城東電機は臨海公園駅前の繁華街に、13階建の本社ビルを持っている。 あとのことは気にするな。俺が責任を持つ。 正直に言って心強い。
道路を挟んで目の前には5階建ての1号店の店舗があり、その1階にはソコモモバイルやライバル会社のテナントも入っている。
本社は昨年城西地区から移転して建て替えられたばかりの、真新しいガラス張りのビルディングだった。
自動ドアから広々とした玄関ホールへ入ると、丸いカウンターに座った二人の受付嬢が綺麗な声で挨拶をしてくれた。
「13時に鴻巣社長と約束をしている、ソコモモバイル株式会社の朝倉です」
声をかけると受付嬢の一人が内線で確認を入れて、すぐに制服の女子社員が上から降りてきた。
「ご案内いたします」
エレベーターホールへ誘導される。
「鴻巣は只今打ち合わせ中ですが、すぐに参ると申しております」
「畏まりました」
社長室のある最上階でエレベーターを降りる。
いつも商談に使っていた、パーテーションで仕切られているミーティングルームは12階だ。
今日通された部屋はちゃんとした応接室だった。
「お入りください」
「失礼します」
彼女は軽くドアをノックして部屋が空いていることを念の為に確認すると、俺を先に部屋へ入れる。
そして茶色い革張りのソファへ座るように示された。
「このまま暫くお待ちください」
「ありがとうございます」
俺を残して彼女が出て行った。
この部屋にいるのは俺一人。
先方の指示は同行者まで禁じていた。
そして、いつものパーテーションのミーティングルームではないということは・・・さしずめ、会話を他の社員に聞かれたくない・・・ということだろうか。
足利は俺に謝罪以外はするなと言った。
彼は俺と鴻巣の間で起きたトラブルに、概ね気付いており、鴻巣から連絡が入った際に、自分も同行すると伝えたが、先方から断られたと打ち明けた。
大事な取引先とトラブルがあったなら、上司が同行することは普通であろうが、敢えて鴻巣は断った。
それを踏まえての足利のあの話だったというわけだ。
あくまで謝罪だけすればいい。
だが、自分の軽率さが招いたことだというのに、そこへ甘えるだけで本当にいいのだろうかとも思う。
ふと、壁にかけられたインテリアに目が行った。
「あの掛け軸・・・」
林崎居合明神。
なぜ、こんなものがここに?
俺はふと、前波の話を思い出す。
そういえば、名前に聞き覚えがあると言っていたな・・・。
「失礼いたします」
ノックが聞こえ、女子社員がお茶を持って入って来た。
部屋へ案内してくれた女性だった。
「ありがとうございます・・・。あの、ひとつ聞いていいですか?」
俺は部屋の奥に掲げられた、掛け軸について尋ねてみた。
「ああ、あれですか? 会長のものですよ。会長は毎年、山形県村山市にある居合神社に参拝されていて、あれは確か・・・去年行かれたときに、買ってこられたんじゃなかったかしら・・・他にも、日本刀のコレクションとか凄いですよ。8階に十畳ぐらいのコレクションルームがあって、壁いっぱいに日本刀が展示してあるんです・・・よろしければ、この後ご覧になりますか? きっと会長自ら、喜んでご案内さしあげると思いますよ・・・あっ・・・すいません」
ノックもなしに入って来た男へ女子社員は頭を深く下げると、そそくさと脇を通って出て行った。
「お忙しいところ、お時間をとらせまして申し訳ございません、鴻巣社長」
俺は立ち上がると鴻巣に深く頭を下げた。
「いや、こちらこそ待たせてすまないね。かけてくれたまえ」
鴻巣が奥のソファへ深く腰を下ろし、俺へも勧めてくる。
洒落者の彼の髪が少し乱れており、疲れた顔をしていた。
待たされたのはひょっとして俺への仕返しかと少し思いかけていたが、どうやら本当にミーティング中だったのだろう。
「昨晩は申し訳ございませんでした」
俺は立ったまま再び深く頭を下げて、自分の非礼を詫びた。
「なるほど・・・本当に謝罪に来たわけだ。ここに来たということは、当然それなりの覚悟があるんだろうね」
「もちろんです。今回は御社にお世話になっている会社の担当者として、社長に不快な思いをさせてしまったことに対し、心よりお詫び申し上げたいと思って参りました。社長には貴重なお時間を割いていただき、せっかくお会いして話をさせて頂いたにもかかわらず、あのような失礼を行ってしまい、非常に反省しております」
「ほう。それでは君は自分の粗相に対し、どのように誠意を見せる? ・・・私と寝るかね」
俺は反射的に拳を握り締めると、怒りが声に出ぬよう必死で堪えた。
「・・・それはできません」
「話にならないな・・・だいたい誘ったのは君だろ。煽情的な君の誘惑に乗った私は恥をかかされて終わりというわけか。中途半端な枕営業だな。それとも客に気を持たせて股は開かず、金だけどんどん使わせるつもりか? まるで水商売だ。ソコモモバイルはそんな営業をする会社なのか」
握った拳が震える。
「あなたに誤解をさせたのだとしたら、それは私に落ち度があることでしょうから謝罪致します。自分に落ち度があった以上、あなたにされたことをここで責めようとは思いませんし、それであなたの気が済むのなら、どんな侮辱も受け止めます。ですが、あなたの誘いに乗る気はありません」
頭を挙げずに、一気に言い切った。
顔を見たら・・・殴ってしまいそうだった。
「それが君の返事か」
「はい」
「せっかく穏便にすませてやろうと思ったのに、君の方からぶち壊すというわけか。当然、既存の契約を全て引き上げられるぐらいの覚悟はしてきたんだろうが、そうなると君とコンビを組んでいた二宮君だけでなく、君を気遣って謝罪に同行をすると言っていた足利課長にも迷惑がかかるだろう。君は彼らにどうやって詫びるつもりなのだ? それとも、この際、自分の正当性を社内で証明してみるかね。・・・酒に媚薬を入れられて欲情し、私に身体を預けてエレベーターで射精してしまいましたと。・・・そうだな、昨日履いていた下着でも持っていけば信用してくれるかも知れないぞ。私にしごかれて随分気持ちよさそうにイッていたからな・・・まあ洗濯籠にまだ残っているならの話だが」
俺は震える拳を握り締め、無言で耐えた。
怒りで頬が紅潮してゆく。
・・・挑発に乗ってはいけない。
「仰ることがそれだけでしたら・・・」
こんなところに、もう用はない。
帰社のために退席を告げようと思った俺に対し、再び鴻巣が言葉を重ねた。
「ひとつ提案しよう。1カ月でいい。利用料金をサービスしてくれないだろうか?」
今までの話は何だったのかと思うほど、ノーマルな申し出だった。
「御社の契約回線を・・・ですか?」
ようやく俺は顔を上げる。
「その代わりに、今回の件については完全に目を瞑ろう。1カ月分、全ての回線を無料にしてくれるだけでいい。もちろん契約もそのまま続行だ」
「しかし、それは私の一存では・・・」
城東電機の回線は1500ある。
1カ月とはいえ、全回線の利用料金を無料にするとなると、基本料だけでも相当な金額だ。
「無料か解約か、どちらかだ」
「少し・・・時間をください」
ひとまず、話を持ちかえるしかない。
「いいだろう」
会社へ戻った俺は、外出中に開かれていたという幹部会の報告を足利から聞かされた。
当分、自宅謹慎ということだった。
俺は鴻巣からの提案を報告する。
「あれほど謝罪だけして来いと言ったのに、お前は・・・」
再び喫煙室へ俺を呼び出し、足利は言った。
「ご迷惑をおかけして本当にすいません」
「利用料金1カ月分のサービスか・・・まあ妥当な条件提示ではあるが、しかし城東電機となると洒落にならない金額だ。そこそこ大きな会社とはいえ、うちでは実績のない顧客だし、・・・ちょっと匂うな。とりあえず調査して返答ということになるだろう。お前は家に帰って大人しくしてろ」
「畏まりました」
「・・・無事に帰って来たことだけは褒めてやる」
だが帰宅後すぐに二宮から連絡が入り、足利が俺に対する監督責任で降格されそうになっていることを知らされた。
そして足利が俺に、その話を黙っていたこともショックだった。
「課長も言ってたと思うが、今回の話はちょっと胡散臭いぞ・・・今、課長に頼まれて城東電機について調べてるから、何か判ったら逐一知らせてやる。だからお前はあまり気にするなよ。担当者の俺にも責任はあるんだ」
俺は軽率な行動により、自分だけでなく、俺の面倒を見てくれている人達にまで迷惑をかけてしまったことを、心から後悔した。
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