「落ち着きましたか?」
シャワーを浴びて出てきた前波が、濡れた髪を拭きながら俺に声を掛けてきた。
少し長めの黒髪が顔と首筋に束になって垂れかかり、こうして見ると前波は結構色っぽい。
「死にたい・・・」
声が掠れていた。
喉も痛い。
俺はぐったりとした状態で浴室へ向かう彼を見送った体勢のまま、指一本その向きを変えることもなく再び彼をベッドで出迎えていた。
「朝倉さん・・・それはないでしょう? やっとあなたと結ばれた俺の立場はどうなるんですか」
「本当にすまない」
「いやまあ、・・・実際あなたは酷い目に遭ったようですし、仕方ありませんけど・・・俺も、できればこんな形じゃなく、もっとロマンティックなデートの後で、初めてあなたを抱きたかった」
「まったく申し訳ない」
「死にたい、すまない、申し訳ない・・・ですか」
前波が苦笑する。
「話してくれませんか、何があったのか・・・」
あれだけ乱れた姿を見せたあととなっては、もはや隠す理由もなく、俺は城東電機の社長と二人きりで会っていたこと、電話をしている隙に酒に何かを入れられていたらしいこと、その後、鴻巣にホテルの部屋へ連れ込まれそうになったことなど、包み隠さず正直に話した。
「自分が情けないよ」
元はと言えば一人で成果を上げようと欲を出し、結果としてこんな目に遭ったのだ。
男の自分が性欲の対象にされて、薬を入れられたとは言え、力でねじ伏せられそうになっていたことも俺を打ちのめしていた。
エレベーターの中で鴻巣に押さえつけられ、パニックに陥ったことを漠然と思いだす。
完全にトラウマになってしまった、あの記憶。
いつそうなるのかが判らず怖くて、あれ以来誰かと深い関係になることも避けてきた。
自分にはもう、セックスなんてできないと思っていた。
なのに・・・そういえば前波は平気だった。
「ある意味、俺が朝倉さんを危険に陥れたようなもんですね・・・」
「それは違う・・・ったた・・・」
焦って否定しようと身体を動かし、反動であちこちが悲鳴をあげる。
同性相手の経験がないわけではないが、久しぶりの行為はやはり身に堪えていた。
それもこれだけ激しくやったのは、多分初めてかもしれない。
「大丈夫ですか? ・・・って、これも俺のせいですね。ごめんなさい」
「ばか・・・謝るな」
気遣ってくれる前波の逞しい胸に、子猫がじゃれて繰り出すような小さいパンチを入れる。
滑稽さに前波がクスクスと笑ったが、すぐに真面目な顔になった
「でも、それって犯罪じゃないですか。警察に通報していいんじゃないですか?」
「それはできない・・・」
「取引先だから?」
「いや、そういうことじゃなくて・・・・嫌なんだ。もう、好奇の目で見られるのは」
「何かあったんですね。以前にも・・・」
話そうかどうしようか迷った。
しかしこの先、前波と付き合っていく上で、いつまたフラッシュバックが起きるかも知れないと思うと、彼にも話しておく必要があると思った。
俺はひとつ深呼吸すると、彼に打ち明ける決心をする。
俺が、前の会社をどうやって辞めたのかを。
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