コール音が8回鳴って、留守電アナウンスに切り替わる。
俺は絶望的な気持で電話を切った。
壁を伝うようにして静かなホテルの廊下を歩いて来た。
宿泊客の目を避けるためか、幸い鴻巣はエレベーターを降りてまで、俺を追って来ようとはしなかった。
だが、通りすがりの宿泊客が向けてきた奇異な物を見る目が、容赦なく俺に突き刺さっていた。
俺を見るな。
好奇の目を向けるな。
ようやく逃げ込んだトイレの個室。
限界だった。
ネクタイを丸めて口へ押し込むと、必死に声を潜め、鴻巣の手で一度は爆ぜた身体を己で再び慰める。
屈辱だった。
・・・・畜生っ!
それでもまだ熱が収まらない。
携帯が鳴る。
「朝倉さん?」
前波だった。
「電話くれたでしょ? どうしたの?」
「まえ・・・ば・・・」
息が乱れる。
「朝倉さん? 何かあったの・・・声が、ちょっと・・・」
畜生、聞かせたくない。
こんな俺を、彼に知られたくない。
でも自分ではもう、どうにもできない・・・・。
「俺・・・・」
なんて言えばいい。
どうすれば・・・。
「朝倉さん・・・何があったの? まだホテルにいるの? 音が反響してるけど」
「ああ・・・・・」
そのとき、要を足した誰かが水を流してトイレから出て行った。
自慰を・・・聞かれていただろうか。
「トイレにいるんだね? 何階?」
言いながら電話の向こうからは、ドアの鍵を閉めアパートの外階段を駆け降りる音が聞こえてきた。
どうやら既に、家の外へ出たようだった。
俺はフロアの表示を思い出し前波に伝えると、これから行くから待っていろと言われて、すぐに通話が切れた携帯を握りしめた。
15分ほどで前波はやって来た。
外から名前を呼ばれ、ノックされたドアを開けて目が合った瞬間の彼の顔を、俺は一生忘れられないと思う。
目を見開き、僅かに戸惑い、声を失くしていた前波。
死にたいと思った。
それでも前波は俺を抱え、引きずるようにして、トイレから連れ出してくれた。
「とりあえず俺の家に行きましょう。ここからタクシーで5分もかからないから」
5分間・・・たったそれだけの時間が、俺には十分拷問のようだった。
興奮と屈辱や羞恥と、そして快感とが綯い交ぜになった密度の濃い空間。
前波に触れられ、支えられるたび、声を聞かされるたび、甘美な官能が、むき出しの俺の神経を刺激する。
もっと触れたい。
もっと見せてほしい。
もっと聞かせてほしい。
もっと俺を・・・。
「朝倉さん」
前波に縋りつく。
スウェットの胸を握りしめた。
この生地のすぐ下にある、瑞々しく逞しい身体。
俺の名を奏でる、少し肉厚で形の良い唇。
せつなげに俺を見下ろす、黒目がちな優しい瞳。
青いジーンズに包まれた長い足、そして彼の・・・。
関節が白くなるほど強く握りしめていた俺の拳を、前波の大きな掌が優しく包み込む。
「前波・・・」
どうしよう・・・前波が・・・欲しい。
「そんな目で俺を見ないでください。すぐにでも、あなたをどうにかしたくなるから・・・」
前波の甘い声を初めて聞いたと思った次の瞬間、唇を塞がれた。
溜まらず俺は前波の肩へ腕を回し、その唇を深く貪る。
運転手が見ているとか、知っている通行人に目撃さられるかもしれないとか、そんなことを考える余裕はもうなかった。
その後タクシーを降りて、どうやって前波のアパートまで移動したのかよく覚えていない。
部屋へ着くなり俺は再び前波に抱きつき、彼に迫った。
それほど嫌がらない彼の服を剥ぎ取り、自らも裸になって、彼の身体へ跨った。
自分で彼を受入れて腰を振り、あられもない声を上げながら上り詰める。
朦朧とする意識の中で何度も彼を食らい、味わい尽くし、愛しい彼の熱さに恍惚となった。

09


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