『ある日曜日の夜の出来事。』

  (※『罠』の番外編につき、できれば先にそちらをお読みください。面倒ならべつにいいです。)

 

「まったく劉のお馬鹿ときたら、在庫も回せないのにこれ以上受注をとるなと何度言えば・・・おっと電話が鳴っている」
白ロム発注依頼をよこしてきた上海営業宛てに返信すると、ノートパソコンのメールソフトを終了させて椅子から立ちあがった。
私の名前は鴻巣五十六(こうのす いそろく)。
家電量販店を経営する傍ら、上海営業所経由で日本製携帯端末を中国人相手に販売していたが、先月中ば、わけあってそちらのビジネスを中止せざるを得なくなった。
その旨、すぐに現地責任者である劉建華(りゅう じぇんほう)へ報告した筈なのだが、どういうわけか彼が発注メールを寄越すのは今月に入ってこれで5回目。
私の中国語が通じていないのか、彼の理解力が足りないのかは判らないが、もうどう伝えたらいいのか、ビジネスパートナーとしての中国人への接し方にそろそろ自信がなくなってきている。
「これまでは普通に意思の疎通が出来ていると思っていたのだが、あれはただの偶然だったのか・・・。そちらの問題はさておくとして、今月いっぱいで派遣とパートを全員切らねばまずいことになる。早めに人事へ連絡を入れて、念のために新聞社にも根回しを・・・ああ、ハイハイうるさい電話だなまったく・・・」
独白を口へ上らせつつ、書斎を出てリビングに入ると電気を点けてテレビの1メートルほど上辺りに視線を走らせる。
壁に掛っている鳩時計の針は、午後8時を13分ほど回ったところ。
娘の成美はまだ塾にいる時間だし、義父の西園寺銑十郎(さいおんじ せんじゅうろう)は居合道連盟の会合だか老人会だかで遅くなると今朝がた言っていた。
となると、これはやはり妻の美子だろうか。
いずれにしろ、1980年代に某電気通信事業者最大手がテレビCMで提唱して流行させたらしい幻想文化の帰るコールを、外からわざわざ寄越すような家族はうちに一人もいない。
推測するにこれはおそらく、念のために聞きますが、洗濯ものは取り込んでいらっしゃるんでしょうね?コールか、ご飯を作って下さいましコールか、ついでにお風呂も掃除して沸かして下さいますわよね。コールあたりだろうと思うのだが・・・そういえば以前、珍しくうちにいらっしゃるのですから、五郎の散歩にでも行ってくださいまし。顔を忘れられますわよ。コールというのも1度あった。
つまりこういう時間帯の電話にはあまり出たくはないのだが、出ないと却ってややこしいことになるのは目に見えている。
リビングの入り口で立ちつくし、逡巡すること約30秒。
玄関先で犬が吠え始めた。
「ああ、判ったから鳴くな、五郎!」
通じるわけはないのだが、犬に向かって叫ぶと、深い溜息とともに諦めて受話器をとり上げた。
私が数え始めてからでもとっくに二桁目に突入していたコールが、ようやく鳴り止み、静寂が戻る。
「はい、鴻巣です」
「あ、もしもし・・・」
女・・・いや、年若い少年の声だった。
「はい、もしもし」
「あの・・・谷崎太一(たにざき たいち)と申しますが」
「どちらさま?」
「あ、すいません・・・えと、あの・・・僕は士英館(しえいかん)で成美さんと一緒に居合を習っている者なんですけど・・・あの、成美さんはいらっしゃいますか?」
「おりませんが」
「そうですか・・・。何時頃帰って来られるか判りますか?」
「どうして?」
「えっ・・・あ、えと・・・その、ちょっと用事があって・・・これからそちらへお伺いしたいんですが・・・」
気の弱そうな少年だ。
話の内容から、容易に成美の同級生あたりだろうと想像がつく。
「用事って何?」
「いや・・・あの・・・その、お渡ししたいものがあるので・・・」
「君は一体成美の何なのかね?」
「えぇっ・・・いや、別にそんな、ただの居合仲間でお父さんが心配されるような関係じゃ・・・」
あからさまに狼狽えはじめる。
結構怪しい。
だがそれ以上に面白い。
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはないんだが・・・なんだかはっきりしないな。君、要件をちゃんと言ってくれないか? 渡したいものとは一体何だ?」
「す、すいません。その・・・実は今日、間違えて成美さんの居合刀を持って帰っちゃったみたいで・・・」
今日は日曜日。
成美はいつも居合の稽古で士英館に行った後、一旦帰宅し、家でおやつを食べてから、夜は塾というコースだった。
わが娘ながら忙しい部類の中学生だ。
「そうかい。だがそれなら心配いらないよ。今日成美はちゃんと自分の刀を持って帰って来ていた。用がすんだならもういいね? 切るよ」
受話器を遠ざけようとしたところで、カン高い少年の声が呼び止める。
耳から僅か5センチの近距離で、五月蠅いことこの上ない。
鼓膜がキーンと言っている・・・。
「ちょ、ちょっと待って下さい! それ、多分間違えています。僕が持って帰った刀ケースに、成美さんの名札が入っているし、この刀もいつも成美さんが使っているのと同じなんで・・・」
「そうなのか・・・。なら、多分成美の物なのだろうな。しかしどうしてまた、君は他の人の刀なんて持って帰ってしまったんだ。不注意じゃないか」
「すいません、すいません! ・・・実は今日帰りに忘年会があったもので、多分そのときに・・・」
言われてみれば、今日は1時間ぐらい道場から帰って来るのが遅かった。
本人はそんなこと、一言も教えてくれなかったわけだが。
成長すれば、娘なんてつまらないものだ。
昔は何でも話してくれたというのに・・・どんなお遊戯を習ったとか、砂場で見つけたビー玉の話とか。
「忘年会か。最近の中学生はそういう大人みたいなことをするものなのかね? だいたい成美は塾があるというのに、君達はそんなところへ成美を連れ回したというのか?」
「すいません、すいませんっ・・・でも、あの・・・会長主催なんで是非全員参加でって言われてしまって・・・それでまず、会長の刀ミュージアムに皆で行って、その後で駅前の黒木屋へ・・・あ、でも僕ら学生はみんなジュースでしたし、暗くなる前に帰りました」
ジジイのせいか・・・しかも中学生を居酒屋に連れて行くっていうのは、どういう神経だ。
ファミレスにしろ。
「それにしたって、君はどうして成美の刀を持って帰ったしまったんだね。自分の刀かどうかの見分けもつかないほど、忘年会が盛り上がって舞い上がっていたのか? それとも何か他に理由があったということかね」
「そんなとんでもない! この機会に成美さんに近づこうだなんて気は、僕には・・・僕はそんな・・・」
「いや、何もそんなことを疑っちゃいないんだが」
この少年にそういう類の度胸があるようには思えないし、成美が相手にしないだろう。
「あの・・・でも、すいませんでした。実は、忘年会が座敷で行われたために、僕ら学生はみんな同じ場所に荷物を纏めていたんです。でも一番最後に席を立ったのが僕だったもので、残っていた刀をそのまま持って帰りました。みんな同じような刀ケースを使っているので、そのときは間違えたことに気づかず連絡が遅れてしまったんです。ちゃんと店を出る前に名札を見るべきでした・・・本当にすいません」
「つまり、成美や他の誰かが、先に君の刀を持って行ってしまったと・・・君のせいではないということか」
「けしてそんなつもりで言ったわけじゃ・・・。で、あのお父さん・・・」
「君の父ではないと言っているだろう」
「あぁっ、すいません、すいません・・・成美さんのお父さん」
「面倒な子だな、小父さんと呼べばいいだろうに」
武道を学んでいるだけあって礼儀正しいのは良いことだが、実によく謝る子だ。
高確率で苛められっ子だろう。
「あの、それじゃあ小父さん・・・成美さんも困っていらっしゃると思うので、この刀をお返ししに行きたいのですが、何時頃に帰って来られるか、ご存じじゃないでしょうか」
「遅くなると思うよ。まっすぐ帰ってくれば9時半頃だろうが、大抵友達と喋ったり、ハンバーガー屋に寄って帰って来るから、おそらく10時を回る。何時になるかは盛り上がり次第だから私も判らん。別に今日じゃなくても構わんだろう。困るようなら成美から連絡するだろうし気にしなくていいよ。それじゃあ、わざわざ連絡ありがとう・・・」
切ろうとしたところで、また受話器が叫んだ。
いい加減しつこい。
「あの、小父さんっ・・・」
「なんだね君はまったく〜・・・」
いちいち鼓膜が痛い。
ええいっ、この子の変声期はまだなのか!
「それが、その・・・実は、僕の刀がないので・・・」
「そりゃあそうだろう、2本持って帰るということはさすがにないだろうからね・・・何だい。君の方では急ぐのか?」
「実はその・・・明日部活があるもので・・・僕、二葉中の居合道部なんです」
二葉学園中学というと、中高一貫で男女とも紺色のネクタイに金の星型校章のあの私立学校か。
どうやら偏差値は相当高いようだが、あの学校は高校に入ってまで生徒にうさぎを飼育させているほど情操教育に力を入れているわりに、毎年複数の自殺者が後を絶たないことでも有名だ。
頭が良すぎて大抵の生徒はネジが飛んでいると、地元ではもっぱらの噂だが・・・となると、この子もどこか病んでいるのかも知れん・・・あまりからかってやるのも良くない気がしてきた。
「そうは言ってもね・・・さっきも言ったように成美は何時になるか判らん。それとも何か? 成美から君に連絡させた方がいいのか?」
「あの・・・できれば、成美さんの携帯番号を・・・」
「君に教えろと言うのか?」
「あっ・・・いや・・・すいません、やっぱりいいです・・・。確か前波(まえば)さんの塾でしたよね。だったら場所を知っていますから、僕の方でこれから行ってみます。遅くにすいません、お世話をおかけしました・・・」
「待ちたまえ、谷崎君」
「あ・・・はい」
「まさか君は、商店街のど真ん中で塾が終わるまで成美を待つつもりなのか?」
「いえ、けしてそんな・・・待ち伏せとかそういうつもりは・・・僕はけして」
言ってない・・・。
頭は良いのに、先回りして自爆するほど言葉に敏感・・・。
十中八九学校でも苛められているとは思うが、苛めるヤツの気持もよく判る。
「落ち着きたまえ。私の言い方が悪かったなら謝る。・・・・塾が終わるのは9時過ぎだ。だが成美はさっきも言ったように塾で友達と喋ったりして、いつ出て来るか判らんのに、こんな寒空の下、君を吹きっ晒しの路上で立たせるわけにはいかん。要するに成美が君の刀を間違えて持って帰っていないか、それを君は知りたいだけなんだろう?」
「えっと、あの・・・」
「はっきりしたまえ」
「・・・すいませんっ、そうです」
「特徴を言いたまえ。私がこれから見てきてやろう」
「ああっ、えっとその・・・黒い鞘に水色の柄巻き・・・赤い下げ緒が付いています。ああっ、それと刀ケースに名札を入れてあるので」
「男の子なのに随分派手な刀を持っているんだな・・・・判った。このまま切らずに待ちたまえ」
「あのっ・・・」
「・・・何だ、他にまだ何か?」
「えっと・・・小父さん、有難うございます」
「構わんよ。成美の方がたぶん悪い。じゃ、すこし待っていなさい」
そう言って私は保留音も押さず、受話器をそのまま電話の隣に置くと、二階へ向かった。



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