週日曜日。城西(じょうさい)高等学校の体育館を借りて行われる。
週によっては隣の武道館を使えることもあるが、たいていは体育館で行われていた。
俺は3か月前の9月、この士英館に入会した。
きっかけは、大した理由じゃない。
今の会社へ入社しておよそ半年。
研修期間を終えて営業部へ配属され、ようやく仕事にも慣れてきていた。
連日の残業と、会社と自宅の往復で、何かを始めたいと思った時期だった。
できれば鈍った身体を動かしたい。
そんなときに、この道場のホームページを偶然見つけた。
まあ、よくある話なのだろう。
道具は揃えなくちゃいけないが会費は安く、姿勢が正しくなり腰への負担が軽減され、新陳代謝が活性化して肩凝り解消につながる、などというありがちな誘い文句も気にいった。
何よりストレス発散になる。
仮想敵相手ではあるが、首の皮一枚残してだの、止めを刺すだの、殺すだのという物騒な用語が飛び交うところも・・・、実は結構惹かれた。
ただし居合は礼法に五月蠅い。
稽古の時は国旗と林崎神社の掛け軸が掲げられていて、神前礼に刀礼がある。
道場へ出入りするときも、いちいち礼をする。
稽古の間は、何かにつけてすべて礼でサンドイッチされているようなものだ。
どちらかというと様式美であり、けして暴力的な世界ではない。
稽古の最後は、必ず正座の業の抜き打ち、そして刀礼、先生への礼、神前礼で締めくくる。
その後軽くミーティングをやって解散だ。
「朝倉さん」
更衣室へ向かう所で、後ろから呼びとめられた。
「やあ前波君。早いね、もう介錯やってるなんて」
「ナルミンに文句付けられっぱなしでしたけどね」
「成美ちゃんは厳しいから」
前波が恥ずかしそうに笑う。
ナルミンというのは、塾での成美の愛称のようだった。
前波は先に教え子としての成美と会っていたから、そう呼んでいるみたいだ。
「ねえ朝倉さんは、来週のお城祭り行くんですか?」
「さっき橘さんにも誘われたんだけどね、ちょっと無理だな」
「そうなんだ・・・じゃあ俺も止めようかな」
「君は行って来ればいいじゃないか」
「あっさり言ってくれますね」
前波がちょっと寂しそうに言った。
手早く着替えて、袴を畳む。
これがなかなか慣れずに四苦八苦する。
「貸してください」
横から前波が手を出してきた。
器用に畳んでくれる。
「いつも悪いね・・・」
「続けてやっていれば、すぐに慣れますよ。朝倉さん、なかなか来ないから・・・」
「そうは言ってもねぇ・・・」
「判ってます。気楽な学生とは違いますもんね・・・来週も仕事ですか?」
袴を俺に返した前波は、鞄から御刀油と布を出し、刀の手入れを始めた。
これも毎回、欠かさず前波はやっているようだ。
本身なら錆び防止のために、使用後は必ずこうして手入れが必要なものだが、模造刀の場合はあまり神経質になる必要はない。
しかし、いずれ本身を使った時の癖付けとして、模造刀といえども手入れに慣れておくことは良いことだ。
もちろん、磨いてやれば指紋が消えて刀も綺麗になる。
愛刀が光っているに越したことはない。
「まあね。取引先と商談があるんだ」
「日曜にですか? 朝倉さん、携帯会社でしたっけ」
「うん。白いキノコがマスコットで、お客様にご愛顧頂いている会社です」
後半部分を恭しく言う。
「ああ、そうなんだ。・・・じゃあ、朝倉さんとも一緒だったりするのかな」
「もちろん」
そう言うと、結構嬉しそうにしてくれた。
その後、せがまれて携帯番号を交換する。
「メアドも教えてくださいよ」
「キャリアが同じだから必要ないだろ」
携番でメールの送受信が可能だ。
俺の会社はソコモモバイル株式会社。
所属は法人営業部。
今は受け持ちの城東電機が、回線の入れ替えを検討中で、うまくいけば2000回線ほど纏めて契約がとれそうなのだ。
城東電機はうちの顧客で、先月上旬、課の先輩の二宮隆(にのみや たかし)が1500回線を新規で獲得したが、既存で持っている他社の機種がそろそろ古くなってきており、一気に全回線MNP転入させるチャンスだった。
しかしこの会社は徹底した社長のワンマン体質で、機種変更ひとつ総務の一存では動かない面があり、全ての決裁権を持つ社長はというと忙しすぎて中々会ってもらえない。
それでもしつこく二宮と日参した結果、ようやく次の日曜なら会っていいと言ってくれたのだ。
このチャンスを逃すと、またいつになるか分からない。
話を上手く持っていかないと、そのまま他社で機種変更される可能性の方が、まだまだ高いのだ。
「ねえ朝倉さん、このあと時間ありますか?」
居合刀を刀袋に収めながら前波が聞いてきた。
「べつに予定はないけど・・・」
どうせ一人暮らしだ。
「じゃあたまには飲みに行きませんか?」
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