翌日の午後、俺は4日ぶりに出社した。 「残業かと思えば、そうではなかったようですね」
午前中のうちに鴻巣がソコモモバイルへ来社し、約束通りホテルドルフィンの件について謝罪をしてくれた。
内容としては全面的に鴻巣氏の勘違いであり、親身になって商談を進める俺の熱意を誤解したものだと、そういう言い方だったらしい。
足利と同席していた部長は、そのような誤解が起きたこと自体が見過ごせないと、詳細について聞きたがったが、鴻巣が場合によっては既存契約を打ち切ると言っていた話から、この機にすべての回線をソコモモバイルで契約したい、さらに今後、新しい事業展開の中で増えるであろう新規の契約もソコモで考えて行きたいと急に180度好転したことで、有耶無耶になったそうだ。
「驚いたぞ。その後はお前のことを手放しで褒めまくっていた。あの営業マンは伸びるだの、実に誠実な青年で、御社の宝だの・・・いい加減不自然過ぎて気味が悪かったぐらいだ。一体全体、どういう手を使ったのか知らないが・・・」
ともあれ、突然の大きな契約成立で、辞表覚悟の謹慎から一転、俺にはボーナスが出るのだそうだ。
その後俺は二宮にも頭を下げると、心配をかけた詫びに飲みに付き合えと誘われた。
「本当にこれで良かったのか? やろうと思えば警察だって動かせたかも知れないんだぞ」
「二宮さんには色々とご迷惑をおかけしてすいませんでした」
座敷の向かいの席で俺は頭をさげた。
「馬鹿野郎・・・やめろよ、ったく。お前がそれで構わないって言うんなら、まあいい。課長も深くはツッコんで来なかったしな。・・・けど、どうなるか本当に心配したぞ。今度から無茶な真似はすんなよ。お前は、その・・・ちょっと危なっかしいからな」
そう言いながら二宮は目を逸らす。
目元がちょっと赤い。
「はい。これからも、面倒かけると思いますが、俺の事、宜しくお願いしますね」
「そういうことを迂闊に言うな。勘違いするから」
ほろ酔い気分で家路に向かうと、うちの前に男が立っていた。
「前波・・・」
「ああ、二宮さんと飲んでたんだ。入れよ」
鍵を開けて前波を中へ促した。
俺に付いて入った前波を居間へ残し、俺はジャケットだけ脱ぐとキッチンへ入った。
「二宮さん・・・ああ、朝倉さんの先輩さんでしたっけ?」
「うん、今回はあの人にも色々迷惑かけたからな・・・って、おい前波?」
カウンターでお茶の準備をしていた俺は、いつのまにか入って来た前波に後ろから抱きつかれて驚く。
「まったく・・・あなたはまだ懲りないんですか? 昨日は未遂に終わったとはいえ、鴻巣社長にあれだけのことをされていながら、また不用心にも他の男と二人で酒を酌み交わすなんて」
「お前なあ・・・変な勘違いすんなよ。二宮さんはただの先輩で、お前や鴻巣社長とはわけが違う。半年前にちゃんと結婚して新婚ホヤホヤのラブラブ状態だし、だいたい皆が皆お前や鴻巣社長みたいに、男の俺を・・・ちょっ、なにっ・・・」
「俺が昨日どんな気持ちでいたか判りますか?」
前波が覆いかぶさって来た。
「痛い・・・放せって、まえっ・・・」
身体を仰向けに返されて背中をカウンターへ押しつけられ、その上から前波が体重を掛けてくる。
せっかく用意していた茶筒が台から転がり落ちた。
グラム3000円の玉露が床にこぼれてしまう。
「あなたを嗾けて鴻巣社長を誘惑させた以上、迂闊に出てゆくこともできない。でもイヤホンから聞こえるあなたの甘えるような声、鴻巣社長の口説き文句、そしてお二人が立てる、今にも事へ及びそうな衣擦れの音・・・挙句の果てはここを直に触られて、あなたは喘いでさえいましたよね・・・」
「や・・・めっ・・・んっ」
前波が指で胸の突起を弄りだす。
俺は溜まらず身を捩ろうとするが、上から押さえる力が強くて動けない。
触られた箇所がジンジンと熱を持ち始めていた。
「どうでしたか? 鴻巣社長に弄られて、本当はすごく感じていたんじゃないんですか・・・薬を使われなくても、あなたの身体はあさましく快感を貪ろうとしていた・・・」
指先で転がされ、摘ままれ、爪で弾かれて・・・シャツの上から与えられた刺激にさえその場所は反応し、恐らく薄い布を持ちあげてくっきりと形を表していたことだろう。
「やめて・・・くれ・・・前波・・・」
浴びせられている言葉は紛れもない罵倒で言いがかり。
そしてまだ服一枚脱がされていないのに、俺の身体は布越しの愛撫に屈し、さらなる快感を求めそうになっていた。
「他の男に触られているあなたの、感じて乱れそうな艶めいた声・・・俺は聞いていて気が狂いそうでしたよ・・・そして」
「前波・・・何すっ・・・」
前波が別の手で、俺の前をいきなり鷲掴みにしてきた。
「あなたは、またしてもここを触られそうになっていましたよね・・・そして社長に口淫を求められていた」
「まえ・・・ばっ・・・やめて・・・くれ」
長い指が俺の物に絡みつき、動き始める。
「どうなんです・・・・本当は、少しは興奮していたんでしょう?」
「そんなっ・・・わけ・・・ないっ」
たちまち血が一カ所へ集中し始めた。
「違うって言いきれるんですか? ・・・けれど実際にこうされているあなたの身体は、とても煽情的だ・・・こんないやらしい姿を見せられて、あのときは感じていないなんて言われても、そうそう信じられませんよ」
「ばかっ・・・おまえ・・・だ・・・ら・・・」
お前だからだ・・・そう言おうとしたが、上手く言葉にならない。
前波だからこんなに感じるし求めもする・・・どうしたら信じてくれる?
だが、前波の言いがかりは収まらなかった。
「あなたの先輩だって、怪しいものですよ。結婚しているなんて言い訳になりません。現に結婚してあんなに大きな娘がいる鴻巣社長は、あなたにこんな真似をした。ここを・・・こうしてきたんでしょう?」
「まえっ・・・だめっ、やめっ・・・あぁっ!」
忌まわしい記憶をわざわざ呼び起すような言葉を囁かれ、前を強く刺激されると、俺は派手に痙攣しながら仰け反って、あっけなく達した。
弾けた物が前波の手の中で力を失くす。
まだベルトさえ締めたままの股間がじんわりと濡れて気持ち悪い。
目尻から一筋涙が流れた。
「約束してください朝倉さん」
「・・・・・・何をだ」
呼吸が乱れている。
一気に疲労感が押し寄せてきた。
「あなたはもう俺のものだ。他の男と二度と二人きりにならない。俺以外と酒を飲んだり、身体を触らせたりしないと」
「最初の言葉は否定しない。・・・だが、それ以外は約束できない。社会生活に支障が出る」
前波の要求はめちゃくちゃだった。
こうして俺を罵る理由も、一方的で身勝手だ。
「だったら、この場で俺に誓いを立ててください」
なのに・・・そのめちゃくちゃが、俺は嬉しくて堪らない。
「誓い?」
聞き返しながら前波の手を目で追う。
俺を翻弄し、屈辱的にも着衣のまま弾けさせたその手は今、俺のシャツを脱がそうとしていた。
期待に胸が高鳴る。
「ええ、あなたが俺だけのものであると・・・俺に誓ってください」
「どうすれば納得するんだ?」
「誓ってくれたら、それでいいです。あなたを信じます」
俺を完全に脱がせると、前波は自分も服を脱ぎ始めた。
「ああ・・・じゃあ」
俺は前波の筋肉で隆起した厚いその胸に両手を這わせ、そして幅のある肩の後ろで手首を交差させた。
下を脱ごうとしていた前波がベルトに手を掛けた状態で立ちつくす。
俺は上目づかいに前波を見つめると、彼に呼びかけた。
「前波・・・お前が好きだ。愛してる・・・俺は未来永劫お前のものだよ」
言うと前波の顔は見る見る染まり、耳まで真っ赤になっていった。
「朝倉さん・・・」
「なんだ、前波・・・お前、あんなに変態じみた言葉や行為を連発しておいて、その初な反応は・・・?」
さきほどまで俺を散々辱めていた男の思いがけない純情っぷりに、俺は吹き出しそうだった。
これは予想外だ。
「面と向かって言われると、・・・っていうか朝倉さんこそ、そんな恥ずかしいことよく言えますね」
「お前が言えって言ったんだろう」
「俺はあなたが誰のものなのか、はっきりさせてほしかっただけで、あんな告白・・・そうですね。考えたら、朝倉さん・・・今、俺に愛を告白してくれたんですよね」
「ああ・・・まあそう、だな」
よく考えたら、まだ俺はこいつにちゃんと好きだと伝えていなかった。
そして、前波からもきちんとは聞かされてはいない。
「お前も言えよ」
「何をですか?」
ぬけぬけと。
「俺に誓いを立てろ。好きだと言え。愛を告白しろ」
前波がクスクスと笑う。
「そんなことですか」
「俺はちゃんと言ったのに、お前だけずるいぞ」
「だって・・・判りきっていることでしょう? 俺があなたに今までどんなことをしましたか? あなたの身体を隅から隅まで愛して、あなたはここを俺に貫かれて何度も・・・」
俺を着衣のまま射精させた右手が今度は尻へ回される。
「ばっ、馬鹿っ・・・そういうことをっ・・・」
「それとも俺が、愛してもいない人にこんなことをすると、あなたは思っているんですか?」
「前波・・・」
「考えてもみてください。初めてセックスしたとき、あなたは媚薬で熱に浮かされていた状態でしたが、俺は酒一滴すらも飲んでいなかったんですよ。いくらあなたが色っぽく迫って来たとは言え、好きでもない人を相手に、あんなに何度も抱けると思いますか?」
「その時の事は・・・」
前波には悪いが、実はまったく覚えていない。
その日のうちは覚えていた筈なのに、どういうわけか段々と、前波との最中の記憶だけが時間を追って消えたのだ。
効き目が表れ始めたばかりの、ホテルにいた間のことは、忘れたいのに忘れられない。
だが、前波の家に着いたあたりから、記憶が曖昧になっている。
前波がこれを知ったら、どう思うだろうと考えると、絶対に言えなかった。
恐らく薬の副作用だと考えると判り易い。
あのときが、ちょうどピークだったということだ。
それでも、俺が何度も前波に迫り、前波はそのたびに俺を抱いてくれたのだろうことは間違いない。
正気に戻った時に俺がいたベッドの乱れ方や、激しい消耗・・・それに身体の中や外に残されていた量や彼を受け入れた箇所の状態から、その状況は把握できる。
「嫌なことを思い出させてすいません・・・俺はただ判ってほしくて」
「いや・・・」
そうじゃないんだ、前波。
「いいでしょう。俺も誓いますよ。朝倉さん・・・光政、愛してます。ずっと好きでした・・・初めて士英館の見学に行ったとき、俺は一緒に見学していたあなたを見て、すぐに恋に落ちたんです。グレーのスーツ姿で稽古を眺めている色白の横顔はとても美しく、少し疲れていて、・・・長い睫毛が影を落としている鳶色の瞳が憂いを湛え、薄く開いた赤みの強い唇が、女の物のように卑猥で、俺を誘っているように見えた・・・俺はすぐにあなたの虜になりました。道着に着替えたあなたは格別でした・・・背筋をピンと伸ばし刀を持って稽古に励む姿は禁欲的な筈なのに、その稽古で汗を流し上気した面やほっそりした項、着崩れた胴衣の隙間から覗く肌蹴てしまいそうな胸、袴の裾を払った拍子に見える足首やふくらはぎ・・・そんなものが他の誰よりも官能的で、俺は何度あなたを思いながら自分を慰めたか判りません」
「よくそんなこと俺に・・・」
「事実ですから」
恥ずかしくて聞いていられないような内容だが、前波は真剣にそう言った。
そして前波が身じろいだ拍子に、俺に彼の物が当たった。
「お前・・・」
気が付いて彼の中心を見下ろすと、ベルトのバックルを外してジーンズのファスナーを下ろした状態だったその場所が膨らんでいた。
「光政・・・俺はあなたに会いたくて欠かさず士英館へ通っていたのに、肝心のあなたはなかなか道場に現れず、俺はしょっちゅう肩透かしを食らわされていました。たまに来ても、いつも橘さんと喋ってばかりで・・・」
「だからあれは橘さんがお喋りだから・・・」
「橘さんは光政を、士英館一の綺麗どころだって、よく言っていますよ」
「それは冗談でだろう? いまどき女に言ったら、セクハラだなんだって言いだしかねないから、男の俺を・・・」
適当に交わしつつ気が付いてた。
前波は呼び方を、この機に変えるつもりなのだと。
気が付いて・・・俺は嬉しくて少しドキドキした。
「そうかも知れません・・・けれど、少しの色気も感じない相手にそんなことを言ったりしませんよ。まして男に」
「それは・・・・」
「すいません・・・こういうことを言うとあなたがますます道場へ行きづらくなると思ったから今までは黙っていました。けれど、俺にだってプライドはあります。だからはっきりと言わせてもらいます。橘さんとは必要以上に仲良くしないでください」
「それは考えすぎだって・・・橘さんは、多分そういうつもりは・・・」
「俺が我慢できないから言っているんです」
前波が再び股間を押しつけて来る。
互いの物が、またぶつかった。
さっきより反応している。
俺も、彼も。
前波は俺の腰に手をかけると、腰を動かしてそれを擦りつけてきた。
「んん・・・っ」
溜まらず息を呑む。
自分の物が再び力を取り戻してゆくのが判る。
息が、乱れる・・・恥ずかしい。
「俺が嫉妬したら変ですか?」
前波の声も掠れていた。
「前波・・・」
たがいに息が荒い。
「あなたの周りの男が、いつあなたに前の会社の上司みたいな真似をしてくるのか、・・・鴻巣社長のように光政を襲ってくるかと、・・・心配するのは不自然ですか? 俺がこんなに気が狂いそうになっているのに・・・それなのにあなたは、あんなことがあった次の日に会社の先輩と二人きりでお酒を飲んで帰って来た・・・・俺の事、もう少し本気で考えてください」
「悪・・・かった」
前波が愛しい。
「愛してますよ・・・死ぬほど」
前波が欲しい。
「俺もだ、景範」
そう言うと、前波はいきなり深く俺に口付けてきた。
俺は前波の首に再び手を回し、自らも彼の口付けを貪った。
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