「朝倉、ちょっと・・・」
営業部二課の直属の上司である足利峯一(あしかが みねいち)に呼び出された。
デスクへ向かうが、足利は部屋を出て行ったのでそのまま彼を追いかけた。
やばい話だと直感で理解した。
喫煙室に誰も居ないことを確認すると、足利は俺にドアを閉めさせた。
「結論から言う。悪いが今日中に城東電機へ謝罪に行って欲しい」
「えっ・・・・」
「朝一で社長からクレームが入った。営業マンに色目を使われて気分が悪かったと言っている」
「そんな・・・・!」
冗談じゃないと思った。
足利は一旦口を閉じて俺が続きを話すのを待ってくれたが、俺にはそれ以上を言う勇気はなかった。
諦めたように一つ溜息を吐くと、足利が話を続けた。
「朝倉、商談は流れたんじゃなかったのか?」
「日曜になって鴻巣社長から今日中に会いたいと携帯に連絡が入りました。これを逃すと、またいつになるか判らないから、君だけでも来てほしいと・・・」
「一人で会いに行ったのか」
「はい」
「どうして二宮を連れて行かなかった」
「それは・・・だって、二宮さん帰省してるって」
「アイツの実家は県内だ。電話しなかったのか」
「・・・・・・」
迂闊だったと思った。
外部の人間である鴻巣の話を鵜呑みにして、自分で確かめようとしていなかった。
県内なら二宮の性格から察して、予定を切り上げて付いてきてくれた可能性が高いし、そもそも鴻巣が先に電話を入れて断られたという話も信憑性が薄くなる。
というより、その後の展開から言って、話そのものが俺をおびき出す為の嘘だったということなのだろう。
それが判っていれば、俺だって行ったりしなかった。
今更悔んでもどうにもならないが、あのとき電話ひとつかけていれば、起きずに済んだトラブルだったかもしれないのだ。
そんな単純な確認を疎かにして、自分一人で契約を纏めようと思っていたなんて、馬鹿さ加減に笑えるどころか泣けてくる。
「どこで会っていた」
「海浜公園のホテルドルフィンにあるピナコラーダというラウンジです」
「指定したのはお前か」
「鴻巣社長です」
「・・・可笑しいとは思わなかったのか」
「それは・・・・」
「朝倉、お前にも責任はあるぞ。お前、前の会社で上司のセクハラ被害に遭っていた筈だろ」
「どうして、それを・・・」
「面接のときに退社理由を聞かれて言い淀んでいたから、人事が調査したらしい。お前は被害者だったし、成績も優秀だったから、とくに問題にはならなかったそうだ。だが、逆にそういう過去があるから接し方に気をつけてやってくれと、配属時に俺に注文が入っていたんだよ」
そうだったのか・・・俺は人事と足利の気遣いに感謝した。
同時に間抜けな自分にとことん腹が立った。
「こんなことは言いたくないがな・・・、お前にそのつもりはなくても、相手から見ればそう見えるってこともあるだろ・・・案外そのセクハラ上司も、同じようなもんだったんじゃないのか?」
「ちがっ・・・」
否定しようとして、しきれないと思った。
森村碧は、仁礼に好きな人がいたから、その為に彼女は捨てられたと言っていたではないか。
無論、その話の真偽は依然不明だが、だからと言って全てが妄想だとも言いきれない。
少なくとも、彼女は報われない恋をし、結果として歪んだ感情に囚われた。
人の思いは単純なものではない。
俺が望まないとしても、突然感情を激しくぶつけられることはある。
卑怯なものに思えても、それが彼の最後の手段だったという可能性もある。
仁礼は俺を冷たいと言った。
彼を追い詰めた責任が、果たして俺になかったと言いきれるだろうか。
あるいは、あそこまでつけ入る隙を与えた原因が、俺には全くなかったのだろうか。
では鴻巣はどうだ。
仁礼とはもちろん事情が違うが、しかし、ここに至る経過は間違いなく俺にも非がある。
薬を使われた以上、彼に自己弁護をする余地はないし、聞き入れるつもりもない。
だが俺は事件を回避できる局面でミスをしたし、隙があった。
俺は取引先の社長とプライベートで二人きりで会って、ラウンジで酔い潰れ、相手にしな垂れかかって、ホテルの部屋へ向かった。
たとえばあのとき、俺が助けを求めようとしたラウンジのウェイターに聞けば、きっとそんな返事が返って来るだろう。
その席で俺に色目を使われたのだと鴻巣に言われれば、真実を明かさない限り、俺が否定しても聞き入れてもらえまい。
その真実も、一体誰が立証してくれる。
知っているのは鴻巣と前波ぐらいだ。
そもそも俺に、事実を打ち明ける勇気はない。
話すぐらいなら、甘んじて鴻巣の言い分を聞き入れて謝罪したほうがましだ。
そしてそれは何を意味する?
言い分を認めて謝罪し、改めて要求を受け入れ・・・再び身体を求められる可能性だってなくはないだろう。
それが出来ないとなると・・・また辞めることになるのだろうか。
「先方は、お前に謝罪を求めている」
足利はもう一度言った。
「俺は・・・・」
「事実関係はこの際どうでもいい。どうせ言う気もないんだろう?」
「課長・・・」
足利はそれとなく察してくれていた。
目頭が熱くなる。
悔しい。
情けない。
「今日中にという話だが、俺はそこまで強制をする気はない・・・だが連絡だけでも入れておけ」
「はい・・・・城東電機へ謝罪に行ってきます」
俺は諦めた。
喫煙室から出ようとする。
「朝倉」
「はい・・・」
「謝罪だぞ。あくまで謝罪だけでいい」
「あの・・・」
足利の言い方が気になった。
「他は何も応じるな。何を言われてもノーと言い通せ」
「課長・・・?」
どういう意味だ。
足利はどこまで気付いている?
そうは言っても、・・・城東電機はうちの上得意だ。
こちらが謝罪に行った以上、非を認めたことになる。
そこで変につっぱねれば、余計に話はややこしくなるではないか。
既存の契約まで打ち切られる可能性だって高くなる。
「あとのことは気にするな。俺が責任を持つ」
足利はスーツの内ポケットから取り出した煙草に火を付けると、まだ1、2本残っていたケースごとグシャリと手の中で握りつぶした。
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