翌朝、一睡も出来なかった俺が出勤すると、会社の前にパトカーが2台停まっていた。
瞬時に仁礼に何かあったと悟った。
ビルへ入るなり、刑事が二人俺に近づいてきた。
「朝倉光政さんですか・・・少しお話を伺いたいのですが」
そして俺は昨夜、仁礼が階段で足を踏み外し、運悪く壁に頭を打って亡くなったことを聞かされる。
「そうですか・・・」
昨夜聞いた衝撃音を思い出し、俺は思わず顔を顰めた。
セキュリティーシステムで俺がその時間帯まだ社内にいたことが判ったため、話を聞きたいというわけだった。
「ご遺体からはかなりの量のアルコールが検出されておりますし、現場に争った形跡もありませんから、おそらく・・・・」
刑事の話はとくに俺を疑っていることを示すものではなかったが、だからといって、けして気持のいい話ではない。

朝倉君・・・。

耳の奥に、昨夜聞いた仁礼の低い囁きが蘇る。
俺は仁礼の最期の言葉を聞いた可能性が高いのだ。
そして、もしかしたら見殺しにした。
ストライプスーツが薄暗い階段の踊り場で、力なく横たわっている姿を思い浮かべそうになり、思わず眉間に皺を寄せる。
喉からこみあげて来るものを、必死で堪えた。
「朝倉さん、大丈夫ですか?」
若い刑事が気遣ってくれる。
彼に平気だと返し、俺は知っていることを話し始めた。
しかし、どこまで話そうかと迷う。
洗いざらい話すしかないのだろうか。
「昨夜は残業で、私は10時過ぎに・・・」
「お話があります」
突然、知った女の声に話を遮られた。
「あなたは?」
「ウィルモバイルカスタマーセンター審査課に勤務しております、派遣の森村碧と申します」
「はあ、審査課の派遣社員ですか・・・何か?」
正直、こんなときに何だと思った。
森村は今月いっぱいで契約が切れるはずだ。
彼女が割り込んで来たおかげで、出勤途中の者が次々と足を止めてその場に立ち止り、俺達に興味を持ち始めていた。
刑事が顔馴染みの同僚を二人も引きとめていては、それも仕方がないだろう。
知っている顔がどんどん増えてゆき、俺は居心地の悪さを拭えない。
「まず、朝倉さんは被害者だということご説明したいと思います」
きっぱりと言い切った森村の高らかな声が、吹き抜けの玄関ホールに凛と響き渡る。
「・・・・・」
俺は絶句した。
何を言い出す気なんだ・・・。
「それはどういうことですか?」
若い刑事の目の色が変わった。
「仁礼センター長は多くの女子社員にセクハラをしていました。私もかつて被害を受けた一人です」
そういえば審査課へ配属になった頃、彼女が給湯室で仁礼に言い寄られていたという話を聞いたことがある。
あの頃は今ほど彼女のミスが多くはなかったかし、被害を受けていた女子社員の話は他にも聞いていたから、俺もすっかり忘れていた。
しかし、まもなく仁礼は俺を標的にするようになって、その頃から彼女がミスを多発するようになり・・・。
何かがひかかった。
「はあ、あなたが仁礼センター長に・・・」
「そうです。しかし一番の被害者はここにいる朝倉さんでした」
「森村さんっ・・・」
「仁礼センター長は3カ月前から奥さんと別居されていました。原因は私です。センター長の子を妊娠したので」
「それは、また・・・なんというか」
若い刑事が気不味そうに言う。
俺も初耳だった。
「でも、その頃私のマンションに転がり込んでいたセンター長から、私はある日突然別れ話を切り出されたんですよ。子供も産んでくれるなと・・・彼、好きな人がいたんです」
「まさか、それがこちらの・・・?」
「ええ。審査課一の美人社員・・・朝倉さんのことです」
立ち止っていた正社員達や派遣社員達が俄かにざわつき始める。
「もっとも朝倉さんにとってはいい迷惑ですよね。好きでもない、まして同姓からそんな気持ちを寄せられても・・・たとえば残業中に身体を触られたり、エレベーターでキスをされそうになったり、業務端末のメールで夜の相手を迫られたり・・・しかも相手は上司ですから、ろくに抵抗が出来るわけもないですし・・・」
俺は顔から火が出るかと思った。
待ってくれ・・・これではいい晒し物じゃないか。
刑事達が気不味そうに俺を見る。
「昨夜は審査課の橋詰さんの送別会でした。朝倉さんととても仲の良い男性社員さんです」
誤解を招く言い方だった。
ふたたび同僚達がザワザワとする。
やめろ・・・やめてくれ。
橋詰さんのことまでそんな風に言うな。
俺はようやく、これまで偶然だと思っていた全ての森村のミスの積み重ねが、俺を陥れるための小さな彼女の仕返しだったのかも知れない可能性に気が付いた。
一方的で、卑怯な。
「聞いております。この近くのショッピングモール内にある居酒屋レストランで行われたんですよね」
「ええ。その途中でセンター長は退席されました」
「そのようですね。そしてここに来られて事故に遭われた」
「昨夜、朝倉さんが残業なさっていたことはセンター長も存じていらっしゃったことです。でもセンター長がどういう目的でここへ戻られたのか、そこまでセンター長が思いつめていて、誰も居ない会社で朝倉さんに何をしようと思っていらっしゃったのか・・・そこまでは私も想像できていませんでした。気付いていたら、何がなんでも止めたのに」
「あの・・・いえ、誰も森村さんにそんな責任があるとは・・・」
刑事もさすがに彼女のわざとらしい演技に辟易しはじめていた。
彼女はけして責任を感じて言っているわけではない。
悪戯に知っていることを暴露して、俺に恥をかかせようとしているだけだ。
「私が付いて来ていたら、センター長が朝倉さんをレイプしようとしたり、逃げ惑う朝倉さんと揉み合いになって、階段から足を踏み外すこともなかった・・・」
「違うっ・・・!」
「もう結構です森村さん」
溜まらず否定した俺の声は、年配の刑事の制止によって掻き消された。
「現場に争った形跡はありませんから、あなたが心配なさっているような事実はない。しかしあなたの話は少々聞き逃すことができませんな。場合によっては、そこまで逐一と仁礼センター長の行動をよくご存知であり、第三者とは思えないあなたのアリバイ証明が必要となります。申し訳ございませんが、このまま署までご同行願えますかな、森村碧さん」
「ええ、喜んで」
動揺一つ見せずに微笑みすら浮かべながら森村はそう返事をすると、刑事二人に囲まれてパトカーへ乗り込んだ。
立ち去り際刑事が、俺にも後日話を聞き直すことがあるかもしれないと言い残したが、結局いつまで経っても連絡は来なかった。

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