『Dining&Bar−D’alt Vila』。
グランドイースタンホテルの地下レストラン街を突き進むと、突き当りにある実に目立つ店構えがそこだった。
まるで城門を思わせる石造りの壁。
壁面に嵌めこまれた細長い金属プレートに、さり気無く店名が書かれている、不釣り合いなほど地味な看板。
重厚なアーチ型の門を潜り抜けるとさらに石壁の通路が続き、さながらライトアップされた夜の城砦へ迷い込んだような演出だ。
店の名前は、地中海のイビサ島にある城壁に囲まれた旧市街ダルトビラからとっているのだろうが、とりあえず入り口だけなら雰囲気満点。
店内はかなり広く、天井から大量の赤や紫の花が石壁に垂れ下がっていたり、反対側には石造りの手摺があって、階下に広がる城砦都市に向けて大砲が飛び出していたりと、ホームページで見た印象よりもずっと遊び心に溢れている。
ここまで来ると、テーマパーク染みていると言っても良いかも知れない。
それほど長くはない通路を抜けてメインダイニングへ。
ここは打って変わって、白が基調の明るい作りだ。
バーカウンターのまん中には太い円柱が立っていて、天井に向けて緩やかなカーブを描き天井からは花が咲いているかのようにカラフルなチューリップランプが、弧を描いて幾つも長く、金属の首を伸ばしている。
足元は茶色い床張りで、テーブルやベンチは白。
壁は白を基調に、あちこちにカラフルなタイルの装飾があって、沢山置いてある観葉植物はサボテンばかり。
入り口が夜のイメージなら、ここはいかにも昼の地中海リゾートといった感じで、開放された明るい雰囲気だ。
お仕着せを着た店員に声をかけ、予約をしておいた個室へ案内してもらう。
石階段を降りてゆき、地下二階へ。
そこはふたたび夜の城砦都市で、突き当りの石壁を見上げると、入り口で見た大砲がこちらを狙っていた。
石壁や石畳を照らしている薄明るいオレンジ色の照明を頼りに先へ進む。
左右に現れるいくつかの木の扉。
天井を照らした蒼い間接照明は、ホームページで見た写真のもの。
雲のない鮮やかな蒼の闇と、オレンジに照らされた石壁・・・ダルトビラの宵闇とはこんな感じなのだろうか。
ここがホテルのダイニングバーだということを忘れそうだった。
「こちらへどうぞ」
一番奥の部屋の手前で立ち止まり、ウェイターが扉を開ける。
中は意外と普通だった。
「ありがとうございます」
広さは八畳ぐらいで、四方は白壁。
L字型のソファはクリーム色で、クッションが4つ置かれている。
白いテーブルにはタイルの装飾があり、壁際に置かれた観葉植物は可愛らしいサボテンの植木鉢。
メインダイニングのイメージに近いが、オレンジの間接照明は薄暗く、夜のイメージを残している。
「失礼します」
ノックが聞こえ、別のウェイターがメニューと水を運び、続いてテーブルに赤い蝋燭を置いて火を灯していった。
蝋燭の炎が、壁にゆらゆらと不安定な影を映し出す。
閉じられた空間。
急に緊張と不安を感じた。
しばらくして、再び扉をノックされる。
ようやく今夜の主賓が登場した。
前回ほどではないものの、それでも約束の時間を15分過ぎている。
「遅れてすまないね、朝倉君」
「こちらこそ、わざわざご足労頂きまして、申し訳ございません」
立ち上がって挨拶する。
「ほう。・・・今日はビジネススーツじゃないんだな」
「こういった場ですから。・・・それに、今夜は商談ではなく、私が個人的に鴻巣社長をご招待さしあげたのだと、お考えください」
言いながら、元々座っていた位置よりやや右へ・・・鴻巣が座ったすぐ隣へ腰を下ろした。
「なるほど」
すぐに舐めまわすような視線が返って来る。
その視線が胸元で止められた。
「何をお召し上がりになりますか? お食事をなさるならコースもありますが、アラカルトメニューも酒に合う料理を数多く揃えているようですよ」
「君に任せよう」
ウェイターを呼び、ハモンセラーノや赤ピーマンのオイル漬けといったスペイン風のタパスを何皿かと、ワインをボトルでオーダーする。
ウェイターが立ち去るなり、腰へ手が回って来た。
ベルトから出していたベルベットのシャツの裾から、無遠慮な指先が侵入してくる。
「社長・・・まずは、お詫びをさせてください」
払い除けたい気持をグッと我慢して、さり気無く身体の向きを変えながら注意を引く。
「詫びなら電話で既に聞いた。私を呼び出した以上は前向きに検討してくれたということなのだろう。・・・それに、こんな場所を選んだということは、あっちの方もそのつもりで来たということなのかな? 随分と色っぽい格好をしている・・・」
顔が近づいてきて首筋に生温かい息がかかる。
嫌悪感にざわざわと鳥肌が立った。
まだだ・・・もう少し粘らないといけない。
「お話の件はすでに足利を通じて社へ報告を済ませてあります。先日は本当に申し訳ございませんでした。・・・今日は精いっぱいサービスをさせて頂きますので、私の非礼をどうかお許しください」
気取られないように注意しながら身を捩ると、今度は腰に回されていた手と反対側の手が胸へ伸びてきて、指先が襟元のボタンを一つ外す。
元々二つボタンを開けていた胸が、殆ど肌蹴た。
「まあ、利用料金の件がダメだと言うのなら契約を打ち切るまでだが・・・それはさておくとして、今夜はどういうサービスなのか楽しみにしているぞ」
次の瞬間ドアがまたノックされ、案内してくれたウェイターが再び入って来た。
だが鴻巣は俺から離れることはなく、ウェイターもまた、淡々と酒や料理をテーブルへ並べて、すぐに立ち去る。
個室に入る客には、こういう目的の者が少なくないということなのだろう。
「社長、まずは乾杯しましょう」
酒を注ぎ、胸へかけられていた手にグラスを持たせた。
しかしアルコールが入ると、鴻巣はますます遠慮がなくなった。
「ビジネススーツを着こんだストイックな君も魅力的だったが、今日は随分と煽情的だ・・・」
首筋に顔を埋められ、掌が胸元をまさぐる。
またひとつボタンを外そうとしていた手に、俺はやむを得ず自分の手をかけた。
「お気に召していただけましたか?」
「もちろん。・・・それになんだか良い香りがするな。この間はこんな匂いはしなかった」
「香水を嫌うお客様もいらっしゃいますから、ビジネスの場では付けません。しかし、先日社長が香水をつけていらしたので、こういうのもきっとお好きかと・・・」
「ああ気に入った・・・君をもっと乱れさせて、その身体から甘い香りを立ち昇らせてみたくなる」
「社長・・・」
胸から徐々に下へと移動した手が、今度は腿の表面を撫ではじめる。
まずい・・・、早く決着をつけないと。
「それにしても、一体どういう風の吹きまわしなんだ? この間は酒に媚薬を盛られたにもかかわらず、気丈にも私を突き飛ばして逃げ出したというのに」
俺は息を呑んだ。
やはり警戒されている。
「お恥ずかしながら、こういうことに慣れていなくて・・・先日は社長があまりに大胆で、驚いてしまいました」
鴻巣がニヤリと笑った。
「なるほど。ところが身体は快感が忘れられず、もう一度私にしてほしいというわけか。それにしても、あれから君はいったいどうしたんだ? 一度私にしごき出されたぐらいじゃ収まらなかっただろう」
「それは・・・」
「自分でやったのか? それとも、どこかで男を捕まえたか?」
鴻巣の手が腿の内側へ滑り込む。
「あの・・・」
さすがに俺は腰を引いた。
「まだ恥ずかしいのか? こんな真似までして私を誘いだし、露出の多い服を着て迫り・・・一体何が目的だ」
気付かれている・・・!?
「社長・・・」
「言いたまえ」
仕方がない・・・。
「社長・・・ここでまた、あの時のように乱れてしまっては、うっかりワインを零し、社長のスーツを汚してしまうかもしれません。でも・・・私はもう、今にもどうにかなってしまいそうで、・・・怖いのです」
言いながら鴻巣に身体をもたれさせ掛ける。
腿で遊んでいた手をそっと掴み、再び自分の胸へと導いて、鴻巣を上目づかいに熱っぽく見つめた。
「朝倉君」
鴻巣の顔が降りて来る。
口付けをされそうになる瞬間で交わし、今度はその首筋へ顔を寄せて吐息混じりに続けた。
「ほら・・・こんなにドキドキしています。このうえあんなところを触られたりしたら、もう我慢ができませんよ・・・また私にエレベーターの中のような恥をかかせるおつもりですか?」
襟元から導いた鴻巣の掌が直に左胸へ置かれる。
心音を感じるまでの間は俺の手の中でじっとしていた掌は、すぐに突起を探り当て、それを指先で弄び始めた。
身体が思わず跳ねあがる。
昨夜、前波にされた行為を思い出し、反応しそうになって吐いた息に少し声が混じってしまった。
駄目だ・・・落ち着け。
「なるほど。薬を使われなくても、すでに君のいやらしい身体はちゃんと興奮しているみたいだな。・・・それなら、今度は私の物を良くしてもらおう」
そう言って鴻巣が自分でベルトを外し、ファスナーを下ろした。
「あの・・・」
トランクスの前がすでに膨らんでいる。
「どうした? いくらなんでも、この状況で何をして良いか判らないということはないだろう?」
「ですが、・・・ここではちょっと・・・」
どう交わせばいい。
いや、自分から誘っておいて断れば不自然だろうか。
「フェラチオを知らないわけじゃあるまい? それとも、あくまで部屋へ行くまで何もしないつもりか?」
来た!
「どうかここでは勘弁して頂けないでしょうか」
「そうか・・・判った。そんなに言うなら部屋へ移動しよう」
そう言って鴻巣が服を直して立ち上がる。
吉と出るか凶と出るか。
「それでは、私はお部屋をとって参ります」
先に個室を出ようとする俺の肘が、後ろから強く掴まれた。
「その必要はない」
鴻巣がジャケットのポケットから音を立てて鍵を取り出す。
「社長?」
部屋番号が刻印された金属プレートが付いている、古いタイプのホテルの部屋の鍵。
ホテルドルフィンはカードキーだからこんなに判り易い音は立てないが、老舗のグランドイースタンのものは、いかにもそれらしい重厚なプレートが鍵に付けられている。
前波がグランドイースタンにこだわった理由がそれだ。
べつに鍵が音を立ててくれなくても、会話の流れで鴻巣が先に俺をホテルの部屋へ誘ったことが判れば十分だが、鴻巣が予め部屋を予約していた事実を思わせる証拠が、沢山あるに越したことはない。
グランドイースタンの重厚な鍵は、それを音で演出する為に相応しかった。
鍵が鴻巣の掌で面白いほどガチャガチャと音を立て続けている。
ここまで来れば、もう俺の粘り勝ちだ。
俺は一人静かにほくそ笑む。
同時に入り口の扉が開いた。
「朝倉さん、もう結構ですよ。さっさとそいつから離れてください」。
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